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これから時々、短歌評をやってみよう(初回は、萩原慎一郎さん)

歌評を書いてみようと思ったという話を前日に書いた。

じゃあ、先送りせず書いちゃおうと思って、今日のnoteになる。

2017年に亡くなった萩原慎一郎さんという歌人の『歌集 滑走路』から。

きっとまだ、萩原慎一郎さんの良さはあまりわかってないだろう。
平易な言葉で詠まれた短歌が多いから、目を惹く言葉を使った短歌より、余計に工夫もあるだろう。その辺まではきっとすぐには理解できないだろう。だからきっと、短歌を理解できるようになったら、萩原慎一郎さんの短歌には、後で戻ってくると思う。

そして、平易な言葉でつづられているから、状況については説明がいらないものが多い。通常は、さらに、気持ちや詳しい状況を説明しようと、言葉を足して、その分、平易に説明する際にはあった言葉さえも削ってしまう。でも『滑走路』にある短歌はそうじゃない。

そして、空白の使い方が気になる。通常、短歌ではあまり空白を入れない。
ひらがなが続いて詠みにくくて、必然的に入れた空白もあれば、意味を切りたくて入れる空白もある。歌を読むリズムに気づかせるための空白もあるだろう。萩原慎一郎さんの短歌には、あれ? という空白が時々ある。私も空白を割と使うほうだ。入れたくて入れてるわけではないけれど、どうしてもそこに空白が必要だと感じることがある。自分では理由がわかっていないこともある。漢字にしたり、語順を変えれば済む話じゃない。萩原慎一郎さんの短歌に触れる中で、その辺の秘密が探れればいいなぁ。

短歌評

風景画抱えて眠るように ああ あの青空を忘れたくない

『歌集 滑走路』| 萩原慎一郎

どうしても忘れたくない風景があるのだろう。いや、青空と言っているが、忘れたくないすがすがしい気持ちかもしれない。そうすると、青空に例えたから、風景画という言葉が出てきたのだろうか。ある程度のサイズがある風景画を抱えて離したくない、忘れたくないという気持ちが、「ああ」という感嘆ですごく伝わる

思いつくたびに紙片に書きつける言葉よ羽化の直前であれ

『歌集 滑走路』| 萩原慎一郎

短歌を詠んでいると、気持ちや状況や事象を何かの単語で書きつけることがある。でもそれがしっくりこない場合、後に、その言葉を違うものに置き換える必要がある。どうしても、その瞬間を切り取りたいのに、「強い風」「まぶしい太陽」じゃダメなんだ。では何が正解なのか、の答えは書きつけた時にはまだない。いつ正解にたどりつけるかわからないが、もし、それが羽化寸前なら、きっとゴールは間近だ。いい言葉を思いついて、それがいつも正解に近かったら、歌人はどれだけ楽だろう。

きみからのメールを待っているあいだ送信メール読み返したり

『歌集 滑走路』| 萩原慎一郎

仕事でよくあるシーン。この場合は、恋愛だろうか。もう送ってしまったメールは、取り返せないのだけれど(あとで取り消しできる機能は今あるけど)、意図が伝わったか、期待通りの返信がもらえる内容になっているか、送ったメールを読み返すしかない時間がある。それについて、後悔、落ち着かなさ、があるとも言わない。だから、自分のことを返りみて、読み手がそれぞれ、「ドキドキするよね」「やっちゃったって思うよね」「いい返事でありますように」と勝手に解釈をする。なんでもないけど、目に止まる歌。

一人ではないのだ そんな気がしたら大丈夫だよ 弁当を食む

『歌集 滑走路』| 萩原慎一郎

そう、自分一人だから、解決しない。誰かを想像できるなら、できることも広がるし、ちょっと心の負担も分け合えるかもしれない。この歌には、空白が二か所ある。そのまま文章を使うなら、
「一人ではないのだ」そんな気がしたら
でも、
(一人ではないのだ)そんな気がしたら
でも、いい。
空白により、場面転換ができる。
一人の心の声 → 大丈夫と言ってあげる人のセリフ → 日常のシーン
おそらく、自分に向けて、言ってるのだろうけど。

夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから

『歌集 滑走路』| 萩原慎一郎

大学卒業後、バイト生活をしながら、歌を作っていたそうだ。
だから、行き詰まった生活にまつわる歌も多い。どんなに空想を広げ、言葉の海にさまよっても、朝になれば、ただの下っ端という現実がつきつけられる。毎日、そんな気持ちにさせられるのであれば、私なら、もう歌を作ることを止めてしまうかもしれない。「下っ端」という一言で、全部に納得してしまえるなんて。人生の評価がそこにあるようで、なんて残酷な言葉なんでしょうね。

今日のまとめ

先に書いた通り、歌の状況については読めばわかるものが多いので、歌の解釈はあまりいらない。なぜ、こういう語順にしたのか、なぜひらがなにしたのか、なぜ空白を入れたのか、その辺まではよくわからない。いろんな人の歌評をしていく中で、少しずつ、気づければいいかな。いつか、それが自分が作歌する時に返ってくるだろう。3年後、自分の歌に返ってきますように。時々やろう。週一回は多いかな。月一回でも。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。