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セミナー参加メモ:「工芸/民藝」と「デザイン」その交点を探る

セッション概要
「デザイン」の領域がますます拡張するいま、「工芸/民藝」と重ね合わせることで見えてくる景色とはいかなるものでしょうか? 伝統的なものづくりの世界にサービスデザインの視点を取り入れ、地域資源を活用した文化体験に取り組む田房夏波さん、哲学者として単なる造形を超えた民藝の心性を探求し、全国各地の伝統工芸の現場へのフィールドワークも重ねる鞍田崇さんとともに、単なる意匠にとどまらない工芸/民藝とデザインの交点を探っていきます。

主催者:designing

 セミナーの構成としては、最初の1時間半に鞍田さんと田房さんがそれぞれのライフワークと「民藝」との交点を語り合い、後半の1時間で参加者から受けた質問を軸にお二人が議論する鼎談形式の講演となっていました。

セミナー参加の目的とメモ作成の趣旨

 今回のセミナーに参加した目的としては、後ほど具体的に書きますが、お二人のご意見を伺いたいと思った質問があったからでした。結論から言えば、当方からの質問については、質問の意図と背景を十分に説明できなかったこともあり、残念ながら噛み合った議論にはなりませんでした。ということで、セミナーの内容のまとめ、というよりは、これを機に自分で調べたことや考えたことを併せてメモしておこう、という趣旨になっています。

「民藝」とは

 「名も無き作り手」が、あくまでも実用品として作った工芸品が持つ「用」の美、それが柳宗悦の見出した「民藝」という新しい美の概念です。それまでは、名のある工人や美術家が意匠を凝らし贅を尽くして作成した工芸品が美しいとされていたのでした。こうしたいわゆる「上手物」に対して、日常に使われる雑器である「下手物」の中にこそ美が見出される、というのが民藝運動の思想です。もちろん、日常に使われる工芸品の全てが美しい、と言っているわけではありません。一定の審美眼に適うものだけが美とされるのです。ただし「民藝」の美は、複雑な技巧や難解な作為に依るものではなく、「用」に即した必然の誠実で安定した姿として顕れます。従って、そこでは「銘」や「箱書き」など権威による箔付けは無用です。

民藝運動における課題

 ところが、民藝運動が力を得てくるにつれて、民藝そのものが権威化してきます。そのリスクは常にあるでしょうし、実際にそうした批判もあります。そこで、鞍田さんのように根本に帰って、工芸品である民藝を生み出す地域やそのコミュニティーとの関係性を通じて民藝を捉え直していく試みも生まれています。また、田房さんのコメント「自分としては、民藝の全てが『良いもの』ではないし、評価されていないものにも『良いもの』はある、と思う。」のように、権威に影響されない独自の価値観を大切にすることも重要でしょう。

 「工芸/民藝」は背景として、伝統的な技能、さらには物造りが行われる地域やコミュニティーなど独自かつ豊穣な培地を持ちます。それらは「工芸/民藝」の持つ創造性の源泉であると同時に、ある面では制約や「縛り」にもなります。その点が、クリエイティブな活動としてみた場合に、一般の領域で行われる「デザイン」の活動との重要な差異になるように思います。このような「工芸/民藝」の持つ独特の規範や規制の概念は、新たな創造の余地を制限することも、逆に拡大することもあるでしょう。

「工芸/民藝」における道徳と倫理の問題

 このような問題については、京都大学の山内裕さんが最近の論文で、九州日田地方の陶芸である小鹿田(おんた)焼きを題材に論じていました。その論文では、これら規範や規制の概念を道徳と倫理としています。結論としては、道徳は歴史的な原則の実践的な適用と発展を「善」としており、未来に向かって閉じた概念であるとしています。一方で倫理については、予期せぬ展開に取り組む意欲を「善」とすることで未来に向かって開かれている、すなわち将来に向けて新たな創造の余地を拡大する可能性が指摘されています。ただし、私としては「道徳」と「倫理」の概念と具体的なイメージが十分に理解できませんでした(要は、論文の趣旨が全く理解できていません)。そこでお二人に、「工芸/民藝」における道徳と倫理についてそれぞれをどのように捉えているか、また、それらが「工芸/民藝」と「デザイン」とのつながり(新たな創造性の余地、と言い換えられるかもしれません)にどのように関係すると考えるのか、をお聞きしたかったということです。

