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言葉の力

絵を描くのが好きだった。

小さい頃から好きだった。

絵を描く時間は自分を癒す時間でもあった。


高校の時。

美術の先生に呼ばれた。

「お前、絵を習ってるんか?」

美術の課題で私が描いた『手』の絵を見ながら、

先生は言った。

「習ってません。」

そんなお金も時間もない。


大きなキャンバスを持って歩く美術部の子たち。

その姿が羨ましかった。

(お金かかるんだろうなぁ…。)

そう思って見ていた。

私には縁遠い世界。

私はただ毎日を生きるのに必死な、

バイトばかりしている学生だった。


「美大に行けばいいのに。」

先生がそう言った。

(え?)

美大…

自分とあまりにもかけ離れた言葉に、

一瞬思考が止まった。


そんなとこ行けるわけない。

大学に行くこと自体考えられるような家ではなかった。

それに、

父はなぜか私が勉強することを嫌っていた。

「女のくせに本ばっかり読んで、眼鏡かけてみっともない。」

「いずれ、よその家に嫁に行く女に出す金はない。」

そう言っていた。


先生の言葉は嬉しかった。

けど、虚しかった。


その日の帰り、親友と2人でバス停に向かって歩いていた。

同じ町に住む、2歳の頃から一緒の親友。

「先生なんて?」

親友が聞く。

「あぁ…、美大に行ったらいいって。

でもまぁ…、ウチはそんなお金はないから。」

私がそう言うと、

親友は言った。

「悔しいね…。

私が親なら借金してでも行かせてあげるのに。」


親友は、とにかくまっすぐで嘘のつけない子だった。

嘘がつけなさ過ぎて周囲と衝突する。

どれだけ場が険悪な空気になっても、

空気を読んで周囲に合わせ、心にもないことを言うことはなかった。

嘘やお世辞や気休めを言わない。

親友のまっすぐさを尊敬していた。

だから、

その言葉が嬉しかった。


親が認めてくれなくても、

誰も認めてくれなくても、

美大に行くことができなくても、

ずっと私を見てきた親友がそう言ってくれただけで、

絵を描いてた自分が認められた気がした。

(あなたが認めてくれるなら、もうそれでいいよ。)

そう思えた。

自分の好きな人が、

尊敬する人が、

自分を認めてくれる力というのはこんなにも大きいものか。

親友の言葉は、

憧れていた道に進めなかった私の人生を、

ずっと支え続けた。


1つの言葉が一瞬にして1人の人間の心を壊すこともある。

1つの言葉が1人の人間の人生をずっと支え続けることもある。


落ちそうな人を叩き落とす言葉。

落ちそうな人を救い上げる言葉。

言葉は強大な力を持っている。

そして、

自分が放った言葉はいつか自分めがけて飛んでくる。

何年後、何十年後であったとしても、

言葉はずっと自分を追いかけてくる。

時間を超えて、世代を超えて、

追いかけてくる。


自分に戻ってくる言葉が、

自分を救う言葉であるように。

大切な人を救う言葉であるように。

相手を思いやることは、

自分を思いやることでもある。


相手のためだけでなく、

自分のためだけでもなく、

言葉を選んで話すということは、

とても大切なことだと思う。

それがわかっていても、

感情に任せて衝動的に言葉をぶつけてしまうことがある。

だから、

せめて自分の理性が働くうちは、

ずっと気をつけるように、

心がけるようにしたいと思う。

言葉は、

多くの人が使うことができる大きな力だから…




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