見出し画像

【民俗学漫談】ねっこにゃ!

飼い猫の始まり

猫が人類と暮らし始めたのはいつ頃からでしょうか。

約9500年前のキプロス島の遺跡から、今の飼われているような猫(イエネコ)の痕跡が見つかっていますから、1万年前くらい、新石器時代には飼われていたようです。
キプロス島には、野生のネコ科の動物はいなかったことから、人類が持ち込んだものとされています。

中国でも五千年以上前の遺跡から猫が人類と暮らしていた痕跡が発見されています。

新石器時代には、狩猟(しゅりょう)とともに、農耕が行われ始めました。
農耕の始まりは、二万三千年前のガラリヤ湖畔の痕跡が最も古いとされています。
中国では、約一万年前の長江流域、肥沃な三角地帯では、九千年程度前の農業の跡が見つかっています。

農耕(農業と牧畜)を開始することによって、狩猟よりも人類は安定した食料獲得手段を得たわけです。
食料が増えれば人口も増える、人口も増えれば労働人口も増えるわけですから、文明も発展する。

農業の中心は穀物です。
穀物は人間にとって必要不可欠なエネルギーの元になる炭水化物を供給できる大切な食糧なのです。
また、穀物は貯蔵できますから、一年を通して、食料を得ることが可能になったわけです。

ところが、貯蔵しておくと、そこに餌があるわけですから、鼠がやってきて食べてしまう。

人類は困ったわけですよ。

そこに通りすがりのヤマネコが通りかかる。
猫ですから鼠は獲物にしか見えないから、とって食う。

そして、ここが人類にとって感激なところなんですが、猫は鼠を食べてしまいますが、穀物には手を出さなかったんですね。

鼠は雑食性ですが、猫は肉食なので穀物は餌に見えなかったんですよ。

この習性を人類は大変ありがたく思いました。

主食を守ってくれるんですよ。ただで。財産の番人に見えたわけです。

雑食性の動物は穀物も食べてしまいますから。

そこで人類は猫を大切に扱うようになる。もともと山谷で鼠や兎を取っていた猫も人の近くに住みつくようになる。

穀物があるから鼠も来ますからね。猫も餌には困らないし、なんなら人間もくれるわけです。
人間に飼われていた猫は、どうも穀物も与えられて、食べていたようです。

こうして、猫は人間とともに暮らし始めました。

イエネコの祖先とされるリビアヤマネコです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:AfricanWildCat.jpg

その辺の公園にいても、普通の猫にしか見えませんね。
元々、中東の砂漠地帯にいた猫の祖先は、水分摂取が少なくとも生きていけるように、おしっこを濃縮して出すんですよ。
それで、猫のおしっこは臭うんですね。
というわけで、猫を飼う際には水の飲める場所を増やしてやるなど、水を飲んでもらう工夫もしないといけません。

ネコ属には、他にも何種類かいるのですが、このリビアヤマネコだけが仔猫の頃から飼うと人間に懐くんだそうです。

こちらは、ヨーロッパヤマネコです。漫画みたいな顔をしていますね。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Felis_silvestris_silvestris#/media/Fichier:Felis_silvestris_silvestris.jpg

ヨーッパの猫はヘーゼル、緑色の目をしています。

特に、人間が猫の習性を変えたわけではないんですが、今でも『イエネコ』という種として人間と暮らしているわけです。

猫は『自分の習性を変えずに人間と共生している唯一の動物』などと称されます。
逆に、野生から最もかけ離れた家畜が蚕です。
蚕は、まったく野生で生きていけません。
蚕の餌は、桑の葉でして、それしか食べないのですが、仮に、飼育している蚕を桑の木に留まらせてやっても、全く自分で葉っぱのとこまで行こうとしません。
さらに、木にしがみつく力も弱く、そのまま地面に落ちて鳥の餌になるだけです。

蚕もまた鼠が狙うために、江戸時代には、養蚕農家から、猫は貴重な存在、守り神として扱われていたのですが、野生に最も近い家畜が、野生から最も離れてしまった家畜を守るというのも不思議な話です。

猫を家畜と称するのは違和感があると思いますが、家畜の定義としては、人間の生活に役に立てるために、馴化(じゅんか)・飼養される鳥獣の事であります。

それほど猫は、野生に近い状態で人間と暮らしているのです。

古代エジプトの飼い猫

紀元前三千年の古代エジプトになると、いよいよ猫を都市文明の中で飼い始めるようになりました。

猫が机の下で魚を食べています。
都市部の民家で猫がすでに買われていたのでしょう。
歴史上もっとも古い猫の絵でしょうか。

紀元前15世紀くらいの壁画

昔、家で買っていた猫はなまり節が好物で食っていました。
食っているときに『ワウワウ』と『モウモウ』の中間みたいな声を出していましたが、あれは餌を食べているときに、周囲を威嚇してるんだそうですね。

古代エジプトは、大規模な国家でしたから、小麦や大麦などの栽培された穀物を集めて、保管するわけです。
当然鼠が出てくるために、猫の出番となる。

第一王朝の時代に猫は毒蛇からファラオを守ったとのことから、王宮においても大切に扱われるようになりまして、国外への猫の持ち出しも禁止されたくらいでした。

古代エジプトの猫は大変なんですよ。穀物を守るために鼠を狩るだけではなく、コブラやサソリなどの毒のある生き物とも戦っていましたから。
そこは肉食獣なので猫の方が強いんですけれども。
まさに守護者です。

そのような役割から、石棺にも刻まれています。

アメンホテプ3世とティエ王妃の長男であるトトメス皇太子の猫の石棺(BC14)

エジプトと言えば、猫の姿をした神様まで残されているのですが、初期においては、マフデットという神様が、ファラオの部屋をヘビ、サソリ、悪から守る存在としてあがめられましたが、頭はチーターでした。

https://en.wikipedia.org/wiki/Mafdet

第二王朝に入ると、人身猫頭で描かれるバステト神が信仰されるようになりました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bastet#/media/File:Bastet.svg

初期の段階においては、頭がライオンでした。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bastet#/media/File:Wadjet_N5139_mp3h8831.jpg

それが猫に変化します。
もともとローカル的に崇拝されていたものが、国家的に崇敬されるようになる過程で、獰猛な強さから、優しい守護者としての神として変化してゆきました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bastet#/media/File:Bastet_dame_katzenkopf.jpg

手には、シストルムという楽器を手にしています。
ガラガラですね。
シストルムは神聖な楽器で、宗教儀式に用いられていました。

特に母猫は仔猫の世話を良くしますから、その愛情あふれる姿を古代エジプト人が崇敬の対象に移したものと思われます。
また、猫は仔猫をたくさん産みますから、豊穣の女神としても崇拝されたようです。

猫の豊穣性、愛情、保護者を象徴する銅像です。

https://en.wikipedia.org/wiki/File:Late_ancient_Egyptian_bronze_statuette_of_a_mother_cat_nursing_her_kittens,_dating_c._664_%E2%80%93_c._332_BCE,_Eskenazi_Museum_of_Art.jpg

青い猫です。古代エジプトは青いカバの像をお守りとしていましたが、猫もあります。

https://en.wikipedia.org/wiki/Cats_in_ancient_Egypt#/media/File:Cat_figurine_MET_vs26.7.902x.jpg

