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アリスとテレスのまぼろし工場

工場が爆発して、時に閉じ込められた町。

という前情報だけで見に行ってしまった。
あの花とかなんとか、興味がなくて見ていなかった。

閉じ込められた町の中で
外部からまぎれてきた謎の女の子だけが成長する。

毎朝リセットされるわけでもないから、
精神的な成長がないわけでもない。
学校があって授業をしている先生は
教科書終わってしまうじゃないか とふと思う。
毎日買い物に行ったとして、買うものは無くならないのか とか。

その辺が矛盾である。
というか突っ込みどころが満載である。

時々罅が入って現実世界が見えるがそれだけである
神気狼ってなんなんだ。なぜ罅を修復するのか。
圧倒的に説明が足りない。


この罅はきれいだった

政宗の「帰ってこなかった」父親はひび割れて食われたのか。
町が廃墟として残っているなら、町にいた人は
死んでしまった人とそうでない人がいるのかどうか。
時を止めていて、罅を修復していたものは結局何か。

止まっていた時から出た人々はどうなったのか。

もやもやが残っただけだった。


14歳のリビドーとか書いている解説もあるようだが
中学三年はそういう年であるし。
閉塞空間では誰かを好きになるかどうか、みたいなことでしか
変化はないのである。何か変化や進展が欲しいのである。

大人たちは
自分たちはすでに死んでいるという諦念の中にいるのかとも思う。

このいろいろな説明のし残しは、私にとって
感動としては残りづらい気がする。


中島みゆきの「空を信じられるか」という歌い出しは
ちょっと感動的だったけれど。


もうすぐ赤ん坊が生まれるはずだった女性が一番気の毒だった。

そのせいか、最後の赤ん坊の泣き声は
この人が無事出産したのかと思った。

せめて最後のエンドロールで、流れだした時の中で
みんながどうなったかを見せて欲しかった。
浦島太郎が玉手箱を開けたようになるのかどうか。

全然未来が見えなかった。

我々はもう、多元宇宙とかパラレルワールドとかを知っている。

紛れ込んでしまった現実世界の子どもを
ネグレクト的に育つに任せて、
なし崩し的に元に戻す。
それが感動的だとは思えない。
14歳の日々をずっと過ごした子供たちの内面の成長が
現実世界の子どもが育つ時間分必要だったと言われても、
なんだかな と思うのであった。



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