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実は、「知らない」ことよりも、「知っている」の方が危険!という話です。

「知らない」と自覚があるという人は、新しいことを受け入れる余地があります。これからいくらでも成長できます。

逆に「知っている」と思っている人は、そこで成長は終わりです。その分野において、それが正しいと信じ込み、新しい情報を受け入れる余地がありません。

知識層と言われる人が陥りやすい罠とも言えるでしょう。
コロナワクチン騒動においても、ホリエモン、ひろゆき、DAIGOなどが、ワクチンを接種しない人を馬鹿にして、いまだにその考えを変えていないように見えるのは良い例です。

彼らは、自分たちは「知っている」と思っているのです。
「知っている」ことが彼らの誇りであり、それが正しいと信じ切っているのです。

哲学の父であるソクラテスは「無知の知」を重要視しました。

「自分がいかにわかっていないかを自覚せよ」ということです。
昔から 「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」の方が罪深く、難しいということなのです。

「発見を妨げる最大の障害は、無知ではなく、
    知っていると錯覚することである。」

           ― ダニエル・J・ブアスティン ―
                      (アメリカ歴史家)

「知っている」と思って良いのは、究極の真理に行き着いたときくらいでしょう。
それ以外の時に、「知っている」と思うことはとても危険です。その時点で、究極の真理への道は、固く閉ざされてしまいます。

人間なんかに、「これこそが究極の真理だ」と100%確信できることなどど訪れるでしょうか?

そういう意味では、謙虚な姿勢でいつでも「私は知らない」という認識を携えながら生きることが、間違わないためにも大切な生き方だと思います。

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