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歌会記:天国に送信したい画像が溜まっていくことを詠みたかったのです

久々の歌会に持っていった歌は、えーっと…、散々でした。

送った詠草はこちら。

育つ子の様子聞いてきた父のため「天国 画像 送信」検索

子は誰の子なのか?
亡くなったのは誰なのか?
何を検索したいのか?
なぜ検索が最後なのか?

短歌では、必ずしも詠み手一人の目線ばかりでもありません。登場人物の関係性が明確じゃないために、ずいぶんと歌会の参加者を混乱をさせてしまったようです。「育つ子」としたことで、お腹の中の子と思われた人もいて、亡くなったのは、お腹の子? という解釈まで見られました。申し訳ないです。

こちらの意図通りに、詠み手を中心に置いて、詠み手の子、詠み手の父と捉えて、子の様子を天国にいる父に送信する手段を探ると考えてくださる方もいらっしゃいましたが、「違うかもしれないけれど~」という言葉がついてきます。

歌会に送る前は、こちら。

父に見せたい息子の写真が増えてゆく 検索「天国 画像 送信」

息子と会えた時(会えても月に2、3回)に息子の写真を撮ります。そのたびに画像を送信していた相手がいなくなったことを思い出します。父は、昨年末に亡くなって、まだ本当に届かないものだろうか? と思ってしまいます。

いったい、どの感情、どの行動を切り取れば、この時々に去来する虚しさを表現できるのでしょう。天国に画像を送りたいと思ったこと、検索ワードを先に思いついちゃったせいで、そっちに引きずられてしまっています。

こうしてはどうでしょう?

息子撮り、画像を送ろうとした時に 父が亡くなったこと思い出す

思い出さないといけないほど、父が亡くなったことを日常で忘れているわけじゃありません。じゃあ…

息子撮り、画像を送ろうとした時に 父が逝ってしまったことに気づいた

うーん…

まだまだ推敲が必要かもしれない。

うーん……

でも、どんなに「わからない」「解釈に困る」と言われても、直したい歌を持っていきたいと思います。詠みたいことを詠めるようになりたいので。他の人の解釈を聞く間、針の筵に座る心地がするのだけれど。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。