登壇者からの回答

 ここでの道徳や倫理とは、いわゆる社会課題などに対する姿勢ではなく、あくまでも作り手が職人(Artisan)として自らに課す/求められる規範や規制、例えば手仕事や伝統的な技法へのこだわりなどを指していると思われます。その前提で、鞍田さんは、民藝と地域コミュニティーとの関係について具体例を挙げ、民藝がコミュニティーとの関係性を通じてどのように創造的な活動を行って行くのか、という観点から解説をされていました。特に道徳と倫理とを区別するという論点ではなく、コミュニティーが創造の源泉である部分とコミュニティーに向けた創作という範囲性、という内容と理解しました。田房さんは「伝統的技能や技法などを保存する意義については特に支持していない」(工芸/民藝における規範や規制という論点選定には同意しない)とお断りされた上で、冒頭で論じられた「文化の盗用」の論点から、創作物の商業的な利用と経済的な成果配分の新たな枠組みを通じて、民藝が創造的な活動を拡大する可能性を論じていました。

感想:「工芸/民藝」と「デザイン」の関係について

 田房さんは冒頭の講演の中で、「『デザインとして、工芸/民藝から何を持ち帰れるか』という視点には危険性が伴う」との指摘をされていました。これは重要な論点ではないかと感じました。確かに「工芸/民藝」は独自で豊穣な背景を持ち、その成果物は「デザイン」に対しても新たな創造性の源泉を提供する可能性はあります。しかし同時に、「工芸/民藝」は伝統的な技能や地域コミュニティーなどへのコミットメントなど、独自の規範や自己規制の上に成り立っていることも事実です。創造的な活動として、「工芸/民藝」と「デザイン」は同じ条件の下にはありません。その中で、「デザイン」として商業的に「工芸/民藝」の成果を利用することは、経済的な成果配分の問題だけではなく、伝統的文化や地域コミュニティーの基盤を崩壊させるリスクをもたらすかもしれません。「デザイン」の立場からは、新たな価値を生み出せなくなった遺産的な文化を再利用し活性化する、という正当な目的と動機はあります。一方で、そのように決めつけてしまうことで、私たちが享受している多くの身の回りの文化の形を作り出してきた源泉を崩壊させ、将来に向かって開かれた貴重な創造性の機会を永遠に摘んでしまうことになるかもしれません。

登壇者紹介

鞍田 崇

哲学者 明治大学理工学部 准教授。1970年兵庫県生まれ。哲学者。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。現在、明治大学理工学部准教授。近年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、現代社会の思想状況を問う。著作に『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会2015)など。民藝「案内人」としてテレビ番組「趣味どきっ!私の好きな民藝」(NHK-Eテレ)にも出演(2018年放送)。

田房 夏波

1988年大阪生まれ。神戸大学国際文化学部卒業。英国Royal College of Artサービスデザイン修士課程修了。2011年に総合化学メーカーに入社し、経理や経営企画にて管理会計に携わった後、2015年に伝統産業の領域で事業を展開する株式会社和えるへ。自社ブランドの京都直営店の立ち上げ、ホテルの内装企画、学校や企業向けの教育プログラム開発など、日本の職人の技術や素材を活かした新規事業の推進に西日本事業責任者として従事。現在ロンドン・京都を拠点に、地域で受け継がれてきた知恵から学び、現代の実践に活かすための体験プログラムを提供するLocal Wisdom Hubの立ち上げに取り組んでいる。

2023年9月23日

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