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成長とアウトプットが果たす役割について思うこと

現在、30名近い部員を抱え、日々人材育成の難しさを痛感している。加えて、この数ヶ月間、自分自身の成長Δにも陰りを感じてもいる。

30代、朝7時には会社に到着、23時頃まで一心不乱に働き、終了後、大学院に英語のレッスン…我ながら異常だったと思う。

そんな過去との対比において、今の自分は成長しているのか?と自問自答する日々が続く。

転職後、前職ほどハードではないが、業務上の課題を解決するための読書やセミナー参加などの研鑽の時間も確保し、かつプライベートとのバランスを取りながら生活している。

最近感じていることがある。「インプットとアウトプットのバランスを変えること」が成長につながるのではないのか?「インプットの成果はある一定ラインで飽和するため、それ以上は過剰になるのではないか?」もちろん、何のエビデンスもない。

昔に比べて、役職も上がり、プレゼンテーションやファシリテーションなどアウトプットする場面は各段に増えた。

改めて実感するのだが、アウトプットを通じて、自分の中に「溜まっているもの」を吐き出し、整理して、発信することになる。この時、「溜まっているもの」がインプット(=遺産)になるのだ。アウトプットは自分を深堀する行為であり、インプットがチープであればアウトプットもたいしたものは出てこない。この時、インプットは単なる知識ではなく、経験値が大きな割合を占めるのではないだろうか。この経験値からアウトプットに至るまでに、暗黙知が形式知に変換されるのだろう。

私自身、リーダーとして常に成長している姿、成長を追い求める姿を後進に見せることが一つの役割だと思っている。アウトプットを意識することはその役割を果たすことにおいて極めて大切なのだと思う。

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