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【あなたの“ikigai”なんですか?】住民ゼロになった地域が希望で溢れている理由

クラフト酒、ドローンアーティスト、ガラス職人、馬を活用したコーチング。多種多様な職を手掛ける人たちが集まる場所が、福島県南相馬市にある。

"小高ワーカーズベース"

自分が表現したいこと、突き詰めたいことを実現できる場所として、全国から老若男女が集まる場所。東日本大震災で原発事故の影響で一時は住民ゼロになった地域で一体何が起きているのか。

そんな大きな変化の中で挑戦し続けているパイオニアこそ、今回の主役・和田智行さんです。

小高ワーカーズベース・和田代表

福島県南相馬市小高区にて、宿泊できるコワーキングスペースやガラスアクセサリーの工房を運営。また創業支援も手掛ける。
『地域の100の課題から100のビジネスを創出する』をミッションに掲げ、震災後、人が居住できない時から様々な事業創出に着手する。
南相馬市小高区は、東日本大震災の原発事故で避難指示区域となり、2016年に避難指示解除される。


原発事故の避難生活中に変化した価値観。お金があっても生きてはいけない。自分の居場所を探す旅路のスタート。

ー何がきっかけで、今の事業に至ったのですか。

和田:震災以前から、ここ小高に住んでいました。
東京の仲間と一緒に2つのベンチャーを立ち上げて、私自身は小高でリモートワークでシステムエンジニアをやってました。

原発事故で避難を余儀なくされ、あちこち避難生活を繰り返している中で、いずれ避難解除はされるだろうけども、解除されたとしても、課題が多すぎて人は戻らないよとそういった意見が多かったんです。けれど、ふと、課題って裏を返せば全部ビジネスのタネになりうるんじゃないかなと。

日本っていう国自体が成熟しきっちゃって、 余白がなくて苦しいなという風に考えていたことがあった中で原発事故が発生しました。避難生活を余儀なくされたものの、解除後には自宅に戻ろうと決断した時、ここは余白だらけのフロンティアなんじゃないかっていう風に気づきまして。

課題を解決するビジネスをここでたくさん創っていくことによって、自分が暮らしたい良い町を地元で実現することができるんじゃないかなと。
そんな風に考えて、当時まだ人が住めない状態だったのですが、震災から3年後に創業しました。

ー創業したときはどんな気持ちでしたか。

和田:うーん、なんていうんですかね。もちろん使命感みたいなのはありましたけども、地元の人間でしかも起業経験があって、帰還することを決めている。そんな人間ってなかなかいなかったので、自分がやらなきゃいけないという想いはありました。

しかし同時に、本当に自分が暮らしたい町を自分の手で作れるっていける可能性とか、それを実現できるっていう実感にワクワクしたのが正直なところですね。

震災前の起業は、どちらかというとお金を稼ぐためだけに起業したんです。早く大きく稼いで、 いわゆる経済的な成功をするのが目標だったんですよ。

けれど、避難生活の間にすごい価値観変わったんですよね。それはお金も含めて。避難中ってお金を持っていても、食べ物は手に入らないし、 ガソリンも手に入らなくて、逃げられないし、避難所もいっぱいで、寝る場所もないとかで、住みたい場所に住めないとか、そもそも家に帰れないとか。そんなお金が全く役に立たないという経験をしました。

お金が役に立たなくなった途端、 生きる力がないということをめちゃくちゃ痛感させられたんです。結婚して、子供もいて、起業して、ある程度金稼いで、世間的に見たらまあまあ成功してる人に見られるかもしれないんですけど、 お金がないと何もできないんだという情けなさというか、 それを避難生活中に強烈に感じました。

でもそんな中でも生きてこれたのは、お金のやり取りがなくても、助け合ったり、受け入れてくれたり。そういう人たちの存在があって生きてこれたので、その中で価値観が変わっていきました。

もちろん収入は大事なんですけど…。ただ大きくしていくよりも、自分の居場所となるコミュニティがあるとか、自分が役に立てる場所があるとか、そういう場所、あるいは関係性をたくさん作っていく方が、より大事なんじゃないかなと思います。

