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「貴重な機会だったな」は後からやってくる。

ついに帰国日が決まった。きたる週末11月11日にバンガロールを経つことに決まった。
ようやくかと思いつつも、帰国してからは貴重な機会だったと少し寂しくなることを知っている。

ひょんなことから『いかわさんといっしょ』というサイトを見つけた。
そして驚いた。誰がこんなニッチな場所を盛り上げようと取り組んでいるのかと。

秋田県井川町は母方の実家、不幸なことに毎年1人くらい熊が死因となるような土地。つまりドがつく田舎なのだ。
該当のサイト内では「かえろう、いかわまち。」というキャッチフレーズの元、春夏秋冬4種類の動画が作られていた。もちろん全部みた。

見終わった時ちょっと目頭が熱くなった。
なんで知らない家族がご飯を食べてる動画なのに、みるだけで井川町だなって感じたり、そうそうこれが秋田って感じるんだろう。
ばあちゃんの作るだまこもちが冬の代名詞だったことを思い出す。

ぼくはどれだけ、おじいちゃん・おばあちゃんの目をみて会話をできていただろうか。とても気になった。二人とももういない。
冬休みに帰ると暖かく迎えてくれる。でも同じ日本語とは思えないくらいなまっていて、正直会話をした覚えはなかった。

建設業を営んでいたおじいちゃんは細身ながらも力が強く、ショベルカーによく乗せてくれた。そしてお年玉の羽振りが良かったことを子供ながら、手渡される封筒の厚みから知っていた。

主婦をしていたおばあちゃんは、いわゆるおばあちゃんの匂いで小さい頃の僕はそれが少し苦手だった。恥ずかしながら親の態度を真似して関わってしまうからこそ、母のまねをして、おばあちゃんとは直接親しく話したりはしてなかったことを思い出す。

井川町は母の実家、雪が厚く積もり、静かな街。暖かい部屋にこもって、いとこが持ってきてくれるゲームをきゃっきゃと遊んだ思い出。
正直に、おじいちゃんとおばあちゃんとの思い出よりもそれが色濃い。

「かえろう、いかわまち。」
心が街へ帰ると、ぼくの場合は胸が少し苦しくなった。
今からでも間に合うなら、二人のことを少しでも想うときを持とうと思った。

自分に子供ができた時、子供は自分の両親を「おじいちゃん・おばあちゃん」と呼ぶ。その時に目を見て、肌で、会話をできるように。今からでも両親とちゃんと会話しようと。そう思った。

貴重な機会だったな。は、必ずと言って後からやってくる。
だからこそ、目の前にいる人、自分が立っている場所を目で・耳で・鼻で・肌で捉え、自分に刻むこと。良かったも悪かったも刻んで、彩(いろどり)に変えていくこと。忘れてはならない。

あと2日のインドを心が赴くままに味わおう。

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