猫のお守りです。猫は造形からしてかわいいですから、お守りもしぜんとかわいいものになってしまいますね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Cats_in_ancient_Egypt#/media/File:Cat_amulette-E_10661-P5260433-gradient.jpg

古代エジプトは、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスによって『エジプトはナイルの賜物(たまもの)』と呼ばれたように、ナイル川のもたらす肥沃な土地によって世界四大文明の一つであるエジプト文明は発展したのです。
ナイル川は毎年7月に氾濫を起こしていましたが、その氾濫のたびに下流に肥沃な土を運んできたのです。
それによって豊かな小麦、大麦の収穫がもたらされました。
氾濫と言っても、急激なものではなく、緩やかな水位上昇なのですが、このナイル川の性質、氾濫はすれども、恵みをもたらしてくれるという性質が、死と再生、荒々しさと優しさと言う両面を備えたエジプトの神々に映し出され、その性質は猫の持つ両面性、温厚さと野性味と言う両義的な性質と重ね合わされたのではないでしょうか。

バステト神の銅像

イスラム社会の猫

イスラム社会においては、預言者ムハンマドが猫好きだったとされています。
ムハンマドは『ネコへの愛は信仰の一側面である』と言い切ったくらい猫が好きだったようです。

ムハンマドが飼っていた猫はムエザと言ったそうなんですが、次のような逸話が伝わっています。

ある日ムハンマドが礼拝に行こうとすると、着ようと思っていた服の袖の上でムエザが眠っていた。ムハンマドはムエザを起こすことを忍びなく思い、服の袖を切り落とし片袖のない服で外出したという。ムハンマドが礼拝から帰るとムエザは会釈して迎えた、ムハンマドはムエザを3回なでたという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%A8%E3%82%B6

猫は、きれい好きなところから、神聖な動物とされているようです。
猫は起きている間、ずっと毛づくろいをしているんじゃないかっていうときがありますからね。全身、くまなく毛づくろいをしています。
トイレが汚れていたら、我慢したり、他でしてしまうくらい綺麗好きです。

猫が書物を鼠から守るために、イスラム社会では書物と同時に猫が描かれることが多い。
イスラム社会に限らず、図書館や美術館で猫を飼っていることもありますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%83%8D%E3%82%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Interior_of_a_school_in_Cairo_(detail).jpg

古代エジプトでもイスラムでもキジトラが多かったようです。

中国の猫

中国で猫が飼われ始めたのはいつ頃か定かではありませんが、5000年前の遺跡から猫の跡が発見されているようですが、これは今のイエネコではないようです。

イエネコが中国に来たのは、西暦8世紀ごろにシルクロードに猫の痕跡が発見されたそうですから、遅くとも8世紀には中国に住み着いていたものと思われます。
中東からシルクロードを渡ってきたんですね。

次の絵は10世紀のものですが、美女のもとで猫が蹲っています。

周文矩 仕女図(部分)

文学では10世紀の徐鉉が著した『稽神録』に、猫が雨と遊んでいるうちに猫の身体が伸びていき、遂に龍となって雷雨の空に飛び去っていったという話(唐道襲)も伝わっています。

中国語の音では、「猫」は「耄(mào/ボウ/老)」、「蝶」は「耋(dié/テツ/80歳)」で「耄耋」に通じるため、「富貴」を表す牡丹と共に、「牡丹にとまる蝶を見つめる・または蝶と遊ぶ猫」という画題が長寿富貴を願う吉祥画『耄耋富貴図』として成立した

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B3%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96

猫が『にゃあ』と鳴くのは、人間の気を引こうとしているらしいですね。
自然状態の猫はあの鳴き方はほとんどしません。仔猫が母猫の気を引くときに出す鳴き声らしいです。

日本の飼い猫

日本に猫が来たのは奈良時代に仏教の経典の番人として渡来してきたことが始まりとされていましたが、弥生時代の遺跡から、猫の足跡が見つかったらしく、農耕の伝播とともに猫も日本に来ていたのでしょう。

奈良時代、仏教が盛んになるにつれ、経典や仏像を鼠から守るために、お寺に猫が飼われていたものと思われます。

文献に猫が登場するのは、平安初期の日本霊異記(りょういき)ですが、こちらは猫に転生する男の話でして、実際の猫の描写が始まるのは平安中期以降になります。

平安時代になると猫のかわいさに、暇を持て余した貴族たちが気づいてしまいまして、今に残るような文学作品にも猫が登場してきます。

枕草子第七段「上にさぶらふ御猫は」には命婦の御許という名前の猫が出てきます。文献に飼い猫として出てくる最古の例となっています。
命婦の御許(みょうぶのおとど)は、平安時代の一条天皇の飼い猫で、乳母までつけられていました。
ファッションデザイナーのカールラガーフェルドは飼い猫に専属メイドを2名つけていたらしいですが。

『命婦』というのは、従五位下以上の位階を有する女性であり、『御許』は高貴な女性の敬称でして、この猫は貴族の階位を授かっていた上に、本名ではなく、敬称で呼ばれていたんですね。

当時は、従五位下より上の位でないと宮中に上がれませんでしたから、天皇の猫としては位階が必要であったわけです。

また、人の本名というものは、その人物の霊的な部分と結びついているがために、その名を知られるということは、支配されることにつながるという信仰から、名を呼ぶことを避けるという風習がありました。

この猫も、本名があったのかわかりませんが、諱(いみな)で呼ばれていたんですね。

源氏物語第34帖若菜上には、小さな猫が大きな猫に追いかけられて、猫の紐が引っ掛かり、姫君のすだれがからげ上がってしまうというエピソードもあります。

更級日記の中にも猫のエピソードがあります。

五月の夜更けに猫がのどかに鳴いている。かわいらしい猫であったので、飼うことにしたところ、大変懐いて、寝る時も一緒に寝てくる。
餌も汚れているものは食べない。
作者の姉が病で伏せることになって、猫を北の部屋に閉じ込めてると、たいそう寂しそうに鳴く。
ある夜、猫が姉の夢に出てきて、『自分は大納言の娘の生まれ変わり』と告げる。

猫はその習性から、不思議な生き物と思われていたようです。
熊や猪に転生した話なんて聞きませんからね。

平安時代末期になってくると、絵画にも猫は登場してきます。

日本で最も古い猫の絵は平安末期の『信貴山縁起絵巻』と言われています。

『信貴山縁起絵巻』「尼君の巻」

真ん中上あたりで、机の上で眠っていますね。
この猫は黒斑(くろぶち)と言われていますが、私はこの猫はキジトラだと思います。
筆の運びで黒く塗っているだけで、尻尾の模様、目の下の薄墨で描かれた模様、目尻から頬の上に引かれたキジトラ猫特有のクレオパトララインと思(おぼ)しき筆の運びから、この猫はキジトラだと思います。

黒斑(くろぶち)の猫は、はっきりとした白と黒で被毛が構成されていますし、黒斑の尻尾は真っ黒、目尻に頭の上とは別の黒斑(くろぶち)はありませんし、目の下に灰色の被毛もありませんから。