小高を見て、課題っていうビジネスの種がたくさんあって、余白だらけのフロンティアだという風に考えた時、お金を稼ぐだけが目的の事業ではなくて、自分が本当に実現したい社会や解決したい課題、 これに取り組むための事業をやろうという風に思えて。本当に全然違う目的で、モチベーションが湧いてきたんです。

収入が少なくても何の不安もないっていうか、そこはあまり大事じゃないという考え方ができたので、今のチャレンジができましたね。

住民ゼロになった超・課題先進地だからこそ示せる自立した地域とは。

ー『地域の100の課題から100のビジネスを創出する』をミッションとしていますが、こちらのミッションを設定した背景を教えてください。

和田:100という数字に何か根拠があるわけではないんです。
単に10だと少ないし、1,000だと現実離れしてるみたいなところで100にしました。

気持ちとしては、被災地に限らず日本全体で課題や問題があると、その解決を国や行政とか、あるいは特定の大企業とか、そういう人がやるもんだという考え方になりがちだと思うんですね。

そうではなく、目の前の課題は自分たちで解決できるものだし、ボランティアや補助金を使って時限的な取り組みをやるのではなく、ちゃんと継続的に課題解決に取り組むためにビジネスを創っていくと。
被災地だからボランティアや支援に頼るのではなく、自立していくんだぞという、そういう思いを込めてミッションを掲げましたね。

ー(具体的に)どんな事業を行なっていますか。

和田:宿泊できるコワーキングスペースの小高パイオニアヴィレッジを運営しています。また女性にとって魅力的な職場や環境を作ろうということで、ハンドメイドのガラスアクセサリーを製作する工房を運営しています。

自分たちだけで100の事業作るのは大変なので、起業家志望の方に来てもらって、創業支援などもしています。

ここに来る起業家って、復興支援とか福島のためにみたいなことを目的に移住してくる人はほとんどいなくて、単に自分が実現したいことがあって、それを実現できる環境として、この小高が一番魅力的だと感じてチャレンジしにくる人たちなんです。
年齢層としては、20代男性が多く、40, 50代の人もいらっしゃいます。

ー様々なことに対してオープンですよね。

和田:そうですね。やっぱり僕らも全く経験したことない状況に直面したので。住民ゼロになってから新しい町を作ろうっていう、誰もやったことがないと思うんですけど、 そのプロセスにおいて何が必要なのかとか、何がいいものになるのかとか、そんなのって分からないですよね。
僕らの高々40年ぐらいの経験とか、 あるいはこの地域しか知らない人たちの価値観だけでは測れないと思っていて。

なんかあんまり理解できないけども、なんだか知んないけど面白そうだとか、実現したいことはすごい伝わるとか、そういうことを恐れず受け入れて、形にしてあげた方が面白いだろうなと思います。他の地域でなかなか受け入れられないような事業を受け入れてこその、ゼロからのまちづくりだとも思っています。
そういう意味でオープンに見えるのかもしれないですね。

「予測不能な未来」だからこそ、楽しんでしまおう!革命を辺境から始めてしまうチャンスがここにはある。

ーどういう社会にしていきたいですか。

和田:日本っていますごく窮屈に感じている若者たちが多いと思うんです。
ここにはいろんな学生来るんですけど、ここは自由と可能性があるって彼らが言うんです。

大都市とかで生活していると、 良い大学に入って、いい会社に勤めて、安定的な収入を得るのが人生では大事だという、そういう価値観にどうしてもがんじがらめにされてしまう。でも本人は当然、若い世代はそんな一生安定する仕事なんかないってこともわかってます。

その価値観とは違うキャリアに興味はあったりするんですけど、周りの環境がそれを許さないみたいなところがあって、モヤモヤしながら一般的な就職を選んでいくみたいな人たちがいる。

そんな中でここに来ると、やりたいことやってもいいんだとか、例えば安定したキャリアを捨てて、やりたいことを一生懸命取り組んで楽しんでる大人たちが沢山いるんだということを知って、希望に感じてくれるんです。

若い子たちが多いので、こういう場所があるんだよっていうことを若者たちに伝えて喜ばせたいというか、なんか自分もやってみたいなとか、 チャレンジしたいなって思ってもらえるといいかなと思います。

