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エビデンスって・・・

エビデンスが必要ってみんな言います。
エビデンス=証拠 しかも、研究による証拠、って思っている人が
しばしばいるように思います。

でも、私の知っているEVIDENCE という英単語は、
むしろ「根拠」という意味なんですよね。

小学生に、あなたがそう思う根拠はなあに?
って先生が聞く、という感じの。

そうすると、年間300人の赤ちゃん親子に30年出会っていて、
赤ちゃん親子を実際に支えてきた実績のある人が、
年々変化していく赤ちゃんたちの状況について、
あれ?おかしいなぁと感じているとしたら、
その「おかしさ」の根拠は、「その人の経験値」なんですよね。
データを集めて、記録して、分析して、ということが、
紙の上(コンピュータの中)でなされていないけれど、

その優れた実践家の脳の中で常に行われて情報が更新されていて、
そこに「ある種のバイアス」がかかることは考えられるけれど、
それは「目の前の赤ちゃん親子の現実」によって常に検証されている。
そういうことが「根拠」となって、実践家の言葉になることがあります。

一方で、
赤ちゃんを1⁻ー2人位しか育てたことのない若手研究者とか、
自分で子育てをしたことのないお医者さんや大学教授が、
統計的に研究手順をきっちりと追って出した研究結果が
研究による証拠、として出てくることがあります。

この2つのどちらが信頼性が高いとあなたは思うでしょうか。

単純比較はできないけれど、
私は、
現場の人の「おかしいな」と感じる感覚が正しい可能性は否定できない
と思います。

かつて、
私の臨床の師匠ー彼の治療によって改善したクライエントは数知れず―が、ある分野でトップと言われる著名な科学者と対談した時に、
「あなたの現場の治療実践に基づく実感は、
 研究者のち密な研究に匹敵する」と言われたという逸話を聞きました。

その後、実際、いろいろな分野の研究論文の査読をしてきた中で、
そもそもリサーチクエスチョンが現場感覚とずれているのに、
統計的な手順が正しいからということで、
その分野にあまり詳しくない人たちが、
難しい言葉の羅列にひっかかって通してしまおうとした場面に
何回も出くわしました。
私が、こういうところがこういうふうにおかしくはないでしょうか、
とかなり基本的なところで指摘すると、
お~~そうか、と皆さん理解して、結果がくるっとひっくり返りました。

私は研究によるエビデンスを強調する人たちに出会うたびに、
そのエビデンスは本当に証拠になっているか、根拠になっているか、
とまず、一度クリティカルに考えてみるようにしています。

何しろ、私の専門分野、心理学の研究論文の大半は追試に成功しない、
という研究論文がいろいろ出ている位です。
私が20代の頃に学んだことが、実は違っていた、ということもあります。

ですから、「エビデンスが必要」と声高に主張する文章を読んだり話を聞いたりすると、う~~~ん、そんなに研究論文による「エビデンス」は信用が置けるものなのかなあ~?と私は疑問に思います。きっとそういう方たちには、この私の文章そのものが不快で信用できないものだと思いますけれど、

でも、エビデンスが必要、お前はエビデンスを持っているのか?と言われるたびに戸惑い、一挙に自信を無くしてしまう現場の皆さんのために、書いておかないといけないと思います。

皆さんの持つ「根拠」を大切にしてください。
一回限りでなく繰り返し感じる「実感」を、事実に即して客観的に捉える訓練をしてください。そして、実際に変化があったということを大切にしてください。

そうして、少なくとも私は、現場でこつこつと実践を重ねてきた人たちの言葉にまずは真摯に傾ける耳を持ち、一方で、単なる現場主義ではない明白な根拠があるかどうかをしっかり確認する頭を持っていたいと思っています。

#エビデンス #証拠 #根拠 #実践 #研究 #一般社団法人ジェイス #おかしさ


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