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仕事で「頑張る」ことの罪深さ

皆さん働いてますか。頑張ってますか。

「頑張る」ことへの刷り込み

子供のころに親から、場面場面で「頑張って!」ということを言われて来た人は多いと思います。というかそれが大多数だと思います。
そして部活・受験・就活など、いろんなものを「頑張って」きて大人になって、そのまま何の疑いもなく仕事も同じように「頑張る」わけです。

仕事をする場所である会社は、社会的な役割を担っているわけなので、当然そこで働く従業員=皆さんには頑張ってもらって、役割を果たしていかないといけません。「サボってても全然いいよ。給料もあげるよ」なんていう会社は皆無です。あれば教えてほしい。

会社において「頑張る」ということ

ただ、この「頑張る」という言葉がどういうことなのかは、きちんと理解しておかないといけないと思います。

まず、まともな会社なら「死ぬまで働け」ってことはないはずです(まあそういう会社もあるでしょうけど)。
でも、従業員(つまり個人)は子供のころから「頑張ることが是」という刷り込みがなされているので、会社からの期待値以上に「頑張らなきゃ」という意識が働いて、無理してしまいがちです。
たとえば、仕事量が爆発して終わらなくなったら「休みに出勤して頑張って終わらせよう」と考える人だっています。私だってそう考える。

正しくない「頑張り」が引き起こすこと

そうすると何が起こるか。
会社が持つ本質的な問題が隠蔽されてしまいます。
たとえば、ある人が日常的に休日出勤しないと終わらないような仕事量を任されているとしたら、そもそもその仕事量を担当してること自体が問題なのですが、それを「頑張って」処理し続けていると、会社から見たときには「業務はまわってるな」と判断されて、その問題は放置されるわけです。

これは別に会社が悪いというわけではなく、「頑張って処理した」という事実によって問題が隠蔽されているだけです。会社だって問題はきちんと対処したいわけなので、双方にとって不幸せな状態が発生しています。
休日出勤はただの一例で、何らか頑張りすぎていると、どこかに歪みが出ているはずです。

まず問題を顕在化されることが重要で、問題が顕在化すれば会社は対処ができますし、それは個人がなんとかすることではなくて、会社組織として解決すればよいだけです。そして従業員も会社組織の一員なので一緒に取り組めば良いのです。
(心理的安全性が低いと問題が顕在化しないので、心理的安全性は高くしておいた方がよいと思いますが、それはまた別のお話)

改めて「頑張る」とは何か

会社から与えられた役割をきちんとと全うすることです。
決して「無理をしてでも仕事をこなす」ことではないです。それは先程書いたとおり、本質的な問題を隠蔽するので、むしろ悪です。
「きちんと」というのが曖昧ですが、会社からの期待値を従業員の期待値をすり合わせた上で期待値を満たす、というところでしょうか。
「与えられた役割」というのが期待値そのものです。当然、完璧な期待値がすぐに出せるわけではないので、会社(マネージャー)と個人でコミュニケーションをとって、Try&Errorをすることは必須です。

そうは言っても現実はある

実際問題としては、無理しないといけない時もありますし、ポジションによっては責任を大きく背負っていて、「死ぬほど頑張って結果を出す」が必要なことも当然あると思います。ただ、無理をしているときは変なアドレナリンが出て満足感が高くなりがち(ミサワ的な状態)なので、心のどこかに「この頑張りは正しくないな」という意識は置いておくのが良いです。

あと「これが俺・私の100%です」といって、80%ぐらいまでしか力を出さないのも違っていて、ここで100%のパワーを出してもらうのがマネジメントの本領というところではないかと思います。

というわけで皆さん、頑張りすぎないで頑張って働きましょう!
Enjoy!