ある定食屋

一人暮らしを始めるためにこの街に越してきてから、約4年間ずっと通っていた定食屋がある。
この店では50代くらいの夫婦と、夫婦のどちらかの親であろう80代くらいの女性、そしてもう一人、50代くらいの女性の4人が働いていた。調理を担当しているのが夫婦と80代くらいの女性、配膳や接客を担当しているのが50代くらいの女性だ。この接客担当の女性は、調理を担当している人々に敬語で話しており、彼女が彼らの身内なのか、それとも他人なのかは、4年通ってもとうとう分からなかった。

店に入ると、手前に4人掛けと2人掛けのテーブルが8つほど並んでおり、奥の厨房に面した場所にはカウンターがあった。この店は一人で来ていたから、私はいつもカウンターに座った。厨房は大人4人が動きまわれる十分な広さがあり、壁にはガス台がずらりと4つ並んでいて、中央に作業台があった。私はカウンターから厨房を覗いて、大きな炎の上で振られている中華鍋や、さくさくと切られていく野菜を眺めるのが好きだった。

席にメニュー表はなく、カウンターの上の壁にずらっと1品ずつ手書きのメニューが掛けられている。品数は40種類くらいだろうか。麺だけでも中華そばに焼きそば、坦々麺にちゃんぽん麺と10種類近くあった。定食も魚から肉までなんでもあり、この世のうまいもの全部集めましたと言わんばかりのメニューの数だった。
それに、壁掛けのメニューがずらっと並ぶ下にはホワイトボードも掛けられていて、それには季節のメニューがペンでびっしりと書かれていた。旬の魚を使ったメニューが多く、刺身定食やアジフライ定食、イワシフライ定食など、季節によって様々な魚を楽しめるようになっていた。
私はたいてい、生姜焼き定食を食べた。ときどき魚の定食や、焼肉定食、ミックスフライ定食を食べた。男子校の近くにある店だから量が多いことで有名で、だから私はいつもライスは半分の量にしてもらっていた。店に行き始めた時は欲張って定食にギョーザをつけていたけれど、何度も通ううちにこの店にも慣れ、ギョーザが食べたかったらまた来ればいいやと思うようになった。だからここ最近は定食とギョーザを食べたあと、家に帰ってから満腹すぎて動けないなんてことはなくなった。
そうして何度も通ううちに、私からお願いしなくても、ライスの量を半分にしてくれるようになった。接客担当の女性の「生姜焼き 半ライス」という厨房に呼びかける声を、何度聞いたことだろう。

この店に行くのは決まってへとへとに疲れた日で、髪はボサボサ、化粧なんて崩れて顔から消えてなくなって、やつれた顔で行くことが多かった。

店に入ると、客が来たことに気づいた人がいらっしゃいと声を出す。全員でいらっしゃいと言うとか、必要以上に笑うとか、そういう気合いの入れ方はしない。そこが好きだった。カウンターに座ると、接客をしている女性がお冷をそっと置いて、ご注文がお決まりになりましたらお声がけくださいと言って去っていく。そうは言いつつも彼女はいつもさりげなく客の様子を見ていて、注文が決まった頃に声をかけてくれる。そこも好きだった。愛想をふりまいて仕事をしているというわけではないが、働く人たちから滲み出てくるやさしさがあった。捨てられた犬のようなぼろぼろの自分を、受け入れるとか受け入れないとかそういうこと以前に、ただ黙々とごはんを食べる、それでよいのだということを、働く人が態度で示してくれる場所だった。

私は仕事で嫌なことがあると、たいていぼろぼろになる。失敗したり人に嫌な言葉をかけられたり悲しい態度をとられたり、ちょっとしたことと言われればそれまでだが、そのちょっとしたことで私はすぐにぼろぼろになってしまう。涙が出そうになるのをがまんして、気づくと唇を強く噛んでいる。でも、この店のごはんを食べるために口を大きく開いて、もりもりと食べ進めているうちに、ぼろぼろだった心と体に栄養が行き渡り、無意識に噛んでいた唇も美味しい油でつやつやになる。満腹になったら嫌なことなんて忘れてしまって、だから嫌なことがあるたびに、この店に通ったのだ。
ぼろぼろの私を、つやつやにしてくれたごはんたち。
この店の人と、ごはんに、何度も何度も、救われたのだった。

住んでいる街を出ることを決めて、引っ越しの日が近づいたある日、店に行った。この店に行けるのは、日程的にこの日が最後になると分かっていた。
いつものように、カウンターに座ると接客担当の女性がお冷を出してくれて、いつものように注文を聞きに来てくれた。ただ、最後だと分かっていた私はその時点で決められず、注文を決めるのに時間がかかってしまっていたため、もう少し考えますと言った。女性は少し微笑みながら、はいと言って立ち去った。
メニューをにらむように、舐め回すように見る。今日は最後だから、食べたいものを食べたいだけ食べると決めていた。
そうして悩んだ末に決めたのは、生ビールとぶり大根定食とギョーザ。いつも、また今度来たときに食べようと思っていたギョーザを今日は注文した。だってもう、また今度はないから。

