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なぜ人はノートに思考を書き込むと感情が落ち着くのか?

こんにちは。アーティストのノブです。
今回はこのテーマについて書こうと思います。

皆さんはノートを書いたら心が落ち着いたり、スッキリした経験はありませんか?

  • ノートを書く

  • 日記をつける

これらは精神療法の一つとして使われている有名な方法です。

しかしなぜそれがなぜ役に立っているのかというのは明確な科学的分析や構造はわかっていません。

ですが、それが理解できれば、よりやる気が起こると思いますので私なりに解説したいと思います。
しかし最初に言っておきますが、私の理論も科学的なもので証明されたものではありません。しかし、皆さんの理解の参考になれば…と思い、書かせていただきます。

1:『見える化』

これは一般的にもよく言われているメリットです。
ノートに書くことによって視覚で自分の考えを確認することができ、それによって"客観視できるようになる"というものです。
例えば、誰か友達があなたに相談しているという状況に似ていると思います。
友達の相談や話を聞いていると内容にもよりますがあっさりと答えが出てくることがありませんか?
それはやはり他人事であり、余計な感情が入らないからです。
自分事になるとそこから感情だったり、周りの関係性、周囲の目などいろんな条件が重なり、視界がどんどんと狭まり、シンプルな答えが見えなくなってしまいます。
そういった視界の縮小を防ぐためにノートは大きな役割を果たすと言っていいでしょう。
ノートを書くことで「ああ、自分は今こんな考えをしていたんだ。」などと再認識することができます。
また、書いていると「ああ、こういう理由があるからこんな考えをしていたんだ」と、なぜそういう風に考えたのか?その答えになったのか?
ざっくりとですが構造的にわかるようになり、そこで余計な心配が抜けるのです。

ですので、『見える化』はすごく大切な要素です。

2:『言葉の排出』

2つ目は『言葉の排出』です。
先ほどはあなたが相談"された側"の話を例に出しました。
今度はそれと逆の状況で、あなたが誰かに相談や話をした時にスッキリした気分になりませんか?
特に女性は相談しただけでスッキリするということをよく耳にします。
男性は答えを求めてしまうのでそこらへんの差異はありますが、どっちにしても自分一人で抱えるよりは誰かに話した方が気分が楽になることには変わりありません。
それと同じようにノートを書くこともまたスッキリできるのです。
ではなぜこのようなスッキリが起きるのでしょう?
それは"脳の言葉の総数量"が関係していると思われます。
人は日々頭の中で言葉がどんどん生成されていきます。
あなたの中にも雑念が常に頭の中でぐるぐると駆け巡る実感があるのではないでしょうか?
多分人が考えていないのは寝ている時だけじゃないのか?と思うくらい起きている間は何かしらを感じて、考えているわけです。
ですが、寝ている時も脳は動いているので決して言葉の生成が休まることはないのです。
なので私たちはそれによってどんどん脳の中に言葉が溜まっていくんだと思います。そして人はそれによってある程度溜まると限界、もしくは危険信号を発する時がやってくるのです。
そこで不安や恐怖、心配事を感じて、パニックになるのです。

ですから、それを増大させないために、脳に溜まった言葉を排出するためにノートや人に話すことが役に立つのです。
排出すればわかる通り、言葉はどんどん減っていき、やがて限界ラインを下回ります。
そうすると心も軽やかになっていきます。

