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NO GUARANTEE MAGAZINE ARCHEIVE 彩羽匠インタビュー①(2019年)

女子プロレス・マーベラスの彩羽匠。スターダムに入団後、両国国技館でデビュー。その後、長与千種が立ち上げたマーベラスに円満移籍したという女子プロレス界では珍しい経歴を持っている。プロレス入りしたときから、「長与千種に憧れて」と紹介されていたので、この移籍自体、周囲も納得のいくものだった。2018年にはWAVEのRegina王座を獲得し、初めてのシングル王者にもなった。最初からエース候補として期待されていた逸材が、いよいよ前線にでてきた!

長与千種は、1980年代後半に女子プロレスブームを起こした大スター。引退後、自身の団体GAEA JAPAN(1995-2005年)を設立し活動を終えた後しばらくプロレス業界との関わりを持っていなかった。しかし周囲の後押しもあり2016年にマーベラスを旗揚げした。彩羽がYoutubeを見て長与千種のファンになったという経歴が伝えられたとき、時代も変わったなと思ったもの。リアルタイムで見ていない人のファンになってプロレスラーになる、という事実。この辺りの詳細から聞いてみた。

プロレスとの出会い

 高校も大学も、剣道の推薦で行きました。高校の時に、授業の最後の10分間、Youtubeを見るというのがあったんです。三沢さんの事故(2009年リング過で死去)があったからなのか、トップ画面にプロレス関連のものが表示されていて。プロレスって名前は知ってるけど、よくわからない。北斗晶、神取しのぶという名前があって、北斗晶、知ってる!と思って見てみたら、衝撃を受けて。闘いの中でもドラマがあって、感情も思い切り出すし、面白い!と。そこから、長与さんなんですが。その読み方がわからなかったんです(笑)。Youtubeの画面に出てきても。たまたま、自分の剣道の先輩のお父さんが長与さんの大ファン。現役当時の生中継をビデオ録画していて、「プロレス好きなら、これ見なよ」と。「あっ、読み方わからない人だ。でも見てみよう」。見たら、超ハマって。ダンプさんとの髪切りマッチも、何だこれは、ここまで賭けるのかと。それが衝撃的。同じような年代の人が、こんなに多くの人の前で髪を賭ける、どんな気持ちなんだろうと思いました。そこから、「プロレス好き」から「プロレスやってみたい」に変わったんです。

 本当は、高校を辞めてプロレスラーになろうと思ってました。剣道で大学も決まりつつあったので、「プロレスよりも、まずは大学に進んでみようよ」と先生や親からも言われ、無難な道を選びました。でもやっているうちに、剣道の熱よりプロレスの熱が高まってきて。大学を卒業したら22歳だし。色々考えてそこからトントン拍子で、大学を辞めたんです(笑)。辞める前に、長与さんに直接会ってみたいと思い、その時に湯島にあった長与さんのお店に行ったんです。長与さんは「プロレスラーになりたいなら、大学で4年間、剣道をしっかり頑張って。それから進んだらいいよ」と言われました。会ったら会ったで、長与さんが言うこともわかるけど、もっとプロレスラーになりたいという気持ちが強くなって。福岡に帰って、大学をすぐに辞めて、上京して、スターダムに入団しました。その時、長与さんは、プロレスに関わっていない時期。長与さんも、プロレスの団体をつくるか迷われていたみたい。後々聞いたら、だから「4年間頑張って」と言われたんだと。

スターダムに入団

 自分、昔のプロレスしか知らなかったので、今のプロレスは知らなかったんです。上京する機会があった時に、興行があるところを見に行こうとなって、それが、たまたまスターダムの後楽園大会でした。それで、ここにすると決めたんです。他を知らないから。風香さんとやりとりして入団、そこからスターダムの寮に入りました。

 長与さんのすごい多くの観客の中でやってる映像を見てきて、神取さんと北斗さんの試合も大きな会場で、そのイメージしかない。横浜アリーナとか、日本武道館とか。最初に連れていってもらった興行が新木場1stRINGだったんです。「あ、お客さんと近い、こんな会場でやるんだ」と思っていたら、ふだんはここで、ビッグマッチが後楽園ホールだと。今の時代ってそうなんだと正直思いましたね。昔はすごかったけど、今はこんな感じなんだあと。

2カ月でプロテストは合格したんですが、両国大会開催が決まっていたので、そこまでの半年ぐらい、練習をしっかり積んでからデビューという形でした。普通はデビューというと、新木場とか後楽園で、身内の先輩とやるわけなのに、里村さん(現・センダイガールズ主宰、ガイア時代の長与の弟子)とやるというのはびっくりしました。団体内だと一緒に練習するから、なんとなく手の内がわかるんですけど。まだデビューしていないし、プロレスも全然わからない。まずは、壊されない体づくりを頑張りました。あんな大舞台で、デビューさせてもらえるのは、ありがたいことだったので。期待を裏切らないようにしたいという気持ちはありました。練習しかしてなかったですね。朝昼晩と練習して、足の裏の皮も剝げてしまって。辛かったですね。周りも両国に向けて気合いが入る。だから、自分には構ってられない。でも自分は必死でしたね。

 試合内容は、全然覚えてないです。入場する時に、初めてスポットライトを浴びる。普通に過ごしていたら浴びることはないスポットライト。あの両国で。スポットライトが眩しすぎて、リングがどこにあるのか、わからなかったというのは覚えています。周りからは「よかった」とは言われました。でも「デビューする時は、温かく見てくれるけど、その後大変だからね。両国でデビューしたのが期待ではなく、期待されているから両国でデビューだから」。スターダムの時に先輩から誉められることはなかったですね。みんな厳しかったので。

 剣道つながりで世羅さん(アイスリボン)と組んだ時、プロレスの面白さを少し知った気がしました。それまでは、プレッシャーのかたまりで、試合しては「あー、ダメだった。どうしよう」という感じだった。今考えれば、新人で完璧なんてない。今でも完璧じゃないし、誰でも完璧じゃない。完璧な人なんていない。絶対反省があるわけですが、反省があることが「あーダメだ」と思っちゃう期間でした。自分、超ネガティブなんです。考えがネガティブ。世羅さんと組むようになって。歳も近くて、キャリアも近くて、二人とも剣道をやってたという中で、ふざけたりというのはないですけど、プロレスの遊びをちょっと覚えたというか、知りましたね。そこから、世羅さんと組んで、七海里(高橋七奈永と宝城カイリ)さんとタイトルマッチ(2014年12月23日)を、初めて後楽園のメインに立って。負けはしたんですけど、その年のベストバウト賞(スターダムの年間表彰)をもらって。その時に初めて七奈永さんから「たくちゃんの頑張りだよ」と誉められました。デビュー2年後ですかね。

②へ続く

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