猫の被毛の特徴は、尻尾にはっきりと出るものでして、キジトラは縞模様になりますし、黒斑や黒猫は、黒になるんですね。

何で尻尾に色柄の特徴が出るのかと言いますと、猫の被毛の遺伝子は、上良ら順に出るらしいんですよ。
頭や背中、尻尾から、順々に色柄が出て、それが下へ向かう。
斑猫の場合は、黒い部分が途中で止まってしまったんですね。
だから、途中から白になる。
キジ白もそうですね。
いわゆる『靴下猫』、足だけ白いキジトラは、その遺伝子が足首で止まってしまったから、あんなにかわいい模様になっているんですね。

三毛猫の場合は、尻尾が茶と黒になります。

そういうわけでして、キジトラではないかと思います。

ただ、額の部分、ハチワレのようになっていて、真ん中が白くなっているのと、鼻の頭が黒いのは黒斑の特徴ですから、何とも断定しかねるところではあります。
鼻の頭は、モノクロで描いている以上、鼻を表すのに、墨を置いただけかもしれませんが。

ただ、やはり、ハチワレや黒斑の猫の尻尾は縞模様にはなりません。

キジトラが途中から白くなる白キジと言う可能性もあります。
キジトラだとは思いますが、絵だけで判断すれば白キジでしょうね。
白キジも目の下に掃いたような模様があるのもいますから。

猫の飼育例としてのわが国最古の記録が、平安時代の889年(昌泰2年)の宇多天皇による黒猫の飼育日記(889年)でして、わざわざ『唐土渡来の黒猫』と書かれているんですが、私としましては、この猫もキジトラなのではないかと踏んでおります。

平安時代の頃は、まだほとんどキジトラというか、キジトラしかいなかった気がするんですよ。

キジトラ以外の猫が日本に現れたのは、何となくですが、15世紀16世紀以降な気がします。

昔の日本では、キジトラも黒猫と呼んでいた節がありまして、夏目漱石は例の猫を飼っていたのですが、それは弟子の話からすると、キジトラだったらしいんですよ。
ところが、女中のおばあさんは、その吾輩は猫を称して、見事な黒猫と言ったそうなんですよ。

そのようなわけで、昔の方は、キジトラを黒猫と呼んでいた節があります。
キジトラも、光の加減で体が黒っぽく見える時もありますからね。
また、昔の人の色彩感覚は、今とは違うのと、今ほど色や柄の名前にこだわる人は少なかったということもあります。

平安時代の猫もかわいいですね。これを見ると、貴族の屋敷ではなく、民家にも猫は住み着いていたということがわかります。

続いては、有名な鳥獣人物戯画です。

『鳥獣人物戯画』甲巻

猫が蛙と一緒に貴族のまねをしていますね。
誇らしい顔をしています。
目も『猫』と言う感じのアーモンド形の大きなつり目をしています。
キジトラは、今でも祖先猫の血を色濃く受け継いでいますから、猫の典型例みたいな顔をしています。
昔の人は観察力があります。

この猫もキジトラですね。尻尾も長いです。
目尻のクレオパトララインもわかりやすく書かれています。

昔はほとんどがキジトラだったという話もあります。

中世の風俗が良く描かれている石山寺縁起絵巻にも猫が登場します。

『石山寺縁起絵巻』

左上、藍染の暖簾のもとに蹲(うずくま)っています。

この猫もキジトラですが、赤い首輪をつけて、紐で繫がれています。
平安時代に宮中で飼っていた猫は、「唐猫(からねこ)」と呼ばれまして、中国から輸入された貴重な存在でした。
中世になってからも、猫は益獣として、また愛玩動物として貴重な存在でして、逃げないように、また、盗まれないように紐につながれていたんですね。

三雲家文書によれば、天正十九年(1591)に、聚楽第の城下へ『猫を盗んだり、他で買われている猫を取ってきたり、猫の売買』を禁止するお触れが出たそうです。
西洞院時慶の日記『時慶記』によれば、慶長七年(1602年)八月中旬に『洛中の猫の綱を解き、放ち飼いにすべし。同じく猫の売買を停止すべし』と高札が立てられまして、猫が解き放たれました。

「一つ、洛中猫の綱を解き、放ち飼いにすべき事…猫なのめならずに喜ふで、ここかしこに跳び廻ること」

これによって、鼠の害が激減したそうで、困った鼠が和尚に相談するなんて言う話もあります『猫のさうし』。

『猫のさうし』の猫ですが、尻尾が長いです。江戸時代に描かれた猫は尻尾が短いのですが、この猫は長いです。
『猫のさうし』は、江戸初期に描かれたものですから、まだ、尻尾の長い猫がほとんどだったのではないでしょうか。

精霊としての猫

猫は、蓄えられた穀物や経典、書物などの紙や織物用の蚕から鼠を守る益獣として、また毒蛇や疫病を防ぐ役割を重宝がられ、その信仰は、王宮から農家にまで広まり、豊穣や富の象徴としても扱われていました。

穀物を守ることから、穀物霊としての性格を帯びていました。

鎌倉時代には、金沢文庫という貴重な書物を集めた建物が、当時の中国である南宋からやって来た猫によって典籍を鼠から守っていました。

最初の方で、猫が飼い個を鼠の害から守っていましたとお話ししましたが、日本の養蚕農家にとっては、猫はありがたい存在でした。

弥生時代には、日本に養蚕が伝わりまして、広まったのは、飛鳥時代とされています。
しかし、江戸時代になるまで、絹は輸入に頼っていまして、対価としての金銀の流出を懸念した江戸幕府により、養蚕が奨励されて、生産が向上しました。
そうなると、鼠の害も増す。
そうなると、猫の需要が増える、ということになるのですが、当時は猫がそれほどいなかったんですよ。
猫が貴重過ぎて、重宝していたせいもあったのかもしれません。
で、猫が足らない、と。

そうなってくると、信仰の力でどうにかしようということになりまして、『猫絵』というのが流布しました。

地方の養蚕農家に猫の絵を売り歩くわけです。

歌川国芳 鼠除けの猫1841年

此図は猫の絵に妙を
得し一勇斎の
写真の図にして
これを家内に張おく
時には鼠もこれをみれば
おのずとおそれをなし
次第にすくなくなりて
出る事なしたとへ
出るともいたずらを
けっしてせず誠に
妙なる図なり
福川堂記

実際にこの絵が地方の養蚕をしている農家に流布していたわけではないのですが、このような猫の絵を張っておくことで、鼠が来ないように祈っていたわけですね。

江戸時代に、養蚕が盛んな地方では、鼠を捕るのが美味い猫は馬の五倍の値で取引されたと言いますから、大変なものです。

また、猫の蚤取りと言う商売まであったと山東京伝や滝沢馬琴も書いていますね。

猫は養蚕農家の守り神でありましたが、江戸時代も後期になると商業が発達しますから、それの守り神も欲しいということで、猫がその役割を引き受けます。
招き猫ですね。

住吉大社では、招福猫という授与品がありまして、特に初辰の日に授与されると縁起が良いと聞きます。

京都にある、檀王法林寺(だんのうほうりんじ)は、江戸時代中期より主夜神尊のお使いであるとする右手を上げた黒猫の招き猫が作られており、信仰されていまして、こちらが日本最古の招き猫だそうです。
右意を上げる招き猫は、人を禍から遠ざけるとともに、人を世ぞ、お金を招く、とされています。

