散歩を感じる -2- 東京 平町 feeling the vibration of locations by strolling along a path

散歩は 2本足で 歩くようになった 人類の基本的行為です。
散歩は 体内の循環を良くして、 また  頭を クリヤーにし、そして 何より
ハートを育てます

身近な散歩についてご紹介します

今回は 東京 目黒 の 平町 たいらまち。

都立大学駅、柿の木坂陸橋 付近から の みちです。
ここは武蔵野台地の 端で 多摩川や東京湾に 向かって、 平野部に 下る 直前となります。 呑川などが 台地に 切り込んでいます。

つまり台地なので、尾根伝いは  平になっています。 元々は、 ここいらへんは、 中根、平根、などと呼ばれる集落があった。中根町は現在でも健在。
「ネ」は峯・嶺に通じるもので、山の頂をいう場合が多いようです。したがって、ここは、平な いただきということでしょう。
台地には柿の木も多く生えていて、柿の木坂の地名もそこから来ている。 目黒から二子に抜ける道(現在の目黒通り)があった。
環7との交差点に柿の木坂陸橋があり この辺りの 最高地点。
そこから南に 尾根づたいに歩き、下って吞川緑道を経て、大井町線の緑ヶ丘駅まで。

まず  東横線の都立大学駅から、 目黒通りを 目黒方向に坂道を上ります。
柿の木坂陸橋の直前で、右に折れます。とても細くて、見過ごす可能性が大きいです。
これは、多分江戸時代からある、畑の畦道です。


目黒通りからの入り口付近
細い畦道
多分江戸時代からある
対象の地域  gooleの写真

ここを歩くと、200年目の風景が思い浮かびます。当時はこの道の両側は畑だったと思います右側に農家があり、このあたりの地主。
現在も私道です。この細いあぜ道は さらに南に続いていましたが、途中で宅地になり、道が寸断されています。


平町の散歩道





さて、途中で、右に折れて耕地整理でできた広い道、すぐ、さらに左に折れます。
この道も耕地整理でできた道で、下っていきますが、左側が最初に宅地となり、ここは戦前に海軍関係者が住んでいました。右側は戦後少しあとに大きな宅地となりました。第二次大戦後、財界人が多く住みました。耕地整理で、できた道をひたすら歩きます。良好な住宅地です。

家々がそれぞれ特徴があり、緑や花もあるところです。

ある家ではピアノの音が聞こえます。

ある家の前には、薔薇の花が咲きます。

全ての家に  物語があります。

それを感じながら。。。。。

そのうち、また上り坂になり、左手に忍ぶ幼稚園 が見えます。

ここで、園児たちのパワーを感じます。

さらに坂を登ると、てっぺんで、平町は終わり、この先は  大岡山となります。

境界にある、東西の道は 多分、品川道とよばれ、品川から二子を経て、国分寺あたりの関東平野の、中心 府中に至る道です。この角に 帝釈天の御堂があります。右側は急坂になっており、てっぴ坂(鉄飛坂)と呼ばれていました。 坂を下りると 吞川です。
少なくても 平安時代ぐらいから人々が歩いていた道と思われます。

さらに元の道を直進し南に進むと、桜並木がある、良好な住宅地が続きます。

その先は坂になっていて、下ります。さらに西に進むと、吞川に出ます。ここは緑道になっています。ここで、左に曲がり 緑道に沿って南に歩きます。
そして、大井町線のところで、右に曲がり、駐車場の中を通って、緑ヶ丘の駅に到着。

基本的にこの地域は、関東大震災後、東横線開通以降に発展したところです。
東横線の開通によって、横浜、横須賀など、当時の海軍との関係で海軍関係者、そして、渋沢栄一の田園調布の開発によって、多くの新しい時代の人々が住みました、既に100年の歴史がある 特に昭和の香りがあるところとなります。


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