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降り注ぐ餅

君は、餅まきを知っているだろうか。

紅と白に染められた、大層めでたそうな餅を、二階ほどの高さの場所から主催者が放り投げる。地上に待機している参加者たちは、降り注ぐそれを空中で受け止めたり、取りこぼして地面に落ちたそれを拾ったり……

これがが餅まきである。

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我が家の近所にある神社では、毎年一月の九日から十一日の三日間、商売繁盛を祈願する「えべっさん」と呼ばれる祭りが開かれる。

餅まきは、そのイベントの締めくくりとして行われ、祭りを大いに盛り上げていた。

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私は自営業を営む家庭の子供であった。そのため、昔はよく父や母に手をひかれ、この祭りに訪れていたものである。しかし、家族の誰も餅まきに参加することはなかった。

私は、餅まきにずっと心を惹かれていた。降り注ぐ餅をこの手で掴んでみたいと秘かに思っていた。

小学校三年か四年の頃だったように思う。私は、餅まきに参加したいと自分の思いを母に告げた。「危ないよ」と母は言ったが、「大丈夫、大丈夫」と私は威勢よく答えた。続けて「だって、タダでお餅が貰えるんやで。きぃつけるからさ、ええやろ?」と猫撫で声をだし、母にねだった。

渋々ではあったが、母は参加を許してくれた。
そうして、私は念願の餅まきに参加することとなったのだ。

生まれて初めての餅まきに、私の胸は高鳴り続けた。

大好きな餅が上から降ってくるなんて、しかもタダで手に入れることができるなんて、まるで夢のようだと思い、その時を今か今かと待ちわびていた。

手に入れた餅はどうやって食べよう、焼こうか茹でようか、と考えているうちに、ゾロゾロと人は集まり、大体三百人ほどになった頃、「今から、餅まきを開始します」と男性のアナウンスが流れる。

「そーれっ」

舞台にいる宮司や巫女の声が境内に響き渡る。餅は宙を舞い、重力に従いながら落ちていった。餅まきの場では、上下関係の壁など無い。老若男女、皆せっせと上を見上げ、思い思いに餅を追いかけていく。

餅まきが開始し、しばらく経つと餅は私のいる方向に投げられた。私は空に向かって手を伸ばす。近くにいた人々も同じように手をのばしていた。

その様子は、さながら血の池地獄で蜘蛛の糸をつかもうとする罪人たちのようであった。

餅は無数に伸びる手の間を縫うよう落ちていき、とうとう誰にも捕まることなく地面に到達した。私は落ちた餅を拾おうと、地面に手を伸ばすーー

そのときだった。女性が物凄い勢いでこちらに滑り込んできた。

彼女はズボンが汚れることなどお構いなしに、膝から滑り込んでいた。私は驚き、慄き、少し後ろに下がった。その隙に、女性はすばやく餅をかっさらっていったのだった。

私はとてつもない衝撃を受けていた。なぜならその女性の顔に見覚えがあったからである。


あれは確かに交通安全指導員のおばさんだった。


私はうろたえた。あんなにも恐ろしい形相のおばさんを見たことがなかった。記憶の中の彼女は穏やかで、やさしく、いつもにこにこと微笑んでいた。きっと私は、見てはいけないものを見てしまったのだ。気づかなければよかった。あのとき、彼女の顔なんて見なければよかった。そうすれば、こんな思いなんてしなくてよかったのに。

後悔の念に駆られ、立ち尽くす私の上を餅はただただ流れていく。

空飛ぶ餅に夢中で今まで気がつかなかったが、餅が落ちるとそこには人の団子ができていた。あの団子の中にいる人たちは一体どんな表情をしているのだろう。

おばさんみたいに怖い顔をしているのだろうか。

私はだんだん怖くなっていった。

それからしばらくの間、私は近所の交通安全指導員のおばさんもおじさんも、どれだけ私達に優しく微笑んでいようとも、その本性はとっても怖いのだろうと子供ながらに恐れたのだった。

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時間が経つに連れ、餅まきの様子も、あの日のおばさんの顔も随分と薄れた記憶となった。

しかし、私は時々思うのだ。
どれほど温和そうな人も、きっと餅まきに参加すれば恐ろしく変貌するのかも知れないなと。

きっと先生だって友達だって、餅まきに参加したら、恐ろしい本性があらわになっちゃうんだと今でも時々考えてしまうのだ。

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