芝の増上寺にも黒い招き猫の授与品があります。

招き猫の発祥としてはいくつか説があります。

江戸時代の地誌『武江年表』嘉永5年(1852年)の項には浅草花川戸に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放した。すると夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼(今戸人形)の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9B%E3%81%8D%E7%8C%AB

江戸時代に彦根藩第二代藩主井伊直孝(藩主1602年 - 1659年)が、鷹狩りの帰りに弘徳院という小寺の前を通りかかった。その時この寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため、藩主一行は寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずに済んだことを喜んだ直孝は、寛永10年(1633年)、弘徳庵に多額の寄進をし井伊家の江戸の菩提寺と定め、弘徳庵は大寺院の豪徳寺となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9B%E3%81%8D%E7%8C%AB

いずれも猫に霊性を見るものとなっています。

猫をまつた神社というものもありまして、宮城県などでは、養蚕が盛んであった関係から、10か所ほど確認されています。

同じく宮城県ですが、仙台湾に浮かぶ田代島は、通称猫島と言われていまして、猫神様が島内の猫神社(美與利大明神)に祀られています。

猫は養蚕の守り神であるほか、この土地では、漁業の守り神ともされてきました。
猫は大量のシンボルだったのです。

また、オスの三毛猫を船に乗せると大漁になるとか、ヨーロッパなどでもマストや船を鼠の害から守るために、猫を乗せていたといわれています。
猫は船に乗せられるのは嫌だったでしょうね。

しかし、オスの三毛猫は、染色体異常などの場合のみ誕生し、三万匹に一匹とも言われています。
サビ猫と三毛猫は遺伝子からして、理論的にはすべてメスだそうです。

猫は、人類の財産である、穀物や紙の保護者であり、鼠は疫病も媒介しますから、それを防ぐ役割もあります。
中世ヨーロッパで猫が魔女の使いとされたがために、鼠が増え、ペスト流行の一員となったなんて言う話もありますから。

ヨーッパでは、いまだに黒猫を魔女の手下との伝承の名残がある一方、スコットランドでは、玄関先に知らない黒猫がいると繁栄の兆しと信じられています。

日本に欧米の影響で黒猫を忌み嫌う一方、もともとは、『夜に目が効く』などと申しまして、福をもたらす猫として、商売繁盛や厄除けなどの象徴とされました。

江戸時代の猫は尻尾が短い

この絵は、嘉永元年(1848年)に描かれたものです。
明治元年が1868年ですから、幕末ですね。
黒船来航が5年後、夏目漱石が生まれたのが、1867年です。

この絵を見ると、猫の毛の模様はほとんどすべていますね。
黒に白、赤斑、黒斑、虎、ただ、逆にキジトラが少ないですね。

猫の模様を決めるのは遺伝子の組み合わせによってでありますが、猫の場合この遺伝子が、20種類ほどもありまして、それらが複雑に組み合わされて、毛の色や模様が決まります。
親猫と違った毛の色や模様になることもありますし、同じ品種でも様々な色や模様を持つ世にも珍しい動物なのであります。

猫の色を決めるのは、まず、白の上に色や模様を決める遺伝子が流れてゆくのをイメージするといいかもしれません。
この色を決める遺伝子は、頭から始まりまして、背中、足へと向かうのですが、途中で止まることもありまして、それが斑猫になります。
また、足首で止まった場合には、いわゆる『靴下猫』というかわいい模様の猫になりますね。

キジトラ以外の猫が日本絵画史上にいつ登場したのか興味深い所ではあります。
室町時代辺りになる猫の絵が増えるらしいですが、猿や犬、馬や牛、ニワトリや鷺などは見たことはあるのですが、猫の絵はあまり見たことがないんですよね。

日本人は猫のかわいさのあまり、益獣として用いず、紐で繫いでしまったから珍しい動物に属していたのかもしれません。

江戸時代に入ると、浮世絵の広まりとともに猫の絵も多く描かれるようになりました。

歌川国芳『其のまま地口 猫飼好五十三疋』

歌川国芳という人は大変な猫好きでありまして、少ないときで数匹、多いときには、十数匹の猫を飼っていたそうでして、絵を描くときでさえ、懐に猫を抱いていたんですね。

斑猫が好きだったようで、よく描いています。

これ、国芳の自画像なんですけれども、猫がたくさんいますね。
尻尾は皆、短いです。
この絵のポイントは、毛づくろいしている猫に座布団を譲って、国芳自身は座布団に坐っていないとこですね。
猫好きがよくやるパターンです。
虎猫の傍にいる斑は、毛づくろいしています。三匹は仔猫でしょうか、野良と違って、寛いだ格好で寝ています。
猫は丸くなって眠る印象ですが、まったく安心しているときは、ひっくり返って寝ていますね。
と言っても、猫、特に仔猫の場合はほとんどレム睡眠らしいです。
レム睡眠ですから、夢を見ます。
猫が寝言を言っているときは、母猫のミルクを飲んだり、狩りをしたりしている夢を見ているみたいですね。
寝ているときに、前足を閉じたり開いたりと、ふみふみしているのと同じ仕草をしていたら、ミルクを飲んでいる夢を見ているのでしょうね。

『枕辺深閏梅』下巻口絵における国芳の自画像

こちらは、三味線を弾いています。稽古中です。
ひげが前を向いているのは、興味津々のときみたいです。

猫のけいこ

続いては、猫の当て字と言うことで、『なまず』という字をいくつかの猫で形作っています。

猫の当字 なまず

明治時代の絵ですが、猫と鯰の絵です。

河鍋暁斎『猫と鯰』(1871-89年)

こちらは、歌川広重の名所江戸百景の一図ですが、白猫が窓の外を見ています。
猫は窓の外をよく見ていますね。
楽しみの一つらしいんですよ。
江戸時代の猫も変わりませんね。
いわゆる『ニャルソック』の元祖の絵でしょうか。
猫が良く窓際で日向ぼっこをしていますよね。
あれは、猫は体内でビタミンDを生成できませんから、日を浴びることで、ビタミンDを作り出し、また猫は高い所がを好みますから、棚でも窓でも良く高い所にいますね。
あまり高い所に行かない猫は、警戒する必要もない安心した暮らしをしている表れです。
猫が体を舐めるのは、毛づくろいのほか、皮脂を舐めてビタミンDを取り入れているという話もあります。

この猫は、白猫なんですけれども、頭の上と尻尾だけ灰色ですね。

浅草田甫酉の町詣

続きましては、長沢芦雪が、和歌山・無量寺の襖に描いた『薔薇図』ですが、この猫は二匹とも尻尾が長いようです。
無量寺には有名な虎の絵があります。

無量寺障壁画 天明6年(1786年)

東照宮にあります、木彫りの眠り猫です。左甚五郎の作ですね。
猫はこの姿勢でいるときは、熟睡しているようです。
顎の下に足が見えていますから、いわゆる香箱座りという、猫の座法でしょうか。
猫の世界で、猫が目を細めているのは、敵意がない表れなのでして、安心している姿であります。
左甚五郎は、江戸初期の職人ですから、もしかしたら、この猫は尻尾が長い可能性もあります。短そうですけどね。

