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週刊金曜日コラム「新龍中国」に執筆した「実体のない『台湾独立』を論じるのはやめよう」の全文公開

週刊金曜日9月29日号54-55Pに掲載された私のコラム「新龍中国」で執筆した「実体のない『台湾独立』を論じるのはやめよう」の全文を、編集部の了解のもと、こちらで公開いたします。日本には、台湾を想像だけで「確信」があるように語ってしまう知識人がけっこういるのですが、その悪しきケースの一つが「台湾独立」をめぐる論議だと思います。

(以下本文)

台湾有事論議が活発になるに従って、日本ではしばしば台湾の「独立勢力」ついて、いわゆる「リベラル」の方々を中心に、おかしな話を耳にすることがある。あたかも台湾に強大な「独立勢力」が根を張っていて、選挙のたびに独立を唱えて激しく票集めをしている、という前提に基づくものだ。だがはっきり言えば、これらは実体のない虚しい議論である。
 例えば、立憲民主党の岡田克也幹事長は、昨年11月の国会質問で「もし独立が支持されていると考える人が台湾で増えたら、そのような台湾独立への動きが阻止できなくなる」と語って、岸田文雄首相に「台湾独立を支持しないと明言すべきだ」と詰め寄った。
 さらに評論家の姜尚中氏は、昨年12月の週刊誌のコラムで「北京政府の軍事力行使には断固とした反対の意思を明らかにするとともに、台湾の性急な独立への動きには自重を迫る、それが日本の役割だと思います」と述べ、岡田質問への呼応を見せている。
 今年8月にも評論家の古賀茂明氏もネットで「台湾では、独立派は全くの少数派だったが、日米に中国脅威論を唱えられ、台湾有事だとあおられれば、本気で独立を考える人も増えてくる。日米が台湾人を洗脳しているという見方にも一理ある」と述べている。
共通するのは、日本が台湾有事を煽ることで、台湾の独立派を増やしている、それをしてはならない、という論の立て方である。もっともそうに聞こえるが、こういう主張をする人々は、台湾社会の理性を軽く見ているか、あるいは台湾の現状を何も知らないかのどちらかで、いずれにせよ、台湾に対していささか失礼な人々である。
 台湾独立の定義とは、台湾が「中華民国」という国名と体制を捨て、「台湾共和国」などの名称で独立を宣言し、国際社会で承認を獲得する行動を起こすことだ。
 来年1月の総統選・立法委員選に向けて、台湾ではいま激しい選挙戦が展開されている。では、その中に中華民国体制の終結を唱える人はいるか見てみたい。
与党民進党の候補である頼清徳副総統は、蔡英文総統の掲げた「四つの堅持」の継承を約束している。四つの堅持とは、「民主と憲政体制の維持」「中華人民共和国と中華民国はお互いに属さない」「お互いの主権の侵犯・併合を許さない」「中華民国台湾を堅持し、台湾人民の意思を尊重する」ということだ。中華民国を捨てるどころか、守るということである。
 もちろん、国民党も中華民国の堅持を掲げている。それどころか、同党の馬英九前総統はもっと過激で、今年3月の訪中では「台湾も大陸も中華民国である」と述べている。第三勢力として伸長を見せている台湾民衆党の柯文哲前台北市長も基本的に同じ主張だ。
 つまり、中華民国体制の維持=台湾独立の否定について、台湾の政治勢力のなかでは、おおむね一致しているということだ。
 たしかに街を歩けば、独立派がデモをしていたりすることもある(統一派も)。だが、彼らがそんなすごい勢力かというと、とんでもない。日本において、街頭でスピーカーで怒鳴っているような極右や、大学のどこかでギリギリ存続している極左を思い浮かべてほしい。日本の極右・極左よりはもう少し影響力があるが現実政治で果たす役割はほとんどない。
 加えて、日本で台湾独立の伸長を恐れる議論をする人々が理解していないのは「法理独立」と「事実上の独立状態」の違いである。
 法理独立は、古くからの台湾独立派が唱えている論法で、日本降伏後の台湾の地位は未定である、だから独立する権利があり、国名も中華民国から台湾共和国などに変えるべきだと考えた。日本や米国の独立派を中心に理論が作られ、民主化後の台湾でも一定の影響力を持った。
 しかし、現在の台湾では「台湾は事実上独立した主権国家であり、国名は中華民国という。だから独立をあえて主張する必要はない」という独立状態論が主流である。これはつまるところ現状維持論であり、国際社会の期待にも、台湾の民意の主流にも合致する。だからこそ、どの政党も、基本的にはこの「すでに独立した主権国家、我が名は中華民国」というところで主張が落ち着いているのだ。
 もちろん、台湾の人々の一人ひとりに聞けば「いつかは本当の独立を果たしたい」と答えるかもしれない。台湾では習近平政権になる前から、そして安倍政権になる前から、「台湾は台湾で中国ではない」という台湾アイデンティティが広がっていた。30年間にわたって選挙で自分たちの指導者を選び、中国と切り離された社会で生きているのだから、自然の流れである。しかし、これはあくまでも心の中の問題だ。
 実際の政治的投票行動で人々は「台湾独立」を掲げない候補者を冷静に選ぶ。そしてその傾向は年々強まっている。つまり、台湾における「統一・独立」問題はすで争点ではなくなっており、争点は、中国と仲良くするべきか、一定の距離を置くべきか、という点につきる。仲良くするといっても統一まではいかないし、距離を置くといっても独立宣言まではいかない。それが台湾社会の現実的なバランス感覚なのである。日本の「応援」が影響を与える余地は乏しい。
 私たち外国が、台湾の独立に賛成しないところまではいいだろう。しかし、台湾が中国と疎遠にするか親密にするかまで求める権利はない。中国が友好的ならば台湾の人々も親密にしても大丈夫だと考えるし、強硬で怖ければ距離を置きたくなる。それは中国との関係に悩む日本となんら変わらない。
 台湾に「独立勢力がいる」と唱えているのは中国で、与党民進党の幹部たちを「独立派」と認定しているが、それは中国の主観的意見に過ぎない。中国を批判するから独立派というロジックは、日本で中国を批判する人々を反中派とレッテルを貼るのに等しい。
 私自身も、中国の軍事拡張や人権侵害、言論統制を批判するが、別に中国のすべてが嫌いということはない、むしろ好きだからこそ、中国語を学んで中国にも留学し、中国問題に取り組んできた。だが、いまの習近平体制には問題が多い。だからいろいろ厳しいことも言う。それだけのことである。台湾独立を支持もしないし、統一も支持しない。民主主義国家に生きる人間の一人として、ごくごく素直に、選挙を通じて表明される台湾の民意を尊重してほしいと考えているだけである。
 岡田氏や姜氏、古賀氏が最初に文句を言う相手は、岸田政権でも台湾ではなく、常に武力行使をちらつかせて軍事的威嚇を続ける中国ではないのか。現在の台湾問題の核心への認識がずれているのだ。「台湾で独立勢力が勢いづく」などという主張をすることは、中国が展開している日本人への宣伝工作に乗せられることに等しい。
 今年1月には総統選挙が行われる。台湾の選挙を1週間でもいいから見に行ってほしい。台湾の人々はそんなに愚かではない。むしろ我々以上に現状を理解し、そのなかで生存の道を探っている。台湾に足を運べば想像で作り上げた台湾論を見直すことになるだろう。



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