お金稼ぐだけだったら、別の仕事やった方がいいと思うんですよ。それこそ、将来何十年と安定ではなくても、就業すれば給料もらえる環境はいっぱいあるので、 お金稼ぐだけだったら普通に働けばいいだけ。

起業って、自分が表現したいものを商品やサービスという形で世の中に伝えて広げていく手段の1つだと思っているんですね。アーティストが歌を作ったり絵を書いたりして、自分が自分の世界観を世の中に伝えることと一緒だと思っていて。

そういう何か自分が表現したいこととか、自分が世の中に伝えたい、あるいはこう伝播させたい価値観みたいなものが広がっていったり、それによって変わっていく人が増えてったりっていう社会にしていきたいですね。

ー大切にしてる価値観、信念はありますか。

和田:結局は未来は予測できないので。
起業家を募集する時の伝えてるメッセージなんですけど、予測不能な未来を楽しもうということですね。

予測できないからビビって挑戦しないのではなく、予測できないものですと割り切ってしまおうと。我々がまだまだ想像もできないような可能性の方がたくさん未来には埋まっているんだから、そっちにフォーカスして実現しようと前進していきましょうと。

ー10年後どんな未来を作っていきたいですか。

和田:僕らは、100の事業を作って何がしたいのかというと、最終的には自立なんです。被災地に限らず地方いろんな課題がありますけど、 それを解決するために、どうしても今は行政が莫大な予算使って企業誘致とか商業施設誘致とか、そういうことで解決してしまう。
それ自体はいいとしても、問題はそれによって地域の特に雇用とか経済とか、ここに住んでない東京等の大企業に任せちゃってるという構造が、僕は非常に危ういなと思っています。

これだけ先行きが見通しにくい世の中において、その誘致した企業が何十年、何百年もその地域支え続けるなんてことはあり得ないですよね。

今回の災害もそうですし、コロナもそうですし、物価高なんかもそうですけど、そういう予期せぬことが起きた時に、採算合わないとなったらば、ここに住んでない東京本社のたった数人の意思決定によって撤退するわけじゃないですか。

そうなったら、その企業と一緒に地域が共倒れしてしまいます。それって自立的じゃないし、 その最たるものが僕は原発っていうか、今の日本のエネルギー政策だと思います。その構造自体をやっぱり変えないと、今回の原発事故みたいな悲劇ってまた絶対いつかどっかで起こるわけなんですね。

だから、 そうではなく、小さくてもいいから多様な事業者がどんどん生まれて、子供たちにとっても起業するとか、 地元でなんか生業を持つっていうことが憧れの選択肢の1つに入ってくると。

そうすると、これからどんな社会が変化していっても、その変化に合わせた新しい事業をまた若い世代が立ち上げていくと。

そうやって新陳代謝繰り返しながら、でも常に町にいろんな事業がぼこぼこ生まれてって、 町自体が停止せずに50年、100年、1,000年と続いていく。そういう自立的で持続可能な地域、それをこの小高にまずは作りたいなと思っていて。
そのきっかけとして、僕らはまず100の事業を作ろうと。作ればここで起業することは特別なことじゃなくなるはずなんで。10年後、20年後ぐらい、 もうちょっとかかるかな。実現していきたいなと思います。

ーご経験だったりとか、乗り越えていくものっていうのもあったと思うのですが、 現時点でどう生きていきたいかをお伺いしてもよろしいですか。

和田:そうですね。僕は今の会社を大きくしようとか、そんなこと全然興味なくって。 どんどん社会変わってく中で、その変化に応じた事業を自分自身も最前線で立ち上げられるような、そういうプレイヤーでずっと居続けたいなっていう風に思います。

将来的には僕らがここでやってきたこととか、 その地域の課題の捉え方とか、それに対する向き合い方とかあり方、そういったものを他の地域に役立てていきたいです。例えば少子高齢化がめちゃくちゃ進んでる地域に、僕らはうまくここでやってることを伝播させていくような、そういうことができたらいいかなという風に思います。

メディアが報じている復興も現実。しかし僕たちが伝えたいことは、今後日本、世界で起こる現実に向き合っているのだ。

ー避難生活中に価値観が変わったということですが、東日本大震災に対して、和田さんご自身はどのようにこう捉えていらっしゃいますか。

和田:そうですね。うーん、これは非常にセンシティブな話になってしまうかもしれないのですが。 もちろん、震災自体はとても不幸なことです。
僕自身もいろんなものを失ったり、辛い思いとか、恐怖も含めて、いろんな感情と対峙しながらやってきたので、思い出したくないこともいっぱいあります。