東照宮の眠り猫

と思ったら2016年に修復のために取り外されていたではありませんか。
そして下野新聞社の映像資料に裏側がありました。

矢印のところ、これ、尻尾ですよね。長いとは言えず、短いとも言えず、ただ、江戸中期以降のような特徴のある形の短さではないですね。

https://www.youtube.com/watch?v=zvCjaJE8gqYよりキャプチャ

江戸時代の猫なんですけれども、草紙に描かれたものも含めて、中期以降は尻尾が短いんですよ。

また、四天王寺にも『猫の門』と言いまして、聖霊院の西門にの欄間に猫の彫刻があります。
こちらも元は左甚五郎の作と伝えられています。

新宿区、落合の自性院(じしょういん)は、別名「猫寺」と呼ばれていまして、戦国時代に、戦の後に道に迷い苦しんでいた太田道灌の前に一匹の黒猫が現れまして、寺に招き案内し、救った故事によるものとされています。

その後に太田道灌が猫のために地蔵を作り、それが猫地蔵として信仰されるようになったようです。

自性院では、猫のお札が、10年に一度の節分会に頒布されるそうです。


次のものは、江戸時代後半の象牙で作られた根付なんですけれども、根付と言いますのは、煙草入れですとか、印籠(いんろう)などの紐を帯に通して提げて歩くんですがね、落ちないように引っ掛かりを作る紐につける留め具のことでして、江戸時代には様様な彫刻がなされたんですよ。

眠り猫

写真では分からないですけれども、この猫も尻尾が短い。
しかし、江戸の初期までは平安時代の猫のように、尻尾が長かった。
これはどうしたことか、ということで、次のお話です。

化け猫伝説

化け猫の話が出てくるのは、鎌倉時代からですね。『古今著聞集』や『明月記』に話が出てきますが、江戸時代、18世紀も半ばを過ぎると、怪談がブームになりまして。
都市が拡大すると、人口が増える、見知らぬものが増える、不安も生じる。
同時に世の中が安定するにつれて人々が刺激を求める。
猫は刺激なんていらず、毎日同じ生活を繰り返した方がストレスがないのですが、人間の脳はそうもいきません。
そこに実話をもとにした、作り物のお話が求められる。
照明器具の発達により、人々が夜に活動するようになる。
そうした背景がありまして、怪談話が人々の口に上がるようになりました。

そうした中で、江戸以前で信じられていたような奇譚の主人公である、蛇や、狸、狐などから、都市部に居ながら、不思議に生きている猫に対して人間の闇を求める部分が、猫にその役割を担わせたのではないでしょうか。

境界性、マージナルな存在でないと難しいですから。

犬では、その役割は務まらないのですよ。

猫というものは、ほとんど野生のまま人間と共生しているものですから、不思議な習性もそのままなわけです。

  • 時間や明るさによって、瞳の大きさが変わる。

  • 夜に光を見ると目が光る。

  • だいたい寝てる。

  • 丁寧な毛づくろいをする。

  • 人間の害にならないどころか、躾けてもいないのに、人間の役に立つ。

  • たまに何もないところを見つめている。

  • 夜行性(本当は薄暮薄明性)。

  • 足音を立てずに歩く。

  • 弱っていることを隠す性質があり、死期が近づくと姿を隠す。

  • 温厚かと思えば野生の部分をたまに出す。

  • 興味がないことは、すぐに忘れる。

  • 家の中は自分の縄張りだと思っているので、あちこち点検する。

  • 飼い主も自分のものだと思っているので、飼い主に自分臭いを付けて、『自分のもの』として主張することで安心する。

  • 動くものに反応する。

  • 隅っこや狭い所を好む。

照明器具の一つに行燈がありまして、行燈というものは、木の枠と紙で囲った覆いの中に、油を入れた灯心に火を灯して明かりを取るものです。

歌川国貞 江戸名所百人美女 千住 

この行燈の燃料が菜種や魚の油だったんですね。
魚の油とくれば猫は黙っていません。
当時は、人間も今ほど動物性のたんぱく質を取っていませんでしたから、肉食獣の猫としてはお腹がすくわけですよ。

そこで行燈の油をペロペロ舐める。
猫にとっては動物性たんぱく質を取っているだけなのですが、人間にとっては、仰天するわけですよ。

行燈を舐めるとき、猫は前足を火皿の置き板に掛けて恰(あたか)も立ち上がっているかのような姿で舐める。

しかも、江戸時代、明かりが発達したと言っても、暗いわけですよ。
今で言ったら、蝋燭一本で暮らしているようなもので、部屋の隅は暗闇で、そこらじゅう夜に浮かぶ影だらけなんですよ。

ふと部屋に戻ってみたら、猫の形をした大きな影が揺らめいているわけです。
猫の影はどっからどう見ても猫丸出しですからね。
すぐにわかります。

そのようなことで、江戸時代には化けること言うものが半ば信じられ、物語などに多用されます。

次の浮世絵にも行燈を舐める猫が描かれています。
年を経た猫が老女に化けて、人に害をなすという歌舞伎を元にして描かれたものです。

歌川国芳画『梅初春五十三駅』

人間に化けた猫が睨みを利かし、両脇で猫が手拭を被って踊り、後ろに巨大な化け猫が場面に覆いかぶさるように現れ、行灯には油を舐める猫の影が描かれています。

真ん中の人間に化けた猫の頭を見てください。
猫耳ですよ。猫耳。
『にゃん』ですよ。
猫耳は、今や、漫画やアニメにとどまらず、猫耳型のカチューシャなどもその辺で売っているくらいに一般的になりましたが、初めて猫耳を描いたのは歌川国芳なんですよ。

猫好きはやることが違います。

踊る猫は有名ですね。二匹います。立って踊っています。
手拭いを被るのは、猫というものは、夜な夜な集まって手拭いを被って踊るとか、手拭いを被ることで立てるとか、という言い伝えから来ています。

よく見ると無茶苦茶な絵なんですけれども。

次の絵には、三匹の猫がいますが、左から、障子から顔をのぞかせているただの猫、真ん中が手拭いを被って二本足で立てる猫、右の縁側に前足をかけて立ち上がっているのは、年季が足らずに真ん中の猫のように立てない猫、というわけです。

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「猫また」

こちらは、与謝蕪村が描いた化け猫です。手拭いを被って踊っています。
ノリノリです。歌も歌っていそうです。

「夜な夜な猫またあまた出ておどりける」と書いてあります。

与謝蕪村 『蕪村妖怪絵巻』 「榊原家の化け猫」

猫が化けると、人間に化ける、人間の言葉を話す、踊る、人間を操る、死人を操る、手下を引き連れて人間を襲う、って、これ、人間じゃないですか。

人間がその悪事を猫の姿を取って言い伝えにしているだけですよ。

鍋島の化け猫騒動というお話も、猫を使って人間の情念や怨念を表しているだけで、気味の悪いのは、人間の情念なんですけれども。

また逆に、御主人のために復讐をする、裕福にするなんて言う恩返し的なことをする猫もいます。

江戸笄町の大猫

青山霊園の南あたりから、日赤の辺りは、かつては笄町(こうがいちょう)と呼ばれておりました。

化け猫や猫又の信仰が江戸で暇った時期も考えますと、江戸の後期、立ち上がった高さが、40センチ近く、体の長さが、1メートル近い大猫が現れて、市中の噂になったことがあります。

