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自己紹介(幼少期編)

ここへ訪れて来てくださった、そこのあなた
ありがとうございます
自己紹介させて頂きます

私は北関東の田舎で産まれました
信号機もない道路、車道は車一台しか通れない狭さ(車同士がすれ違う時大変)、田んぼが広がる風景、夏にはホタル、冬は厳しい寒さ、小学校は一学年一クラスのみという人口の少なさ

田舎だからノビノビと育ったかというと、そうでもありません
父は普段は寡黙だがいきなりキレる、母は過干渉で情緒不安定でヒステリック
いわゆる機能不全家族で育ちました

私には姉が二人居ます
私は三女です
母が「三番目は男の子が良かった…」という理由で、幼い頃は男の子の格好をさせられていました(くまさんのネクタイとか)
幼い私に母は言いました
「一番最初に妊娠した男の子を、流産したの
子供は三人と決めてたから、n(私)は男の子を流産してなかったら産まれてなかったの
だからラッキーだったね
nはおまけの子だよ、グリコのおまけと一緒だよ」
何度も聞かされました
幼い私でも、母が残酷なことを言っている、というのは理解できました
でも、母が嬉しそうに言うので、私は喜んだ振りをしました
母に嫌われたくなかったから
たぶんそこからでしょうね、私が歪んだ性質を持った人間に育ったのは

小学校に入る前、幼稚園生の時の話です
家には二女と私と父(母と長女は外出中)
何かに苛立っており不機嫌な父が、二女と私が遊んでいる所にやってきました
二女は父の不機嫌さを察知し、即座に逃げました
父は取り残された私をターゲットにしました
いきなり父に抱き抱えられ、壁に掛かった時計の前に突き出されました
「今何時何分だ!答えてみろ!」と父の怒号
私はなぜ父が怒っているのか分からず、ただ怯えと恐怖、「答えないと父が余計怒るかも…」「でも時計読めない…」とパニックになり、
泣きながら「わからない…」と答えました
父はその時、私の股間を強く握って居ました
痛い、怖い、誰か助けて…
「じゃあ一時間は何分だ!答えてみろ!」
更に股間を強く握ります
またしても泣きながら「わからない…」
だって、時計の読み方なんて、小学校一年生で習うじゃないですか?
分かるわけないのです
すると父、私を床に叩きつけるように落とし
「なんでわからないんだ馬鹿やろう~!!」
と怒鳴りながら、ボコボコと私の頭を殴り付けました
今でもその時の恐怖と痛みは、昨日のことのように思い出せます
父が去った後も、私は理不尽な出来事へのショックと、誰も助けてくれない孤独の中、延々と泣き叫びました
この経験もまた、私を歪んだ性格にした要因の一つです

でも子供は不憫なほど、従順です
ここまで酷い仕打ちをされても、両親を愛してたのです
そして感謝もしています
「普通の家庭に産まれなくて良かった」と
なぜなら、私をここまで個性の強い人格に仕立て上げてくれたからです
そうじゃなかったら、文章なんて書いてません

つづく


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