見出し画像

こだわりを持てない私。こだわりを持っておもしろさを作るためにできること

こだわれない。こだわりが持てない。

おもしろいコンテンツを作る人、世に出す人には、その制作から発表の過程で、強いこだわりを発揮する人ばかりだ。おもしろさを伝えるために邪魔になるものを排除して、よりおもしろさが伝わるにはどうすればいいかを考える人が多い。

こだわりが持てない理由

任天堂の宮本さんのように、それを具体的な動き、手順、形にまで落として説明できる人は稀だが、おもしろいものを出せる人には、こだわりを持っている人ばかりだ。

宮本
操作したときの「手応え」みたいなものを
きちんとプログラムして表現しよう、と。
動かしたキャラクターのレスポンスで伝えるとか、
音を鳴らすこともあるし、絵で表現することもあるし、
反応を長めにしたり短めにしたりして、
手応えを表すというやり方もあるし、
どういう方法でもいいんですけど、
操作したときの手応えを出していく。
それがまずは重要なんですけど、
それがきちんと表現できてなくても
気持ち悪くないという人がいるんですね。

(略)

宮本
だけど、遊んでるほうとしては、
着地で速度が落ちるのはイヤじゃないですか。
そこで、なにをするかというと、
着地したアニメーションと音はしっかり出すけど、
その状態でちょっと滑らせて、
速度は80パーセントぐらいに抑えて、
そのまま走ってるという感覚は残す。
そうすると、ちゃんと着地をして、
そのまま走ってる、と感じるようになる。
そういう設計をして、そこに時間軸を入れて、
アニメーションのコマを入れ替えたりして、
「これ!」っていうところに持っていくんです。

私は、ほとんどこだわりがない。

自分が書いたものに対して、他の誰かが手を入れても、あまり文句を言わない。「自分の表現のほうが適当だと思うけど、ま、どっちでもいい範疇かな…」と考えることが多い。書いたものが世に出るほうが大事だと思っているから、そこに時間をかけたくないと思ってしまう。

指摘された内容について、譲れない場合は、
「この表現だと誤解する人が出てきそう」
「読んだ人が別の解釈をするかも」
「ここだけ引用されると違った解釈になってしまう」
といった、意図通りに伝わらないことについてだけだ。自分が理解している本質の部分が正しく伝わらない表現に替えられると「それはダメです」と言えるくらい。

これは、システム開発の現場にいたせいだろう。こういう使い方を許容しちゃうと、いずれこういう問題が発生しちゃう。という思考から、それを避けるための行動だ。世に出て、それ以降に問題が発生しなければよい、という思考に留まってしまっている。

こだわりがないのは、どこをどうすれば、おもしろくなるか、そもそもわかっていないんだろう。おもしろくなる要素、おもしろさの表現の追求に必要な過程を自覚していないから、そこをいじられても気づかないし、最初から自分でおもしろさを盛り込めていない。

読まれる文章に必要な要素

最近、古賀史健さんのnoteを読んだ。

読まれる文章には、発見がある。

読みながら、「へえぇ」とか「なるほど」とか「そうだったのか」と思えるような文章。それが発見のある文章だ。だれでも知っているような話や、あるいは逆に「知らんがな」としか言いようのない私情がとろとろに吐露されていても、なかなか読む気になれない。読者は驚きを、発見を、なにかしらのエンターテインを求めて、文章を読んでいる。

じゃあどうすればいいのかというと、やりようはふたつある。

ひとつは、いったん読者のことを横に置いて、「自分にとっての大発見」を書く道だ。もしかしたら世間では、こんなの常識なのかもしれない。専門家のあいだでは、基礎のキソといえる話なのかもしれない。けれども自分は驚いた。目の前がパーッと開けるような快感が、たしかにあった。この無知なるぼくの感動をみんなわかってくれ。そしてぼくと同じくそれをまだ知らなかったあなた、一緒に驚いてくれ。世界はこんななんだぞ。……というテンションとともに、自分がそれを発見するに至った道のりを正確に書いていくのである。

そしてもうひとつには、発見ではなく「発明」をめざす、という道がある。

発見と発明。

私もまずは、基本的なことから始めよう。おもしろかったこと、おもしろがれたことを箇条書きに留めずにしっかり書いてみよう。

感心したことを感心したと書こう。

どう感心したのか、どこに感心したのか、それが今までの発見とどう違うことに自分が興奮したのかを書こう。その発見の驚きやおもしろさを伝えるために、比喩も考えるだろう。

もう一つ、発明のほう。

今、新たな組み合わせやおもしろさの材料を自分の中に貯めて、醸成させるために「クリエイティブになるための読書」という「毎日、物語1つ、詩を1つ、論考を1つ」を行っている。

これは、千代の富士の名言から借りると、三年後に強くなる稽古のほうだ。

「いま強くなる稽古と、三年先に強くなるための稽古の両方をしなくてはならない(千代の富士)」

その繋ぎとして、摂取した詩や物語を受けて、自分でも物語を作るようにしはじめているが、本格的に活きてくるのであれば、もっと先だろう。

おもしろさとは? を追求する

そもそも立ち返らないといけないことに、おもしろさの要素、おもしろさの追及のために、自分がおもしろいと思った作品の分析をしなくちゃいけない。何がおもしろかったのか、それをどういう文章で、どういう順番で、どういう仕組みで伝えているかを整理しなきゃ。分析ということがあまり得意じゃないけれど、そうも言ってられない。おもしろいなーと思った文章や作品を深堀りしよう。

この記事が参加している募集

ライターの仕事

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。