笄町の大猫を報じた瓦版

猫又

化け猫と似たようなもので、猫又と言う妖怪がいます。
化け猫は、むしろ怨霊に近いような存在ですが、猫又の方は、実体を持った妖怪ですね。

猫又です。三毛ですね。

佐脇嵩之『百怪図巻』より「猫また」

三味線は、猫の皮でできていますから、同族を憐れむ歌を歌っているようです。

猫又は山中に潜み、人を取って食うなどとされていました。

江戸時代の猫の尻尾の短さについてでしたね。

江戸の初期あたりまでは、猫の尻尾は長いものが多かったのに、中期以降は、短くなった。

これはですね。
一つは、照明器具や暖房器具が発達したためなんですよ。
尻尾が長いと、行燈を倒したり、火鉢の炭に触れてしまったりと、危ないわけですね。

もう一つが、化け猫伝説なんですよ。
尻尾の長い猫は猫は長く生きると化け猫になる、と。

そのために、尻尾の短い猫を大切にしたために、江戸の後期には、特に都市部では、尻尾の短い猫ばかりになってしまった。

と、言うわけなんですね。

そこで通常の猫の尻尾は短く、化け猫の尻尾は長く描かれたわけなんですね。

スコットランドには、『ケットシー』と言われる化け猫がいして、人の言葉を喋り、しかもバイリンガルだそうです。
尻尾、長いですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Cat-s%C3%ACth#/media/File:Page_158_illustration_in_More_English_Fairy_Tales.png

昔、家ではキジトラを飼っていましたが、尻尾は長かったですね。
祖母の家で飼っていた猫は、三毛でしたが、尻尾は短いというより、丸まっていました。

それが、子供ながらに不思議に思えたものです。

そのような猫は、尻尾が複雑に折れ曲がり、見かけが丸まってるように見えるんだそうです。

次の白キジの絵は、大正時代のものですが、まだ尻尾が短いですね。

竹内栖鳳 『班猫(はんびょう)』 1924年(大正13年)

尻尾の短い猫は世界的にも珍しく、それが日本の猫の特徴ともなっていたのですが、戦後、アメリカなどから、猫も来まして、それによって日本の猫もほとんどが長くなってしまいました。

猫にとっては、尻尾はバランスを取るための大事なものですし、足に巻いて暖も取れますし、長い猫の方が生存的には適しているのです。

猫年

十二支に猫がいない。
猫は世界的にも愛好され、珍しい動物でもないのに、入っていないのはどうしたことか。
昔々、十二支の動物を決めるということで、神様が動物たちに集合をかけました。
鼠が猫をだまして、猫に別の日を教えたため、それから猫は鼠を追いかけるようになりました。

どこが、ベトナムでは、猫年があるんですよ。
卯年にあたる年が猫年なんです。
子、丑、寅、卯ではなく、子、丑、寅、猫なんですね。
更に丑が水牛、未年がヤギ、亥年が豚ということで、ベトナムあたりの地域にとってよりなじみのある動物に取って代わっているようです。

猫年の新年を祝うために設置された飾り物(ホーチミン)

ベトナムでも猫は愛されているようです。

猫じゃ猫じゃ

猫じゃ猫じゃと言うのは、端唄(はうた)の一種で、元は江戸自体のものなのですが、幕末から明治にかけてリバイバルしました。

吾輩は猫であるにも出てきます。
『その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍おどっている。』
吾輩は人間族のことを一疋(いっぴき)二疋と呼びますから、踊っているのは人間です。

『吾輩は猫である』中村不折による挿し絵

それはさておき、猫はかわいいですから。
人工物ならわかりますが、あれだけかわいいのにもかかわらず、天然自然の生き物と言うのが不思議なものです。

猫じゃらしにあなたこなたに臥し転(まろ)ぶ姿はかわいいものです。

撫でると喜びますし。
何で喜んでくれるんでしょうね。

猫と触れ合うとき、猫と仲良くなりたれけば、猫に主導権を与えましょう。
猫自身に場の制御を任せるのです。
自分に主導権があることで猫は安心しますから。

まずはね猫にそっと手を差し伸べて、猫が触れ合いを望んでいるかどうかを見極めましょう。
猫がすり寄ってきたのなら、許可の印ですので、顎や耳の付け根、頬など猫の喜ぶところを撫でてあげましょう。

猫にはそれぞれ好みがありますから、飼い猫の好みや動きを把握して、猫の撫でて欲しい場所を撫でてあげましょう。

猫が急に毛づくろいを始めたり、離れたら、『もういい』との印ですので、また明日にしましょう。

猫は、構われるのは好きではありませんが、猫の好きな時に構ってくれるのは好きなのです。

人間でも、甘えるということと、甘やかせるということの違いが判らないある種の人間族がいますが、人間は、時に甘えること必要で、甘えられる人がいられる人は恵まれているわけです。

甘やかせる、甘えてもらいたい、というのは、単なる欲望です。
自分の欲望のために甘い蜜を置いて誘い出しているにすぎません。

と言うわけで、猫と遊びたくても、猫が遊んでほしがるのを待たなくてはならないのです。
さらに、猫が遊んでほしいときは、最優先で遊んであげないといけないのです。

猫を撫でると、オキシトシン、セロトニンなど、いわゆる『幸せホルモン』が分泌されるようです。
オキシトシンは、脳の各部位の機能を調整し、セロトニンは、精神を安定させ、生体リズムを整える効用があります。

さらに、コルチゾール、いわゆるストレスホルモンのたかぶりが抑制されます。
このコルチゾールは、分泌される量によっては、血圧や血糖レベルを高め、免疫機能の低下をもたらします。

猫を飼っていると、成人病にかかる確率が3割から4割低下するとの検証結果もあるようです。

猫は癒しの権化なんですよ。
アルコールやカフェインなぞに頼るより、猫をかわいがってあげればいいのです。

猫は、たまに『ごろごろ』と喉を鳴らしていますね。
機嫌が良いときに鳴らしますが、苦しいときにも鳴らすことがあるそうです。
あの音は、喉ではなく、胸から発しているらしいですが、あの低周波音は、猫自身の回復力を高めるのはもちろん、人間が聞いていても、自然治癒力が上がり、傷の治りが早くなるという研究結果もあります。

『ごろごろ』は、低周波ですが、猫は、高周波音を聞き取れます。
猫の耳は、人間はもちろん、犬よりもいいんです。
可聴周波数は60Hz - 65kHzとされ、犬の40Hz - 47kHz、人間の20Hz - 20kHz に比べて高音域をよく聞き取れます。

これは鼠などの獲物が出す高音に反応できるように進化したようです。

猫は、耳もかわいいんですが、左右別々に動せます。
これによって、音の出どころをかなり正確に測れるわけです。
猫が獲物を狩るのは薄暗い時間ですから、耳で獲物の位置を測ろうとするわけです。

