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大きな玉ねぎの下で(12)

「私に聞いてもわからないけど、一緒にいる時間を長くするためじゃないかな。今日もあのエスカレーターで建物の中に入ろうね」
 さらっと話す亜紀に僕はドキドキしていた。学生時代の僕たちにどんどん戻っていく感じがした。
 「そうそう、この遅さ、最高ね。ここのエスカレーターより遅いエスカレーターって日本にはあるのかな」

 亜紀は聞こえる言葉で独り言を言った。

「ねぇ、聞いているの?」
「え、独り言を言っているのかと思った」
「もうー、たくちゃんは昔と変わらないね」

 学生時代ならいつもここで喧嘩になった。でも今日の亜紀は、笑いながら僕に話しかけている。

 一緒に建物に入ると、タイムスリップした感じがした。僕たちは立ち止まった。立ち止まったというより、身体が固まり動けなくなった。変わらぬ格調ある建物の雰囲気の中で、亜紀と二人で、誕生日を祝った。
 あの時の僕たちに完全に戻っていた。自然と亜紀の手の甲に僕の手の甲が触れた。触れようとしたのではなく、立ち止まったときに触れてしまったのだ。亜紀は手を動かそうとしなかった。絨毯の床、そして高い天井。

 僕の胸の中で湧き出てくる熱い思い出。
 「ここで結婚式もできるね」と話をしたこと、誕生日のお祝いで食事をした後に亜紀にネックレスをプレゼントしたこと、亜紀は嬉しそうに涙しながらそのネックレスを目の前で付けて「似合うでしょ。一生、このネックレスは付けているからね」と言った言葉。

 僕たちは無言で並んだまま立ち続けていた。僕の目から涙が出てきそうになった。そっと亜紀を見ると亜紀の頬が赤く、目に涙を溜めていた。

 僕たちの人生は、いつから一緒でなくなってしまったのだろうか。どうして違う道を進み出してしまったのだろうか。そして、再会できたことの意味はなんなのだろうか。

 何度も亜紀に連絡を取ろうとしたが、僕たちは卒業とともに遠距離になり離れ離れになってしまったのだと、心の中で思っていた。亜紀に確認もせずに、徳島と秋田とでは離れすぎてしまうと勝手に思っていたのかもしてない。そう思うと、また涙が出てきた。

 僕は亜紀の誕生日プレゼントを買おうとして、アルバイトをしていた。授業が終えて、たこ焼き屋に直行し閉店までたこ焼きを焼いていた。茶色の宝石がついたネックレスが買えるまでたこ焼きを焼き続けると決心した。
 生まれて初めて宝石店に入り、そのネックレスの値段を見た。6桁以上のものばかりが並んでいた。その中で、小さいが茶色の宝石がついているネックレスが数万円で買えることを確認していた。

「たこ焼き一つください」

聞き覚えのある声に顔をあげるとそこに亜紀が立っていたのだ。

「あ、たくちゃん。ここでバイトしているの?」
「あ、うん、そうだけど、言ってなかったよね。ごめん」
「ここを通っていたら、たこ焼きのいい匂いがしてきて、食べたくなっちゃって。偶然ね。びっくりしたわ」

 亜紀が通ることのない路地にあるたこ焼き屋、そこに一人で亜紀が来たのだ。絶対に偶然とは思えない。

「時間できたら、また出かけようね」

 亜紀の言葉が重く感じた。バイトばかりしていて、亜紀と会う時間も少なくなっていたのだ。


「たくちゃん、私、誕生日のこと、いっぱい思い出しちゃった」
「俺もだよ」

やっと亜紀が話し出してくれた。でも、亜紀の頬は赤く染まったままだった。

「あれから10年近く経ったのね」

ゆっくりと一つ一つを思い出すように亜紀が話し始めた。

「あの時に食べたフランス料理、美味しかったわ。私、緊張して食べたよ。それをたくちゃんに気づかれないようにしていたの」
「俺もだよ。でも亜紀の誕生日だったし、一生忘れられない日にしたかったから」
「そうね、一生ね、一生……」

亜紀は一生という言葉を繰り返した。そして二人は自然と同じ場所に向かって歩いた。

「たくちゃん、ここだよね」
「うん、ここだ」

 亜紀の誕生日に僕たちは少しおしゃれをして、この建物に入った。そしてこの絨毯の上を歩き、ホールのドアの前で並んで写真を撮った。その時と同じ場所に今僕たちは並んで立っているのだ。

「亜紀……」
「たくちゃん、黙って。少しこのままでいたいの」

 亜紀の横顔を見ると目を瞑っていた。亜紀の横顔は10年前の亜紀の顔になっていた。瞑っている目から少し光るものが見えた。

 そっと亜紀の手に触れた。亜紀も僕の手に触れてきた。二人の手の甲が再び触れ合った。それ以上でもなくそっと触れ合ったまま、一緒に10年前に戻っている気がしていた。

「たくちゃん、ここで一緒に写真とろうか?」

 亜紀の無邪気な言葉に、戸惑った。亜紀は結婚している。それなのに僕が並んで亜紀と写真を撮っていいのだろうか。それも一生忘れないと言った場所で。

「すみません、写真お願いできますか?」

 亜紀は僕の了解も取らずに、近くにいた40代ほどのご夫婦にスマホを渡し、写真を撮ってくれるように頼んでいた。

「たくちゃんはこっちだったよね」

 そうだ、僕は10年前、亜紀の右に立っていた。亜紀は今日も同じように僕を右に立たせた。くすっと亜紀が思い出し笑いをした。

「はい、撮りますね。お似合いですよ」

 亜紀は満面の笑みでVサインまでして写真を撮ってもらった。

「素敵なご夫婦ですね。新婚さんかしら。羨ましいわ」

 どうも40代くらいの夫婦は、僕たちを夫婦と思ったらしい。亜紀もそれを否定しない。この10年の間に亜紀に何があったのだろうか。ますます聞きたくなった。でもやはり聞いてはいけないのだろうと心を抑えた。

「たくちゃん、私たち、夫婦に思われちゃったね」

 笑いながら亜紀は僕に話しかけてきたが笑っているのは口だけだった。笑っているのに目は悲しそうだった。僕は10年前の話をしたかったが、怖さもあった。全く違うことが僕の口から出ていた。

「亜紀、さっきくすって笑ったよね」
「あ。わかっちゃった。だって」
「『だって』って、なんだよ」
「覚えてないかな。あの日もこうして写真を撮ったでしょう」
「うん、覚えているよ」
「あの時、並んで立つのに、たくちゃんは私の右がいいと何度も言って。写真を撮ってもらおうと頼んだ人が困ったこと覚えている?」

 その時のことは、はっきりとは覚えていなかったが、亜紀の言葉で思い出の缶詰の奥からその瞬間のことが出て来た。

「だって、たくちゃんは私の右に立ちたいって、わがままいうんだもの。理由を聞いてもなかなか言わないし。それを思い出したの。それでくすって笑っちゃった」

 そうだ、僕はあえてあの時、右を選んだのだ。本当の理由は結婚式の時、新郎は新婦の右だと思っていたからだ。だから亜紀の右に立って、この場所で写真を撮りたかった。

「ねぇ、どうしてそんなに私の右に立ちたかったの?」
「内緒だよ」
「私、わかったの。大学を卒業して2年経った日に、どうしてたくちゃんが私の右に立ちたかったとうことがね」
「2年って?」
「なんでもないよ。でも理由がわかるのに2年もかかっちゃった」

(二人の人生は大学卒業とともにお互いに違う方向へ進んでしまった。でも、いま二人は、その時にもどり始めた。 次回へ続く)

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