役目の終わり

母が亡くなって2年もたたずに父は後を追うように亡くなりました。死亡診断書の死因は「胃がん」と記載してありましたが、母と同様に心臓が原因で亡くなったようです。
元々父は心臓が悪くてニトログリセリンも服用していたことから、推定ですが抗がん剤を変えたことの影響に加えて、その後に遊んだり仕事に行ったりと自分に負荷をかけ過ぎたのではないかと思います。
父は一所懸命介護していた母を失って生きる目的を無くしてしまい、がんになって余命宣告を受けたことで家の整理もして自分の役目を終わらせた形でした。人間は役目が終わったらこの世から旅立つ、と考えました。

母が亡くなった時の経験もあり、役所の手続きなどは要領よくできました。ただ父の場合は仕事をしていたので勤務先との給料に関する調整、父の預金口座や携帯電話の処理など、やることが大量にありました。
加えて葬儀の段取りもあり、葬儀までの2日間だけでなく、終わってからも目まぐるしく動きました。

20日の葬儀では、父の勤務先からたくさん弔問に来ていただきました。13日に養老の滝へ一緒に遊びに行った仲間たちは、本当に信じられないと言っていました。母と同じ葬儀会場で家族葬としたのですが、2年たたずに同じ場所で今度は父を見送ることになろうとは、人生は何が起きるのか予想できないとつくづく感じました。

葬儀はまた雨でした。葬儀が終わって火葬場に向かうと、母の時と違ってリニューアルされていました。まるで結婚式場のように個室の待合室もあり、たいへん綺麗でした。火葬場所も最新の設備になっていて、違和感を感じました。それでも火葬した後の父の骨を拾う時は、母同様に涙無くしては拾えませんでした。

葬儀のあともたくさんの事務処理が残っていました。特に車の処分をどうするか、母が介護状態になった時に車椅子でも乗り降り可能な特別な車に変えていました。
父が入っていた自動車保険会社の担当を通して、車を引き取っていただく会社を紹介いただきました。購入した金額の10分の1以下の査定でしたが、置いていても仕方ないので売りました。
引き取りの当日、鍵を渡して車が去っていくのを後ろからみて、涙が止まりませんでした。あの車で、父は介護状態の母と知多半島に行ったり病院へ行ったりしていたのですが、その車も役目が終わったので去っていきました。

役目が終わると、みんな去っていくのだな。

父の公園清掃の職場にも挨拶に行きました。亡くなる前日、父は事務所から駐車場までの緩やかな坂道を苦しそうに登っていたと聞きました。この坂をずっと登っていたんだな、と何やら複雑な気持ちになったことを覚えています。

親はいずれ早かれ遅かれ亡くなります。誰でもそうですが、役目が終わったらこの世界から旅立っていく、と父の死を迎えて感じました。
実際自分が両親を失ったことで、早くに両親を亡くした家内の気持ちが本当に実感できました。ただ、人生というのは「まさか」の連続です。この後究極の「まさか」が訪れるとは、この時点では思いもつきませんでした。

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