片耳を小刻みに動かす時がありますが、これは気になる音が聞こえてた場合に、その位置をより正確にとらえようとしているようです。

猫が足音を立てないのも、ほとんど体臭がしないのも、獲物に自分の位置を知られないためなのです。

猫の耳のよさは、飼い主の足音さえ区別できますし、飼い主が、自分に話しかけているのかどうかさえ、声質からわかるようです。

猫に話しかける寸前に耳だけ先に上を向くこともあります。
かわいいですが、人間が声を出す寸前の音に反応しているのでしょうね。

仔猫に呼び掛けると、時たま、口だけ空けて返事しているように見えて、声が聞こえない時がありますね。
あれは人間には聞こえない周波数の高音で返事をしていまして、それは、仔猫が母猫に甘えるときに出す声らしいですね。

猫は、鼻もいいんですよ。
犬ほどではありませんが、人間に比べれば数万倍以上鼻がいいようです。

猫は、家の中に見慣れぬものがあると、くんくん嗅ぎますよね。
自分の縄張りに、自分のにおいがついていないと不安になりますから、確認しているわけです。
そこで、飼い主が帰ってきたときや、お風呂上がりなどに、すり寄ってきて、改めて自分のにおいをつけるわけです。

猫にすりすりされたら、自分の縄張りに入ってもいいと、認められたことになります。

猫は頬から分泌物を出して、すりすりしてにおいをつけるわけですが、その習性も見事にかわいい仕草とともにあります。

猫の鼻を見ると、人間の指紋の様な縞模様がありますが、これを鼻紋と言いまして、人間の指紋と同じく、猫は一匹一匹違う模様をしています。

日本の猫は鼻筋が通っていて、美猫が多いですね。

猫の目はよさそうで、実はそれほど良くないようです。
おもちゃで遊んでいる猫を見ればわかりますが、動体視力は獲物をとるためにいいのですが、100メートル先のものを認識できるというわけでもないようです。

犬もそうなのですが、猫も動体視力が人間よりずっといいので、モニターの映像を見てもコマ送りに見えているようですね。
映像というものは、今は大抵、1秒間に30コマの静止画をパラパラ漫画のように映し出していまして、これを人間が見ると残像効果という現象が起こり、動いているように見えるのですが、猫が見ると、一コマ一コマを認識してしまうほど動体視力がいいので、写真が点滅しているだけのように見えているみたいですね。

夜はモノクロです。
猫は何と言っても夜目が効きます。

これは、哺乳類全般に言えるのですが、初期の哺乳類が主に夜行性であったために、認識できる色が少なくなってしまったためです。

青を中心に感知する視細胞と赤を中心に感知する視細胞のみを保有するに至ったのです。

ただ、猫は赤がわからないらしいですね。

牛なんかも赤がわからないらしく、闘牛で赤いマントをなびかせて、牛に突進させていますが、あれは、赤に反応しているのではなく、ひらひらしたものに反応しているのだそうです。

霊長類は、進化の過程で、三千万年前あたりに緑を認識できるようになりましたが、まずはメスだけが獲得したらしいです。
その後遺伝子変異により、オスも獲得したらしいですが、この緑はビタミンCの豊富な果実を見分けるのに適した色なわけです。

類人猿はビタミンCを体内で合成できませんから。

魚類、両生類、爬虫類、鳥類などは、人類では感知できない、紫外線や赤外線も見えるようです。

猫は昼間は瞳孔が細く、夜は丸く大きくなりますよね。
瞳孔の大きさを調整することによって、目に取り入れる光の量を調整できるわけでして、夜など光がほとんどないときには、目いっぱい開いて、少ない光を多く取り込むんですね。
さらに、猫などの夜行性の動物は、輝板(タペタム)と呼ばれる層が網膜の下に備わっておりまして、一度入った光を反射させて、増幅させるわけです。
行って、来る、みたいな。

というわけで、夜に猫にフラッシュを当ててはいけません。

猫の舌がざらざらしているのは、獲物の骨についた肉をこそげ取るためのものですが、猫は、親愛の証としてのグルーミングとして、飼い主の手でも顔でも舐めてきますが、肌が荒れます。

猫の口は雑菌だらけですので、舐めてもらった後は、手を洗いましょう。

猫は、ゆっくり目を開けたり閉じたりしながら見つめてくることがありますが、この仕草は、信頼してくれている証なんですね。
仔猫が母猫に対してする仕草なんですよ。

猫の習性でもかわいいものは、『ふみふみ』でしょうか。
仔猫でも、大人猫でも、たまに前足を交互に使って毛布やソファーなどの柔らかいものを踏んでいるかのような仕草をしますね。

これは、仔猫時代に、母猫のミルクが出やすいように、前足を使って、刺激していた習慣の名残が出てしまうらしく、その時の猫はうっとりととても心地よい気持ちでいるらしいです。
かわいらしいですね。

猫は、ふみふみするときに、前足をグーパーしますし、着地するときにも、指を広げたりしますが、犬は指を広げられないらしいですね。

猫は味覚はそれほど優れていません。特に甘味を全くわからないようです。
砂糖水と普通の水の区別がつかないようです。

猫は糖分をわざわざとる必要がないんですよ。
猫のような肉食獣は、必要な糖分をタンパク質から効率的に生成吸収することができるんですね。

というわけで、猫が夢中になっているチュール。
そんなにうまいものなのか、と思って人間が食べると全然おいしくありません。

最近の猫は、猫フード、カリカリを食べていますね。
カリカリは猫にとって完全栄養食ですから、それだけ食べさせるのが最も健康にはいいらしいです。
チュールはご褒美的な位置づけにして、あまり普段は上げない方がいいようです。

人間は雑食性で猫は肉食ですが、人間ももしかしたらカリカリみたいなものだけだべていた方が体にはいいのかもしれませんね。

肉食獣のことを食肉目と分類学上は呼びます。
犬や鼠、パンダなど、雑食性の動物も含まれます。
食肉目のことをネコ目(ネコもく)と呼ぶことがありますが、これは日本だけで、当時の文部省がわかりやすくするために、代表的な動物の名前を用いたにすぎません。
わかりやすくしようとして、かえってわかりにくくなる例ですが、当時の文部省の役人も猫推しだったのかもしれません。

食肉目は、英語ですと、Carnivora (kɑːrˈnɪvərə)と書きます。
発音してみてください。
『カーニーバ』ですね。
カーニバルcarnivalですよ。
カーニバルのことを『謝肉祭』と言いますが、肉を食らう祭なんですね。

カーニバルの語源は、俗ラテン語の carnem(肉を)levare(取り除く)に由来します。
キリスト教社会では、灰の水曜日から四旬節が始まりますが、四旬節では伝統的に食事の節制と祝宴の自粛がなされまして、かつては食事も一日一度でした。
その前日にたらふく肉を食っておくというわけですね。

キリスト教が、いろいろと取り決めをする前、元々のカーニバルは、乱痴気騒ぎ、仮面や火葬を被り、日常化の逸脱、社会的役割の顛倒させる、俗から聖へと移行するための装置でした。

人肉の習慣のことをカニバリズムと言います。

それはさておき、肉食獣の代表とされるくらいの猫は何事も自分で決める知能を持っています。
トイレの場所を一度で覚えるのも、扉の開け方を覚えるのも状況判断能力に長(た)けているからです。
猫は飼い主をよく観察していますからね。

猫は80個くらいの単語なら覚えられるようです。
知能は二歳児程度らしいですが、これは哺乳類の中では高い方です。
二歳児と言っても、人間の知能は、言語能力や計算、記憶力の話ですから、猫は生存能力が高ければ、それで済むわけです。

