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好きなものを共有したいという一種の傲慢さに負けた、好きすぎて¦日記 #17

"好きなものを共有したい"
しっかりとその気持ちを自分の中に捉えられたのは、ここ数年のことのように思う。面白かったドラマ、好きな曲、最近ハマってること。その他無数のなどなどを、私は『私の好きな人たち』に知ってほしいという欲望があるみたいだった。
学生の頃は、毎日学校に行きさえすれば友人がいて、朝も休み時間も放課後もなんなら授業中だって、私たちはずっと話していた。なんていったって、お喋りはこの身一つあればどこだって出来る。お金もなくて制限も多かった、私たち学生の一番身近な娯楽だった。
だから"好きなものを共有したい"なんて気持ちがわざわざ湧いたことがなかったのだ。それが当たり前だったから。何より平日はほとんど一日中話しているんだから、少しでもときめいたもの・ことは、全て話さないとネタに困ってしまう。

だけど今はそうじゃない。
生活も住む場所も変わってしまった私たちは、月に1回顔を合わせられれば良い方で。会えるのが3ヶ月に1回、半年に1回、1年に1回のペースの友人もいる。だから"好きなものを共有"するハードルがぐっとあがった。
どこでも簡単に連絡ができる時代ではあるけれど、相手の生活が見えないとなんだか送りづらい。忙しいタイミングに「このドラマめちゃくちゃ面白かった!〇/〇まで観れるから、よかったら観て!」なんて、送ってしまったらどうしようとか。考えなくてもいいことを考えてしまう。
そもそも"好きなものを共有"するというのは、一方的でワガママで、独りよがりの一面も少なからず感じてしまう。自分が共有されたら純粋に嬉しいけれど、自分がする側となると話は別だった。

とか言いながら、今日は4人に好きなバンドの期間限定動画共有してしまった。自分でもびっくり。
既読2、未読2。いずれも返事はまだだけど。私の好きな人たちに、私が私たる所以を、私の好きなものから感じてほしかったのだ。どうしても。
何で心が動いて、何で私が構成されてるのか、知ってほしかったのだ。傲慢極まりないけれど、どうか許して。

私は寝る前に観て泣いてしまい、眠れなくなりました。

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