続・無保証の補償

昨日、キャリアの普遍性・永続性の話を書きました。

こちらに補足しておきたいと思います。

ひとつは、職業選択の問題。
何度か繰り返し書いていますが、ひとが何に興味を持ち何に秀でるかは、本人にもわからないものです。
私は青年期に部活でバスケットボールが好きになり、大人になってからも下手の横好きで続けるほどだったのですが、バスケットボールはマイナースポーツでした。
人気があるから好きになる、という側面もあるでしょうけれど、ひとの人生はそればかりではありません。
そういうときに「自己責任」で切り捨てるわけにはいかないでしょう。
これは次の論点ともつながっています。

もうひとつは、「外部不経済」の問題。
話しが長くなりそうなのでとにかく簡潔に書きます。例えば、インフラ屋は報酬が安すぎる。いや、報酬が設定されているならマシで、社会的に必要な仕事で事業(収益)化できていなかったり報酬がもらえなかったりする仕事はまだいっぱいあるのです。自助・共助の名のもとに「善意」に依存していることが。

青臭いことを言うようですが仕事に尊卑貴賤はないと銘肝したい。
いやしくもひとを働かせるのであれば、見合う報酬を払う、払える社会にしたいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?