しかし、いずれにせよ、日本全体が衰退に向かっている中で、僕としては何かやり直しをするチャンスが与えられた、そういう災害だったかなという風に捉えています。

特に原発事故が起きて住民がゼロになるなんてことは、 恐らく今後もないと思うし、まああったらいけないことなんですけど…。そうなった時に住民ゼロからこれからの地域が持続していくために、どんな社会、どんな町を作ればいいのかを考え、実際行動に移すきっかけを作ってくれたという意味ではプラスに捉えています。

被災したからには、しっかり生かさなきゃいけない機会だなという捉え方をしてますね。

ーメディアや報道に対して感じられていることはありますか。

和田:良かったことは、南相馬とか福島の知名度が上がったりとか、応援したいという人たちに情報を届けてくださる意味では非常にありがたいなと思っています。
一方、僕らが伝えたいこととか、届けたい価値観みたいなところが無視されてしまうことが往々にしてありますね。

特にテレビは、大変な思いをした被災者が前向きに復興のために頑張っています、といったストーリーを届けたいという考えで取材にいらっしゃることが多いです。

もちろん、僕らは地元のためにやってるんですけども、それは結果として、地元が良くなるという話であって。僕らがやりたいのはもっとその先というか、この地域だけ復興しても、世の中良くならないと思っています。

原発事故って、福島の課題じゃなくて、日本あるいは世界の課題ですからね。被災地だからこそ、ただ地元が復興してよかったねという話ではなくて。現にいろんな災害が世界的に起きているし、世界中の人たちがこの問題を考えなければいけないからこそ、僕らは世の中がこれから良くなっていくための社会のあり方やモデルケースを作っていかなきゃいけないと思ってます。
そういうことをもっと僕らは伝えて、共感してくれた人に協力してもらったり、仲間になってもらったりしたいんですよね。

しかし、どうしてもその手前の福島という面でとどまってしまう。そこがなかなかうまくいかないなと思うところですよね。
震災後12年経っても報道の仕方はそこまで変化がないです。

ー最後に、視聴者の皆さんにメッセージ、もしくは伝えたいことをお願いします。

和田:若者たちって、自分が何か社会に影響を与えられるっていう自己効力感を持ってる若者はすごく少ないっていう、データがよくあります。

ここはそうじゃなくて、住民ゼロになった状況からでも、こんなに楽しくて 暮らしが豊かな社会を作れるということ。それは別に大企業が主導してやってるわけでもないし、国が主導してやってるわけでもない。
一民間人がみんなで協力してやってることですから、誰でもどこでもできるよって。そういうことを 伝えたいし、じゃあ自分たちもやってみようという気持ちになってもらえるといいなと思いますね。

この記事をご覧の方で、自分たちの地域やどんどん衰退していくものをどうやって食い止めたらいいんだろうかとか、そういう課題に頭を悩ましてたり、そういった課題感を抱えて悶々としてる人もいるかもしれません。

もしそういう方がいたら、僕らが力になれることはあるかもしれないんで、ぜひ声をかけてほしいです。

僕は、『革命は辺境から始まる』ていう言葉が好きなんです。福島は首都圏には近くても、この原発の被災地は精神的には辺境ですねから。

中央から変化って起きないので、僕らみたいな地方・辺境の地から世の中を変えていきたいなと思います。もう辺境からしか変えられないんだったら、ここが一番の辺境だし、ここから変えていくしかないと思っているので、興味持った方はぜひ一緒にやっていきましょう!

ギャラリー

クラフト酒というお酒を作ってるhaccobaという酒蔵。
人間の感情や行動をダイレクトに返すという、馬のミラー効果を活用したコーチングセッション。
一足30万の革靴を作る職人さん。

ドローンアートですね。
単に人間の生活の利便性を高めたり、経済活動の合理化を進めるだけのツールではなくて、 ドローンアートを地域の人たちと作ることによって、アートと共にテクノロジーをアップデートさせようということを目指してる人。

森の中にコンサートホール作ろうみたいな人。



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