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詩の勉強会

ひとり遊び

時々病気のふりをして布団の中に長くいる
時々元気なふりをして家中点検して回る
誰にも会わない日の「ふり」は
ひとり遊びに過ぎない

カーテンの向こうにはもう一つの細い雨のカーテン
病気のふりがばれにくい日だ
向かいの家の花桃は満開になってしまっただろうか
枝垂れていたので柳かと思ったら葉が丸かったあの木は
花が咲いたりするのだろうか

雨の中
木が生い茂る公園を歩く想像をする
近くに見つけた小さな銀杏並木の新芽を思う
都会のビルのカフェから
窓の下を動く色とりどりの傘の写真を撮る想像をする
ドアを開け水たまりに落ちる雨粒を撮ってみたが
携帯で写すには雨の激しさが足りないようだ

ポットのお湯が沸いた


🔹 🔹 🔹 🔹 🔹 🔹 🔹 🔹 🔹 🔹

指摘されたように直したものをここに載せた。
直されて抵抗があるようなところはなかったので。


先生から言われたことは三つ
最後に近い「携帯」のところ
実は「携帯では無理みたい」と書いたのだがやっぱり駄目だった。
帰ってからそこの一行を思いついた。
いい年して「ムリ」はないだろうと自分でも思う。詩なんだから。

二つ目は、最後に一行置いて、なんとなくまとめる という技法は
それに頼り過ぎてはいけないということ。
確かにね。それでよいと思ってしまうかもしれなかった。

三つめが、「詩の向こうにいる読み手」がどう思うかということを
もう少し考えたほうが良いということだった。
何日か経ったが、まだわからない。
意識し続けることが大切なのだろうが
ある日突然わかったりするのだろうか。わかったらよいと思う。


私のひきこもり生活がおもしろいと言われた。
幸いである。
「ポットのお湯が沸いた」の後に
「ホットケーキも焼けた」と加えようか考えた と話したら
それはそれでおもしろいかも と言ってくれる人もいた。



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