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過去の手紙に綴られる言葉に、苦しくなるほど愛を感じた。

木曜日。
仕事をひと段落させて、ほうじ茶ラテを飲みつつ、だらりとする。

ここ数か月、少しずつ少しずつ部屋を片付けている。

私の部屋には大きな本棚2台とクローゼット。
それから文房具やどこに置いておけばいいのかわからない細々(こまごま)としたものを入れる引き出し付きのラック。ベッドの下やクローゼットの収納にも本と趣味のCDや漫画、アニメを追いかけ続けていたあの頃の思い出が詰まっている。

コロナの波が押し寄せて、部屋にいることも多くなった。

この大きな本棚とラックが部屋を圧迫している。なんとなく落ち着かない。どうにかできないかと考えて、ずっと後回し。

寮に住んでいた頃は「寮生で一番部屋がきれいだ」と褒められたのに、実家だと全く片付かないのは何故なのだろう。

その後回しを今年もしていると、なんとなく後々よくない目に合うような気がして、いつも言い訳ばかりしている自分が嫌になって、ここ数か月ようやく重い腰をあげて作業に取り掛かっている。

もうすぐ引っ越しもする予定だし、今のうちから物を減らそう、とラックへ手をかけた。

ラックの一番下には、使われていないノートが溜まっている。
その上の段にはシールや、イギリスに住んでいた頃に集めていたカードたち。さてこの上はなんだっけ、とどんどん引き出しを開けていくうちに、どばどばと思い出が押し寄せてくる。

イギリスで使っていた小さな携帯。
自分を奮い立たせるように「今日もうまくいく。大丈夫。」と毎日綴られている、1人でイギリスに住む17歳の頃の手帳。
弾丸で大学の友人とバスに乗ってUSJへ行って、帰りに買ったスパイダーマンのグッズ。
20歳の記念に幼馴染と行った京都旅行での植物園のチケット。
なんだったか忘れてしまったけれど、大事だったような、少し重みのあるボールペン。
なんでこのボールペンがこんなに見覚えがあるのか、なんだか思い出すのが怖いような気もした。壊れてもいないし、いつかの私が大事にしていたのならと、もう少しだけ持っていようとペン立てへ残した。


ラックの一番上。

ここには、今まで私がもらった手紙が詰まっている。
手紙以外の余計な紙などは入り込んでいないか、確認しつつ封筒を手に取る。

幼馴染が小学生の頃にくれた手紙や、主に2007年あたりから今までの手紙。
母が残してくれた書置きのメモなんかも取ってある。

家族からの手紙。
演劇養成所のみんなからの手紙。
学校の先生からの、綺麗な字の手紙。
イギリスの友人や先生、留学会社のスタッフさんや、病院で仲良くなったスタッフさん。
舞台に立つようになってから頂いた、お客様からの手紙。
大学時代や、卒業してから出会った友人たちや恋人からの手紙。
忘れてしまっていた人からの手紙。

その他色んな人からの文字の羅列。

ぐわんぐわんと一気に思い出が押し寄せてくる。

家族からの手紙は、口では難しいからと手紙で、という思いを吐露したものが何枚も書かれて分厚く重ねられているものもある。
差出人の名前を見て、読んだら泣いてしまいそうだから、今回開けられなかった手紙もある。

ある人の事をずっと、ずっとずっと静かに恨んでいたけれど、こんなに優しい手紙をくれるくらいにはちゃんと愛してくれていたのだと分かる手紙。

一度破り、セロテープで止めた手紙すらも奥底から出てきた。
この時どんな気持ちで破ったのか、幼いころの私を考えると少し愛おしくなる。
必死に人と向き合って生きていたような気がする。そして相手も、色々なことを考えて手紙を書いてくれていた。

どれもこれも、基本的には温かく優しい言葉で綴られている。
たくさんの手紙に「大好き」「愛してる」という文字が残されていた。友人として、家族として、恋人として、私を知ってくれている人間として。


中学時代の先生からは「これからも、ノエルさんの持つ豊かな感性を存分に活かしてください。あなたの語り口調も好きです」と書かれた手紙は、ずっと私の心の隅っこで大事なお守りだった。


大嫌いだ、もう二度と会いたくない、と思った人間からの手紙は、この家に越す前にもらっているはずなのに、一緒にこの家に持ってきていたらしい。
捨てられない、いつか前に進める時が来たら。とこっそりクリアファイルに入れた記憶が蘇ってくる。そんなこと、すっかり忘れていた。

色々な人からの愛が一気に流れ込んできて、苦しくなった。

いろんな人の文字。便箋。封筒。
みんな私が好きそうな柄を選んでくれたり、絵を添えてくれていたり。
私へ送るために文字を綴ってくれてる。
溢れだしそうだ。辛い、嬉しい、苦しい、幸せ、色んな感情が押し寄せてくる。

あの時捨てられなかった手紙は、数年越しにようやく捨てられる。
いつの間にか、今はもう「前に進める時」になっていた。
少し救われたような気もしたし、あの時必死に生きてくれた私、お疲れ様という気分。

私はよく誕生日に何がほしい?って聞かれると「手紙」と言ってしまう。
母も毎年、「ノエルが書いた手紙と絵がほしい」と言って、寝室に飾っている。

私がなぜ手紙が好きなのか。
書いている間は静かに相手を考えられるとか、何を本当に伝えたいことなのかはっきりしてくるとか、相手の文字の愛おしさとか、きっと考えたら色々あるんだろうけど、

やっぱり数年後にこうやって見返した時の温度が、たまらなく好きだ。

たまに私なんてと卑屈になったり、なんの価値もないような気がしてしまうけれど、こうやって色々な人から愛をもらっていた。もらって、今ここにいる。

去年の誕生日には、手紙と、「書くの好きかなって」と万年筆と長い夜のようなこっくりとした青のインクをもらった。

大事な人たちへ、また手紙を出したい。

元気でいるのかな、でももう住所もわからない人もいるな。それもまた縁なのかもしれない。記憶の中でそっと優しく思い出す、それくらいがいいのかもしれない。

ただ、今言葉を伝えられる人たちへ、大好きだよの気持ちを込めて書き綴りたい。いつかのいつか、ふと思い出してもらえるかななんて、そんな未来を考えながら。

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