人間のその能力は、社会性の能力でして、人間はその社会性の能力の高さで文明を築き、文化を作り出すわけです。
つまり、自分の気分や利得の事しか考えられないようなのは、それはいかほど、『頭が良く』とも、人間的知能とは言い難いのです。

猫は動体視力が高く、耳も鼻も発達し、獲物を捕らえるための知能も、運動理能力も高いのです。

猫は自分にとって心地良い場所を探すことにためらいを持っていません。

猫は、箱を好みますね。
隠れられる場所はストレスがないようですし、狭い箱は、どうも温かいらしいんですよ。

猫を買う際には、室温を22度程度にしておくのがいいそうですが、猫からすると、その空間だけでは寒いらしく、その22度の空間の中に温まれる場所を作ってやるといいようです。

気温でいえば、30~36度程度の場所ですね。
そのくらいになれる場所をスポット的に作ってやると猫も喜ぶらしいです。
もちろん、室温を30度にしてしまうと、猫には暑すぎます。

箱が好きなのは、隠れる習性があることもありますね。
獲物を捕るためもありますし、敵対者から隠れるということです。

猫は、群れを作りませんから、争いを裂け目ためには、避けるか、自分の活動を抑制する習性がありまして、そうすることで、余計な争いを避けるわけですね。

一部の人間も見習ったらいいと思いますよ。

下手に話し合いしても、権力者の論理がまかり通るだけですからね。

猫を叱っても仕方ないんですよ。
何で叱られたかわかりませんから。
ただ大きな声で叱りつけると、びっくりして、しなくなるだけで、理解しているわけではありません。
例えば、血だらけの獲物を持ってきたときとか、噛みつく癖が治らない時には、一言、はっきりと『痛い』とかいうとわかるようです。

半面、トイレを間違えた時に叱ると、猫はトイレ自体をしてはいけないのかと思ってしまい、我慢するだけになってしまうのでよくないようです。

猫には優しくしないといけません。

猫は時に我儘と評されますが、猫の我儘は範囲が限られています。
『ご飯くれ』、『遊んでくれ』、『ここで寝たい』程度です。

人間となると、コンプレックスや情念を抱いておりますから、我儘に際限がありません。
そうした人間に比べたら、猫の方が我儘どころか、素直なのです。

猫頭人身

最近、ラスコーの壁画の時代から、古代人がどうして頭が動物の絵を描いたのか、時代が下って、ある程度の文明社会になっても、祭りの時に、動物のお面をどうして被るのか、わかった気がするんですよ。

かつて、民俗学漫談でもお話ししましたが、動物や妖怪じみたお面を被ることによって、一度、別の魂になり、祭りが終われば、再び元の魂になるが、それはまた甦り、リフレッシュした新たな魂となって、再びこの世を生きるのだ、と。

そのお面を被るこことにより、強力な霊的エネルギーを得るのだ、と。

それはそうとして、最近、ずっと猫の写真や映像を見ていた思ったのですが、猫はかっこいいんですよ。顔が。動きも体もなんですが。

他の動物も、ライオンでも、鳥でも、水牛でも、虎でも、かっこいいんですよね。
単純に。

古代の人々は、単純に、かっこいいと思ったということもあったのではないでしようか。
なぜなら、古代の人々は、自分たちをまだ人間ではなく、動物の一種だと考えていたからです。

刺青や化粧も、そもそも動物に憧れたということはないでしょうか。
美人に憧れて化粧をするように、古代の人類も、動物に憧れて化粧を施したのではないでしようか。

キジトラの顔を見ているとそういう気持ちが起きます。
猫は、すっぴんでかわいいですからね。

今、人間同士で、『かっこいい』だの『かわいい』だの言っていますが、その感覚で、他の動物を『かっこいい』と思っていたということはないでしょうか。

人間は、文明の中で、服を着ているから、動物よりも上等な外見に見えますが、素で、自然の中に立ったら、動物の方がはるかに立派ななりをしているわけですよ。

文化的、本能的なものを抜くことができたら、その暁に人間と猫を見比べたら、猫の方がずっと凛々しい顔をしているように見えると思われます。

口も引き締まっていますしね。
人間のように、内部がめくれ上がった唇なんて謎の部分もありませんし。

耳もかわいい、顔もかわいい、足もかわいい、毛だらけで撫でればストレスを抑制してくれ、良いホルモンが分泌される。

髭も人間と違ってかっこいいですよね。ピンと張っていて。

あのひげは、洞毛(どうもう)という感覚器官でありまして、人間の髭はただの体毛なのですが、猫のは違います。猫のひげの根っこ部分には、感覚神経や血管が密に分布していまして、非常に鋭敏でして、先に何かが少し触れただけでもわかるんですよ。

たまに寝癖で折れ曲がっている猫もいますが。

口の脇、目の上、頬の所に生えている髭の先端を結ぶと円になり、その円よりも狭いとこなら、通り抜けられるという寸法です。

たまに、そのひげセンサーを忘れたかのように狭いとこに入り込もうとしている猫もいますけども。

髭もかっこいいし、尻尾もかっこいい。

猫が何でかっこいいのか。姿かたちもありますけれども、後ろめたさとか、躊躇(ためら)いがないからなんですよ。

猫は、人間と違ってためらいもないし、情念もない。
言語に惑わされず、騙りもしません。
かっこいいですね。
それを自然にしているわけですよ。
全くの自然体です。

たまに、何か失敗したりすると、誤魔化すように毛づくろいを始めたりしますが、失敗するとちょっとしたストレスを感じてしまうのかもしれません。

仲の好い猫同士で毛づくろいをしているのを見ます。
社会的グルーミングと呼ばれていますが、仲の好い相手には、優しくすることで自分も優しくしてもらうわけです。

人間の場合は、言語、特に発話によって社会的グルーミング、毛づくろいをしているわけです。

自然体で思い出しましたが、これまた歌川国芳の画に、『猫の妙術』というものがありまして、元のお話が、剣術家の家に大鼠が現れまして、近所から鼠取りに長けている猫を借りてくるのですが、鼠に敵(かな)わない。
そこで、鼠取りの名手とされる年を経た猫を借りてくるのですが、年を取っているから、動きが緩慢である。
さて、いよいよ鼠を捕る段になってみると、その猫は何をするでもなく、ただ、ゆるりと鼠に近づく。鼠は逃げようとしない。そうして、そのまま大鼠を捕らえてしまった。

驚いた剣術家が、その猫に妙術を伺っているところです。猫が巻物を持っています。
曰く、『自分は何の術も用いず、自然にふるまうのみ』

歌川国芳 猫の妙術

猫は自然体で、人間と共生している不思議な生き物なんですよ。

猫は人間社会の秩序に構いません。そこが他の家畜と違うところです。
澱んだ人間世界の気を猫がウロウロすることで浄化してしまうんですね。

人は他人に幻想を抱かずには済まないのですが、猫に対しては幻想は抱く必要もないので、一緒にいて、とても楽ですね。
猫は、外見も内面もかわいいのです。

と、言うわけでして、今回は猫について漫談をいたしました。



白キジ
白キジ
白キジ

【白キジ猫動画】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?