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「ホントの歴史」って楽しい!子どもたちの心を動かした話

 前回の記事で「歴史を伝える仕事はライブに似ている。話している自分と聞いてくれる人、相互に刺激を与えあう楽しさがある。」ということを書きました。今回は、そのことを強く感じたできごとについて書きます。

 数年前のこと、ある小学校で出前授業をしました。その小学校の学区を南北に貫くように、一本の道が通っていました。

 北陸道。
 奈良時代に都と北陸諸国をつなぐ道として造られ、人とモノと情報を運んできました。江戸時代には、福井藩主は参勤交代のためこの道を通り、中山道・東海道を経由し江戸へ向かいました。幕府は街道の一里(約4km)ごとに塚を設けて木を植え、行き交う旅人の目安にしました。これが一里塚で、この小学校の学区内にもあったといわれています。

 福井城下から北陸道を北に向かうと、百万石を誇る加賀藩の金沢城があります。江戸幕府を開いた徳川家康は、加賀藩主前田家に対する備えとして、福井に自身の二男である結城秀康を配したといわれます。城下の北東には堀と土居、石垣を備えた堅牢な門があり「加賀口門」と呼ばれていました。それだけ、北方への守りに気を配っていたことが分かります。

 さて、小学校からの依頼は、この一里塚と加賀口門について話をしてほしいということでした。わたしは江戸時代の絵図と現在の地図を並べて、江戸時代の道が、そのまま現在の道になっていることを理解できるよう、資料を用意しました。

左:福井分間之図(松平文庫)に描かれた北陸道。画像上部に「一里塚」として道の両側に木が描かれる。下部に加賀口門。
右:現在の地図。オレンジ色が旧北陸道。図の下部に見える水路(水色の部分)は加賀口門南側の堀の名残り。

 この資料を紹介しながら、わたしは子どもたちに話しました。

「皆さんが普段歩いている道は、江戸時代にお侍さんが歩いた道と同じなんですよ。」

 すると静かに聞いていた子どもたちの雰囲気が、

「!!!!!!」

となったような気がしました。子どもたちの頭の横に「マジで!?」と吹き出しが見えたような、そんな感じ。自分の中で手ごたえを感じた瞬間でした。

 出前授業が終わって何日か経った後、小学校から感想文をいただきました。わたしはその中の1枚に目を奪われてしまいました。

「いまぼくたちがとおっているみちを、むかしおさむらいさんがとおっていたみちときいて、びっくりしました。この話を〇年生じゃない人たちにもおしえてあげたいです。」
 いやー、これは嬉しかったです。自分が伝えたいと感じたことが、相手に伝わった。しかもそれを他の誰かにも伝えたいと言ってくれた。

 これは歴史上のヒーローが大活躍をした、歴史ロマンを掻き立てる話ではない。普通に暮らす分には、まったく気づくことはないけれど、わたしたちの生活の中に確実に存在する「昔ほんとにあったもの」の話。それが小学生の心を動かしたのが心から嬉しかったです。そして、「ほんとにあった歴史」は誰かの心を動かすことができる、という自信になりました。

 こんな経験がまたできたらいいなあ。そう強く思っています。

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