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どうか、我が子を・・・

芸術家が、自己の最高作品を生み出す瞬間に感じたとする感覚には、文化・習慣・言語などの違いがあるにも関わらず、世界中に共通性を見出すことが出来る「神が降りてきた」、「神と一体化した」、「神に揺さぶられた」などなど、がそれである。

ここで、非常に不思議な現象がある。上記の言葉を発する芸術家には、日本人がよく言う、「無宗教」の人々も数多く存在する。 つまり、神や仏、自然崇拝なども含め、日常生活での信仰意識を持たない芸術家であるにもかかわらず、これらの経験をしているのである。芸術家は「格好つけ」のために神や仏を利用しているのであろうか?いや・・・そうでは無いらしい。日常的に祈りの行為をするしないにかかわらず、芸術家たちは、作品作りの際に、「信仰体験」をしていたのである。

これが、「祈りの元型」とも呼べる出来事である。


ここで、最愛の我が子が、命にかかわる突然の事故や病気に遭遇した際、「母親」が無意識に、又、反射的に行う行為・心理的行為について考察してみよう。 信仰の有無にかかわらず、「どうか、我が子を・・・」と母は祈り始める

なぜなのだろう・・・信仰を持たない母が祈り始めるのは。母は何に対して祈り始めるのであろうか?ここに、信仰・宗教性と母性とのと深い関連性、つまり「人としての本能」が存在しているのである。ここで言う「本能」とは動物学的なものだけで無く、社会の中で生きていくという「人」としての本能である。

創造し、産み出すという行為は、「母性的行為」とも呼べるであろう。芸術家、いや、人間は「母性」・「祈り」との関わりがとても深いのである。 母性に関しては普段の「意識」の範疇での認識が可能だが、「祈り」は、普段は無意識・深層意識の領域に眠っているのである。特に、現代人は 「生死」にかかわる出来事や、「生命」に関する重大事項を経験しないと、「自分の中に信仰心がある」とは、よもや思ってもいないのであろう。

自分の中の信仰心


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