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ナポリの100年以上続くピッツェリアでモッツァレラチーズを食べたことあるかい?の巻

1度しか行かなかったナポリの話。
ナポリを見てから死ね
というほどの美しい都だっていうのは有名だけど近年はゴミ問題に焦点が当たっている。
ぼくが行ったのは、1996年くらいだったかな?たしか。
だけど、当時も、いや、すでに数年前からゴミ問題はやばかった。

ナポリには、取引をスタートしたメーカーで日本向けの商品の仕様打ち合わせと、そこに依頼したあらたな取引先候補になる関連商品のメーカーを紹介してもらう、という目的だった。

フィオレンティーナをごちそうになって更に親切にしてもらった


ぼくは、フィレンツェで行われていた展示会の後に、鉄道でナポリまで行くことにしていた。
ナポリに移動する前日に、その日、同行したお客さんに「乃凡亭くん、うまいフィオレンティーナを食いに行かへんか」「今回は世話になりそうだからおごったるわ」「こっちで
ウチのエージェントをやってるイタリア人も連れていくけどええか?」「そりゃもちろん喜んでおともします!」
とお誘いを受けて、ホイホイとついていった。

「ここのフィオレンティーナはおいしいねんで、フィレンツェイチやで」
「ほー、そうですか、さすがよくご存知ですな」とおいしいステーキをいただきながら、得意でない英語とへたくそな日本語とどうしようもないイタリア語を
混ぜてごまかしつつテキトーな会話をしていた。誘ってくれたお客さんは、オーナー一族の専務だから羽振りはいいし、仕事でも経験があって話題も豊富、留学もしていたらしく英語も堪能なので、こっちはニコニコ聞いていれば良いという楽な立場。
そんななか、たまたまの話の流れで、
明日はフィレンツェに電車にのって行くんだ、と言ったら、同席のイタリア人はびっくりして「イタリア人でも
ナポリには電車で行かない」「ましてや日本人が一人でナポリの駅になんて、そりゃあぶないぞ」
「命はとられないが、財布を狙った悪い奴がすぐに寄ってくる」「ホテルは予約しているのか?」
「どうやってホテルまで行くんだ?」「タクシーだって?」「そりゃだめだ」
「ちょっと待ってろ、何時にナポリに着くんだ?誰に会いに行くって?」
ナポリ到着時間とメーカーの名前を告げると、そのイタリア人は、そそくさと携帯電話を持って店の隅まで行って誰かに電話をし始めた
しばらくして戻ってくると「OK、オレの友人がその会社の社長はよく知っているそうだ、すぐに連絡をして、迎えに来てもらう手配をしたぞ」
「これで一安心」「さあ、つぎはデザートかな?」
てなことに。
「そんなにあぶないの?」「空港なら警官などもいるのでセキュリティの目が光っているからやたらなことは起きにくいが、鉄道の駅なんて、普通にわけのわからないやつがいる、危ないに決まってる、オレだってナポリに行くなら飛行機一択だ」とのこと。
なんですかね、北部の人の南部に対しての偏見というか、そんな感じもした。
「乃凡亭くん、よかったやないか。このイタリア人に感謝せな。なんかあったらお宅の会社でも使うたったらええがな」
「あざす、あざす」とお礼をいって、翌日はナポリへ。

鉄オタじゃないけど鉄道で一路ナポリへ

電車は指定席を取っていたので快適。コンパートメントじゃあなかったけど、席は広くて窓も大きくて、小柄なぼくには快適な旅だった。
南に行くに連れて、洗濯物が集合住宅の窓から外に枝が生えるように干されている様子が見られて、過去のイタリア映画で見た光景とがダブって、ああ、これがイタリアなイメージかなあと感じたり。

さて、ナポリについて、プラットフォームから駅舎の中へ。しばらく壁を背にして、行き交う人の様子を見ていた。
それらしき人は歩いていないし、携帯もないからこりゃわからん、そんなに怖いところだったら、とっとと移動してしまおう、とタクシーを捕まえて、指定のホテルへ向かった。

ホテルになかなかつかなくて焦る

そしたら、10分くらい走って、市内を抜けて山の方へ、出張で泊まるホテルなんだから街中だと思い込んでいたので、「いったい、どこに連れて行かれるの?」と思って「このホテルは遠いの?」と聞くと「ちょっと遠いね、だけど問題ない。もう直ぐだ」

