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動物の世界でも、弱者や敗者が生き残る道がしっかり残されていることが、近年わかってきました。

動物行動学の研究者で、生態科学研究機構 理事長の新宅広二氏は、2022年
2月25日、FBで下記の通り、記しておられます(ご本人の了解を得て、転記させていただきます)。

<仮定と現実>
1.家庭に問題があり、度を過ぎた暴力沙汰をくり返す児童がクラスに1人いたとする。
2.彼を除いた学級会で、彼とは話し合わず全員で無視することを決めたとする。もし彼とこっそり話した子がいたら、同類とみなし無視をするのが当然の空気になったとする。
3.孤立から彼の暴力がエスカレートし、もてあました学校側は登校禁止という制裁をしたとする。あとは警察に任せると職員会議で決め、保護者らも同意したとする。

Q.さて、この暴力児童を更正させるチャンスは、どこにあるでしょう?
教員やクラスメイトとして対応に誤りがあるとすれば、どこでしょう?
そしてこの暴力児童は、これからどこに行くでしょう?
はたまた、被害者の安全を優先し、ベストを尽くしたので、対応に問題なし...でしょうか?🤔

いかがでしょうか。私は大切なご指摘だと思いました。

この話を、臨床心理学の立場から、わかりやすく解説した文章が、こちらに出ています。「ピノキオから少年へ」(村瀬嘉代子著)です。

解説はこちら。

かつて所属した大学の授業で、教育相談について扱うときには必ずテキストにしていました。一人の少年がなぜ、学校で乱暴者なのか、みんなに受け入れられないでいる彼はどのように救われ、どのように変化していったのかという事例です。

さらに、退職間際の授業では、マイケル・ムーア氏の映画「世界侵略のススメ」のノルウェーの刑務所制度についての部分を見て、3回位かけてこの問題を扱いました。いじめなど、学校で起きている子どもたちの問題解決を扱うときに、教員志望者にとって避けて通れない思考課題だと思っているからです。こちらは、その一部です(理解していただくためには、全部を見ていただく必要があると思います)。

ピノキオの話は、一人の個人の更生の物語でしたが、こちらは国家を挙げて、国民の協力を得て犯罪者を更生させようというより大きな物語です。

平和学の始まりの地であるノルウェーでは、犯罪者に対して、制裁ではなく、刑期の間、市民として安全にしっかり暮らせる機会を保障することによって、更生を図り、恨みや怒りを持たずに社会復帰できるようにするという方針をとっています(犯罪被害者には、別途、さまざまなケアが行われています)。

そんな「理想」を揺るがすような事件も、近年のノルウェーでは起きてしまったのですが、それでも「理想」「平和」に向かって国民は議論を続けています。

参考)


さて、元に戻って、新宅氏はさらに、こう続けます。

 学校で見られる身近なトラブルと、国家間の付き合い方のトラブル・対処まで、本質の歪んだ構造が同じように感じました。
 誰があっち向いた子供に、正しい道を教えてあげるの?
 答えはひとつではないと思いますが、少なくとも私は、警察・軍隊の仕事や、制裁(という名の嫌がらせ)の成果が、この難題の〝ゴール〟や〝解答〟では無いと思います(〝制裁〟も正義の名のもとに、広義の間接的な暴力の部類で〝教育〟とは言えない)。
 というか、そうでありたい、そうであって欲しい...。

そこで私は新宅氏にうかがいました。

 生物は自分たちが自滅しない方法を選ばないんでしょうか。

そして、続けました。

 強さや成功が正義であるという発想を学ばないようにコントロールするのが、人間の学校という場であってほしいと願っているのですが、その逆が続いていますね。

新宅氏からの返信は以下の通りです。

〝強さや成功が正義であるという発想を学ばないようにコントロールするのが、人間の学校〟かぁ...。漠然と言葉にしたこと無かったけど、命題はズバリこれですね。教育者は、これを明確に意識して仕事するかどうかで、〝作品〟の仕上がりが変わってきますね。
 強さ、成功、多数派帰属に、己の安息を求めるのは、実にプリミティブで動物的な感覚だと思います。19世紀のダーウィン進化論も、そういう体験的な部分が安易に共感しやすいので、多くの人が〝弱肉強食〟的な誤用として流布しました。
 ところが実際には動物の世界において、弱者や敗者ですら生き残る道がしっかり残されていることが、近年わかってきましたし、私もいろいろ見てきてそう思います。よく考えればわかる話ですね。この世を設計した神様は、けっこう雑ですが、とても寛容です。
 生きることに関して、存在意義や役割など、全く必要ないのです。仲間のために役に立たなくても、生きる目標が無くても、みんな生きていて良いのです。
 動物を手本にするのなら、こんな感じです。ただ、そのへんが今、迷子になっている動物が人間ですね...。
 (FBのやり取り終わり)

 きっと多くの方が、直感的に「この発想には無理がある」「現実にはあり得ない理想だ」と流してしまうでしょう。それでも、踏み止まって下さる方たちに、上記に挙げた資料を参考にするなどして、じっくり考えていただければ、ワークショップを開いていただければと思います

 なぜ、人を殺すようなことをする人間が生まれてしまうのか。
 なぜ、そういう人が、しばしば国家のトップに、国民によって支持され選ばれてしまうのか。そういう人を選ぶ国民を多数育て上げていく教育や生活や仕組みはどのようなものか。

 生まれたときから、人を殺すことを正義と考えている人間はいないのですから、どこかでそれが正しいと学んだのです。あるいは正しくないとしても、やむを得ずでもそうしなければ課題が解決できないと学んだのです。
  つまり、そう教えている社会があり、教育があり、日々の生活実感があるのでしょう。

 私たちはそれを変えていかなければならないと私は思います。
 日々の生活の中で、大人が子どもたちに伝えていかなければならないと思うのです。
 それは、どこの馬の骨ともわからないような、草の根の一人ひとりが、気づいたときにすべきことです。気が付いた人たちが、あきらめずにバトンをつないでいくしかないのです。

 共に動いてくださる人が一人でも多く増えますように。

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