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現代詩手帳

図書館で現代詩手帳を二冊借りてきた。
しばらく前に
同じような書き出しでどなたかが書いていた。

私が借りてきたのは
ジェンダーフェミニズムの特集の八月号と
新鋭詩集の四月号

たまにバックナンバーを借りるのだが
意外と借りる人は多いようだ。

現代詩手帳はところどころ
字がとても小さい。
携帯の小さい字を見づらいと感じる私にはちょっと。

掲載されている詩を読むと。少し背筋が伸びる。
比喩の鋭さが半端ないんですけど などと思う。


ニュースなどで
女子供を大切にしない状況を見るにつけ
(貧乏人は人でないらしい)
何とも言えない気持ちにはなっている。

伊藤比呂美さんの
「女流詩人」でなくてただの「詩人」になりたかった
という言葉に接して
確かにそういう世の中だった と思ったりするのである。


とはいえ
気が付くと「女優」という言い方が明らかに減って
「俳優」に統一しかかっている状況も見える
ことばから変わってくることもあるかもしれないし
変わらないかもしれないけれど。

ひと筋縄ではいかないけれど
けれど
けれど
けれど

変身もできないし、
怒りの鉄拳もふるえないし。
やるせないことである。



ため息ついて、花でも眺める






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