DEIは絆創膏を剥がしてくれる

島本理生の『ファーストラヴ』を読んでいた。
物語自体も面白かったのだが、朝井リョウの解説もまた良くて、わたしがDEI活動をするきっかけを思い出させてくれたので、そんな話を綴ってみようと思う。

*少しだけ作品の中身に触れるので注意

朝井リョウが
「想像することをサボれば、自分とは別の肉体が生きる景色を知ることはできない。……自分ではわからない気持ち、自分だけでは辿り着くことのできない感情を教えてくれるものだと実感した。そしてそれは、自分とは異なる肉体が歩む道を想像するスイッチを授けてもらえることなのだ」
と語っているように、持っている肉体や置かれた環境が異なると、世界は別のものになる。

すなわち。同じ出来事や言葉でも捉え方は全く異なる、と。

たとえばね。
出来事に対する他者の反応を見て、誰しも
「そんなことでそこまで…?」とか「気にしすぎでは…?」と思ってしまったことはあると思う。だけどそれって、あくまで自分目線のフィルターを通してしか世界を見てないから出てくる言葉であり。
自分フィルター(DEI用語で言うならアンコンシャスバイアス)に気付かせてくれる。それが読書の醍醐味なんだなあと思う。

で。
わたしが学生時代にアメリカ黒人文学に傾倒したのもそれが理由である。
当時のわたしには、黒人文学で描かれる感情全てが新鮮だった。歴史的・文化的背景やら時代やら肉体的特徴やらが異なるだけで、同じメッセージや出来事でも、感じ方はこれほどまでに異なるのかと。
何気なく発されるメッセージの中に構造主義を読み解けてしまうこと。読むたびに「目から鱗」体験をさせてもらった。そしてわたしはその「目から鱗」が落ちた後世界が少し広くなったような、すっきりとした感覚が好きである。

だからマイノリティのストーリーは面白い。見ている世界が異なる。自分の考え方がいかに一面的に過ぎないか、それを思い知らせてくれる。
ジェンダー、人種、セクシャリティ、障がい…いろんな境遇のひとのストーリーを知って、少しずつ自分の鱗を剥がしていくのが面白くて、好きで、DEI活動を始めた。

「DEI活動をする人って、本業で成果出せないから仕方なくやるんでしょ?」と言われたことがある。
確かにDEI活動をそういうふうに利用している人もいると思う。

でもね。

マイノリティを学ぶって結構面白いのよ。
知らないことを知っていく快感。ぺりぺりと剥がれていく絆創膏。剥がれて初めてその絆創膏の存在に気づくときのハッとする感覚。
それがそこにはあるからさ。

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