中国人とイタリア人の「問題ない」は時に結構当てにならない。(あくまでも個人の見解です。ちゃんとしている人はもちろん多いです。その後ギリシャに行った先輩によると「ギリシャ人はイタリア人の比じゃないくらい詐欺師っぽい」とのことw)
とにかく前の晩に脅されたから気が気じゃない(笑)
ずいぶんと高台の住宅地の中にあるホテルに着いた。たぶんナポリ湾を一望できるロケーション、景色はめちゃめちゃいい。

チェックインをして、荷物を整理していると、電話が鳴った。
「乃凡亭か?」「そうだ」「なんで部屋にいるんだ?」「駅で待ってたのに」と聞き取りにくいイタリア語訛りの英語_
「おお、ごめんごめん」「タクシーに乗っちまったよ」「すぐにロビーに来いよ」
というわけで、初対面w
「せっかく駅にいったのにー」という感じだったが、すぐに切り替わって「ひとりじゃないよな」「別で行動なんで、後から来るよ」「どのくらいいるんだ」「あさって移動」というと
「なんだよ、ナポリに来るなら1週間取らないと」「どっこも見れないじゃないか」「いいか、ここは歴史のある街なんだ」
「しょうがないな、じゃあきょうはみんなで夕食を食べよう。ほかの連中も来るだろ?」「xx時に迎えに来る」
「ところでこのホテルがどういうホテルか知ってるか?」「??」
「マラドーナがナポリにいた時のいつもここだったんだぞ」「マラドーナだぞ!どうだ、すごいだろ、お前うれしいだろ!」
みたいな。「へえ〜」これはマジで驚いた。きっとぼくの目の輝きも感じただろう。
だってマラドーナだよ。1979年のワールドユースの決勝もNHKで見てたし、82年のスペイン大会で真空跳び膝蹴りをしたのもNHKで見てたし、86年のメキシコ大会で「神の子」になったのもやっぱりNHKで見ていた。ナポリっ子にはマラドーナは特別だ。

ナポリ旧市街でピザをいただく

その晩は、社長が迎えにきてくれて、揃った他のメンバーとともに、ナポリの旧市街へ。ここでもご当地自慢が炸裂。「このピッツェリアは100年前からあるんだぞ、すごいだろ。」細長い5階か6階はあるビルを階段でクルクルと登っていく。ガヤガヤと人が話す声、食器が触れ合う音、ピザの香り。
予約していたらしき席に着くと、社長が店員と話を始める。ふたりともどこかしゃがれた太い声出し、なんやかんやと言い合ってるようで、なんだか怒りあっているような口調。
で、ワインを開けて、最初に出てきたのは、白い大きなお皿の真ん中に、まるい豆腐のような物体が。イタリア駐在していた後輩が、まだまだそれほどイタリア語ができたわけじゃないんだけど、そいつは語学の天才なんで、英語とフランス語は話せるし、イタリア語もあっという間に習熟してきて一生懸命話を聞いてくれてた。そいつの通訳によれば、まるい物体はモッツァレラチーズだという。おおなるほど。まずはこれを食べろ。

これがモッツァレラっていうのか⁉︎初めて知ったよ。

「いいか、モッツァレラの新鮮なやつは生で食べるんだ。しばらくしたら(1週間くらい?)ピザに使う。ほら、食え食え。」
ナイフを入れると、ミルクがじわっと滲み出る。おお、なんだこれ。一口大に切って、フォークに刺して口に入れる。「うわ、ミルキー」目を丸くして社長の顔を見る。うれしそうだ。「どうだ?うまいだろ。」眼がそう言ってる。
「いや、これ知らない、食べたことない」「すげえうまい」
「あたりまえだ、こんなのは、ここに来なくちゃ食べられないぞ」
日本人どうして感嘆の声を上げた。
社長は満足そうだ。
どうやら、店員と怒ったように話していたのは、この日本人に何を食べさせるのがいいかを議論していたらしい。なんで怒り口調なんだよw

その後はピザを食べて、同行したお客さんのリクエストで、本場のナポリタンを食べたい、というので、これまたナポリっ子たちが協議して出てきたのは「トマトソースのパスタ」。リクエストした方は、「本場のナポリタンはトマトソースなのか!」とうれしそうに驚いていた。
そりゃそうだ。日本のナポリタンスペゲッティは、イタリア料理じゃないんで。だけど当時はまだそういう話のもメジャーじゃなかったのかな。
別にナポリタンと呼んでいるわけではないのだけれど、「ナポリならではの」という意味での「ナポリタン」ならばトマトソースだろ!ということだったようだ。
まあ、大阪に「大阪焼き」なんてものがないのと同じww?

翌日は仕事で、これまた忙しかった。その話はまたあらためて。

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