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パパみたいな人とは結婚したくない。

「将来、どんな人と結婚したい〜?」

と聞かれたら、

パパと正反対の人。

と答えていた。

高校時代のことだ。

小中高時代は、よく友達同士で
誰が一番に彼氏ができるとか、誰が一番に結婚しそうとか、子供は何人とか
色々と妄想を膨らませたものだ。

パパの話


ちょっとだけ、私の父の話をしたいと思う。
「父」と呼ぶと、何だか余所余所しい気がするから
ここでは、いつも通り「パパ」と呼ぶ。

私が小さい頃、パパは「チュー星人」だった。

私が、

「パパ〜? これ欲しい〜」

とねだると、

「じゃあ、ほっぺにチューして。
そしたら、考えてあげる。」

と言われ、
半分イヤイヤ、半分愛情を込めて、
髭がチクチクする頬っぺにチューをしてあげた。
(その後、本当に買ってくれるかは、全く別の問題だ。笑)

私が小学校に上がる頃、
パパが怒っている姿をよく見るようになった。
私には姉がいたのだが、教育熱心なパパは、
姉に何度も説明しても分からないと怒っていた。

それから、中学受験のため、受験塾に通うようになった。
私が宿題をやって行かないと、(当たり前だが)怒られて、「塾を辞めろ」と怒鳴られた。
私はパパに怒鳴られるのが怖くて、怒られないように、という一種の脅迫に取り憑かれ、良い子でいるふりをすることに努めた。

私は、中高一貫校に合格した。
中学生になると、パパとの会話は自然と減った。
私は部活で毎日忙しく、パパは仕事で夜遅くに帰ってきて、すれ違うことが多くなったからだ。

私が高校生くらいだろうか。
家で、母とよく喧嘩する声が聞こえるようになった。
大きな声と怒鳴り声。物を叩くような音。
恐怖だった。
今度はいつパパの機嫌が悪くなるんだろう…と怯えて生活をするようになった。

これが、私が高校生までのパパの記憶だ。


あれから、10年弱。
私はもう20代半ばになり、社会人になった。

私は、社会人になって暫くすると、
仕事が辛くなった。頑張れなくなった。
3年余りで適応障害になってしまった私をよそに、もう40年近くもパパは立派に階段を駆け上がり、現役サラリーマンとしてバリバリ働いている。

「どうしてそんなに頑張り続けられるのだろう?」

パパの姿を見て、疑問に思った。

ついこの間、一緒にゴルフに出かけたとき、
2人っきりの車内で思わず聞いてみた。

「パパは、どうしてどんなに頑張れるの?
仕事を辛いと思って、辞めたくなったことはないの?」

そしたらパパが、こう言った。

「そりゃあ、家族がいたら頑張るしかないよ。」

パパは、辛いとも、疲れたことがあるとも、言わなかった。
ただ、守るべきものがある、そう言った。

強い。なんて、強い人だ。
パパは、家族のためにここまでやってきたんだ。

普段は「ありがとう」も「ごめん」も中々言葉にしないパパだけど、
パパなりの不器用な愛情がひしひしと伝わってきた。

パパ、ありがとう。

今、思えば


私が高校時代、きっとパパは30代〜40代。
一番仕事が忙しくて、昇進競争に揉まれて、頑張らないといけない時代。

そんな時に、ちょうど思春期だった私は、パパに冷たく当たっていた。
パパは、家族のために辛い仕事をして疲れて帰ってきているのに、家族からも冷たい態度。
きっとずっと孤独だったのではないかと思う。

いつもありがとう。


ずっとすれ違ってきたパパとの微妙な距離も、
大学生〜社会人になるにつれて、だんだんとほぐれてきた。

そんなパパは、今日、
(たしか)55回目の誕生日を迎える。

お誕生日おめでとう。



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