しかし、このことに反論する人も出てくるかもしれません。

雑念の言葉がどんどん四六時中生成されるのならばノートに書いて排出したってペースが追い付かないじゃないか?という人もいるでしょう。

確かに思考の言葉はノートを書くスピードよりも数段速いペースで生成されます。

書くよりも話す方が早いですし、話すよりも思考するほうが速いです。
なので、生成する速度を考えると一見追い付かないように思えます。

しかし、雑念の言葉が一日中生成されるのは一つのことだけとは限りません。

「明日のお昼はどうしようか?」「明日の晩御飯はどうしようか?」
「明日はどこに行こうか?」「髪をいつ切ろうか?」
「アイス食べたいな。」「旅行行きたいな。」
などと様々なジャンルを次々と考えているわけです。
ですから一つのことだけを考える言葉の生成は速くても、一つ一つを見れば速いペースでつくられているわけではありません。
それだけを見たらノートに書くよりも遅いペースなのです。
それに怖いこともたくさんのジャンルがありますし、イラつくことも楽しいことだって一つだけとは限りませんよね?
それぞれのジャンルが枝分かれしていてそこも含めて脳の言葉は総体的に生成され、溜まっていくのです。

なので何か一つのことが限界、もしくは危険信号が灯るとノートを書いて言葉の排出をすれば脳にたまったものを減らすことができるのです。

そうすると気分も軽くなります。

3:『体感の情報量』

3つ目は『体感の情報量』です。
なぜ多くの人は脳の中で思考がままならないのかというと
"実感がないから"です。
「考える」というのは脳のエネルギーを使っていることしか動作感覚を得ることができません。
(ほかに実感がある人は教えていただけるとありがたいです。)
しかし、人に話す、ノートに書く行為は違います。

まず人と話す行為には、

  • 脳・・・考える

  • 視界・・・別の人を捉えることができる。

  • 身体・・・話すことによって声帯が動き、身体の感覚として話している、排出しているという実感が得られる。

  • 身振り手振りのような動作があればなおさら身体からの情報は増えていくでしょう。

これだけでも「思考」と「話す」では体感が3つほど違ってきます。

では、次にノートを書くというのはどうでしょう。

  • 脳・・・考える

  • 視界・・・ノートを書くことで思考が見える。

  • 身体・・・ペンで書くことによって指先から伝わる実感がわく。

  • マッピングを行えばさらに図形として脳の中で作りやすくなります。

このように話すことやノートに書くことが実感としての情報量が増え、脳に大きな変化や刺激を与えることができるのです。

4:『記憶の節約』

4つ目は"記憶の節約"です。
人はそれをずっと覚え続けるというのはかなりのエネルギーを消費します。
特に新しい情報はそうです。
例えば目の前に食材や調味料が用意されていて、「料理を作ってください」と言われれば多少の知識があれば皆さん何かしらを簡単に作ることができると思います。(美味しい、美味しくないは関係なく)
しかし、すべての食材や調味料を口頭で伝えられて、頭の中で「これらを使って料理を作ってください」と言われたら、ものすごく難しいと思います。

前者が簡単なのは目の前に何があるのか目ですぐに確認できるからです。
覚えてなくてもすぐに目で見ればいいので、記憶力を最小限におさえて料理を作ることができるからです。

記憶力はそれほど脳に負担のかかる作業なのです。

そして、頭の中で考えているというのはこの状況に近いと思います。

暗算だってそうじゃないですか?
数学の問題を暗算で解くよりも式を書いて解いた方がよっぽど楽です。

それと同じなんです。

ですからノートを書くというのは記憶力を節約することで考察力の方に比重を置くことができるのです。

まとめ

『見える化』『言葉の排出』『体感の情報量』『記憶の節約』
こうした4つの条件がそろっているので人はノートに書いた方が心が軽やかになっていくのです。

誰かに話すという行為もノートと同じくらい効果があります。
ですが、それをするにはまず誰かと連絡を取らなければできませんし、そういうのが苦手な人もいます。
しかし、書く行為は違います。ただそこらへんの紙に書いてもいいし、百均でノートを安く手に入れることもできますし、ノートを人に見せる必要もないので、誰でもできる一番手軽で便利なツールなのです。

ですので考えていることをノートに書くことを皆さんもやってみてください。
別に心に問題がなくてもノートを書くと色々と気づけることがあるのでおススメです。

本日は最後までご拝聴ありがとうございました。

またいろんな気づきを書いていこうかと思いますのでよろしくお願いします。


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