「苦しまない死に方」
胃ろう=「胃に穴をあけて専用のチューブを挿入し、栄養補給をする方法」
病院に入院していると、弱ってきて食べ物が食べれなくなってきた方は、「胃ろう」で直接、胃に栄養を送り込んだりもします。
これが、逆流して誤嚥性肺炎の原因になったりもします。果たして、そこまでして、生きる時間を1日でも伸ばす意味があるのでしょうか?!
三宅島では、食べ物を受け付けなくなった人には、水だけを与えるそうです。そうすると1か月くらいは生きて、すっと安らかに亡くなります。
これが、生物の自然な終わり方でしょう。
人間以外の自然生物は、すべてこのような死に方をします。胃ろうまでして生きるのは餓鬼と同じ執着です。
きっと日本は古来から、このような自然な死に方を選択していて、それが三宅島などの僻地には、まだ残っているのだと思います。
本土の方はもう、西洋の考え方に蹂躙され、伝統的な考えが駆逐され、1日でも生きながらえる愚策がまん延しています。
果たしてそれにどんな意味があるのでしょうか。
遺族が、死を1日でも延ばしたいと思う気持ちがあるのはわかりますが、そろそろ人類は、死の恐怖を克服する段階に入るべきだと思います。
長く生きるより、どう生きるか。
死は寂しいけど、怖いものでも、どうにかしてでも避けるべきものでもない。
最期は、人間としての威厳を保ちながら、堂々と自然に旅立っていくのが美しい「死に様」です。
恐怖は逃げようと思うと、どこまでも追ってくるものです。逃げるという策では、恐怖からは決して逃れられません。
恐怖に、「立ち向かう」と覚悟を決めたときに、恐怖は目の前からすっと消えてなくなります。
人類に必要なのは、いつの時代も変わらぬ「勇気」なのかもしれません。
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