いつも通り、カウンターから厨房の中を覗きこむ。
常々思っていたが、美味しいものを作る人の手は、つやつやしている気がする。皺があっても、シミがあっても、血管が浮き出ていて少し浅黒くても、みんなつやつやしている気がするのだ。
大学の頃、4年間働いていた居酒屋のマスターの手を思い出す。マスターの手も、皺やシミがたくさんあったが、なんだかつやつやしていた。たくさん美味しいものを作って、たくさんの人に食べさせた手は、発光してくるのだろうか。ぴかぴか、つやつや。

ああだからそういう人が作るごはんを食べると、つやつやになるんだ。私も、隣のあの人も、ぴかぴか、つやつや。みんなそろって腹の底から、発光していく。

生ビールのつきだしは茹でた落花生だった。はじめて茹でた落花生を食べた。ぽいっと口の中に放り込むと、ほんのりとした塩気と香ばしさが広がる。生ビールを飲む。おいしい。ぼけーっと厨房を眺めながらビールを飲んでいると、ぶり大根定食とギョーザが運ばれてきた。

運ばれてきたぶり大根は、ぶりのあらで作ったものだ。母が作るぶり大根もあらで作るものだから、私は切り身で作るぶり大根より、あらで作ったもののほうが好きだ。しかしぶり大根の主役は、美味しい成分を吸いまくった大根ではなかろうか。大根は茶色に染め上げられており見るからに美味しそうで、箸を入れたらスッと切れた。口に運ぶと、少し甘めの醤油の味に、ぶりと大根の旨みがぎゅうっと染み込んでいて、思わず口角が上がってしまう。器には柚子の皮が散らされていて、それは厨房の作業台に転がっていた柚子から削りとられたものだった。そうだった、この店はぶり大根の季節になると、いつも作業台に柚子が転がっていたんだった。

定食には大根の甘酢漬け、キャベツの胡麻和え、あさりの味噌汁がついていて、甘い、酸っぱ
い、しょっぱい、いろんな味覚が楽しめる工夫がしてある。どこまでも、気が利いているのだ。
久しぶりに食べたギョーザも、やっぱり美味しかった。薄皮で、皮がパリッと焼けていて、野菜が多めの餡が詰まっている。ほどよく香るにんにくのおかげで、生ビールが、米が、どんどん進む。

全部が安心する美味しさで、その美味しさがさみしさを増幅させていく。食べながら、自分のこころの中に、しんしんと降る雪のようにさみしさが積もっていく。東京で降るようなささやかな雪ではない。北海道で降るような大雪だ。吹雪のようだ。

最後はほとんど泣きそうになりながら、つんと込み上げてくるものをがまんしながら食べた。涙の味と混ざっても、この店のごはんは美味しかった。

食べ終えて席を立つと、いつも通り、接客担当の女性が会計をしてくれた。本当は「引っ越すんです」と、「ありがとうございます」と、言いたかった。でも、言えなかった。引っ越すんですと言おうとしたら、ひの字が喉でぐぐッと止まってしまって、それを無理矢理出したらきっと泣いてしまいそうだった。だから言えなかった。お釣りをもらい、ごちそうさまでしたと言って店を出た。いままでのお礼を言えなかったかわりに、ごちそうさまでしたと彼女の目を見て2回言った。かなり不自然だったと思う。

店を出たら、ぼとぼとと涙が出てきて、泣きながら自転車を漕ぎ、家に帰ったら段ボールが山積みでまたさみしくなり、コートもマフラーもそのままに、椅子に座ってわんわん泣いた。
あの店で食べたものはすべて、自分のからだの一部になってくれた。ちゃんと、しっかりと、自分のからだを作ってくれたごはんたちだった。

店を出し、飯を作り、そして人に食べさせるという営みについて考える。
私はただの客で、お金を払い、食事をしていた、それだけといえばそれまでなのだ。でも、それ以上のものをたくさんもらった。あの店の人たちのうまいものをたくさん食べさせたいという気持ちは、こうして私のこころにじんわりと染み渡っているのだった。

違う街で暮らしても、この店のことを幾度となく思い出すんだろう。
そうして淡々と働くあの人たちのことを思い出して、店がきっとこのまま在り続けてくれることに、ほっとしたり、救われたりするんだろう。

別れに引きちぎられそうになっても、さみしさでぼとぼと涙を流しても、
もらったまなざしはいつだってこころにある。
それがあれば、きっと、生きていけるはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?