簡単に人助けをしたい

今朝はまた今日は楽しい一日にはならないような予感がして、目が覚めてもどうも布団から中々出る事が出来なかった。ここ数日はこういう日が多い。中々布団から出る事が出来ない、即ちこの動けなさは、日常生活の充実に悪影響を及ぼす。これは医者に報告すべきだろう。

今日、私を布団の外へ誘い出してくれたのは、大阪の仲間達に他ならない。元々今日は大阪へ向かう予定であった。楽しい一日にならない予感がしていたが、唯一、楽しい一日になる条件があるとすれば、それはその大阪の仲間達から元気を貰う事だろうと思えたのだ。実際今私は布団の外、具体的には新快速の中に居る。大阪の仲間が、私に信頼を与えてくれたからこそ、今こうして新快速の中で日記を綴る事が出来ているのだと思う。

私は、今朝藻掻き苦しんだ。しかし、私は自力と、頼る事の出来る他力のお陰で、この意識が跡形も無く消えるその日まで、何とか逞しく生きて行ける気がしている。何本も杖をついても、私は生きて行ける自信があるのだ。しかし世の中には、その無明の闇の中にある一筋の光を見出だせずに、永遠と藻掻き苦しむ、息継ぎも出来ないような、そんな汝が存在しているだろう。

これは最近思っている事で、更にそれは非常にその汝を不愉快にさせる姿勢かもしれないが、私はその汝に光を与えたい、乃至は、光が見えているのであれば、その光を見続けられるようしたい、そう思う。
端的に言えば、何かが足りていない人に、その足りていない何かを与えたいのだ。更に更に端的に言えば、人助けがしたい、そういう事になる。

ただ、その望みには大きな制約がある。それはその望みを叶える為に私が可能な手段は非常に少ないという事だ。賃労働は厭だし、競争も当然厭だ。この世の中において、賃労働も競争も厭だとなれば、一体何が出来るのだろうか。私にはこの条件下で取る事の出来る手段がとても少ないように思う。何か人助けをする為に用いる手段として、私にとって簡単なものは無いだろうか、と、常々考える。

そういう思いを、今日は大阪の仲間達と共有した。何も提案は要らない。何故ならその仲間達がその良い提案を出来るとは思っていないから。当たり前だ。とても難しい問題なのだから。しかしそれでも仲間達は、いやこれはこうではないか、とか、これはなになにかもしれない、とか、そういう風に言葉によって思考を膨らませてくれる。なんて素晴らしい仲間達だろう。私の悩みを一緒になって考えてくれる仲間達なのだ。

やはりこの仲間達は、私を支えてくれる大きな他力なのだと思った。こういう温かい人達がいるから、私の人生には光があるのだ。今朝、今日はどうなる事かと心配であったが、お陰様で何とか楽しく一日を過ごす事が出来た。やはり世の中なるようになるのだなと思う。

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