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水瀬いのり LIVE TOUR 2021 HELLO HORIZON (感想)ー君の歌声がきっと地平線を越えるその日まで

※ネタバレ含みます

約2年ぶりに水瀬いのりさんの生歌、そして音楽を体験した。 愛知、福岡、仙台をめぐり幸せな時間を過ごしてきた。ライブに携わった方々、気持ちを共有してくれた仲間に感謝します。ありがとう。

当日の熱を記録したツイートを交えながら書いていく。

とにかく歌声が印象的なライブであった。歌手として惚れ直した。総括すればその一言に尽きる。

長い間リアルライブを見る機会が訪れず、進化し続ける水瀬いのりに追いつけなかった最新シングル内容にモヤモヤしながら名古屋公演を迎えたが…それらを全てを超越するほどに突き抜けていた。それは、強く優しく天まで伸びる柱のように尊い歌声であった。

やはり後にも先にも水瀬いのりさんしか知らない。これだけの信頼を寄せられる歌手はいないのである。その事実を改めて納得させるライブであった。

もう少し論理的な話ができたら良いのだが、結局歌の上手い下手、声の好みは個人の尺度である。だから様々な音楽を聴きながら手にしてきた感覚と主観で、今日も彼女を語ることしかできないのはご容赦いただきたい。そして僕は冗談は言わない。いつも大真面目である。いつかまたこの国でオリンピックがあったら水瀬いのりさんに君が代を歌ってもらいたいと本気で思うし、それに相応しいものを今後獲得すると信じている。

そんな未来さえ夢見てしまった夜、その記憶をふり返る。

ライブレポート

メインモニターのみを中央に配置し、彼女の後ろに5人のバンドメンバーが立つ。他に特別な仕掛けはない。セットと言うにはあまりにシンプルなステージが彼女の歌声や音楽をより一層際立たせる。

開幕は“Ready Steady Go!”であった。これしかないと言う選曲であるが久々のライブ、しばらくはお互いにリハビリ状態が続く。音響もまだ不安定さを感じた(3公演の中で修正は見られた)。まだその景色を信じられない。久々すぎるから取り戻せない。生の水瀬いのりがまだ身体に馴染まない。それにしても、あの小さな身体から何故あんなにも力強い歌声が出るのか?未だに謎である。

2曲目“ピュアフレーム”サビ「おかえりBabyー!!!」と叫んだ時、心の中で「ただいま」を返した。胸の奥にすっと溶け込みながら全身を駆け上がるような歌声と音がハートに色を付けていく。続く“Million Futures”もバツグンに良かった。ここ最近のセトリでは外せない定番曲になっているので聞きたくて仕方なかった。気持ちよくておかしくなってしまう。

3曲を終えたところで軽いMCが入る。様々なルールの上で楽しんでくれていることへの感謝、声出しが出来ずとも伝わる気持ちの存在について語ってくれたと記憶している。このあたりに序盤でちゃんと触れてくれたこともあって、各公演で目立つようなルール違反はなかった。

4曲目“Morning Prism”はライブでかなり化けた曲のひとつでもある。優しくて暖かいくせに跳ねるベースを奏でる島本道太郎さんが印象的である。同じように体を揺らしていく。5曲目“アイマイモコ”、何度聞いても何度でも恋に落ちていく。歌詞とか理解する余裕もないまま、その歌声を聞くだけで泣いてしまう。好きだ。アダムとイブの時代から流れる我らの血潮を身体中に感じた。生の水瀬いのりがどんどん身体に馴染んでいく。

衣装替えタイム、名曲“Shoo-Bee-Doo-Wap-Wap!”のインストを生演奏しながらバンドメンバー紹介が始まった。大好きな曲がインスト扱いになってしまったのは当初残念だったが、バンド演奏だけを堪能できる豪華な時間でもあった。初期ライブからバンドの強靭なリズムを作り上げてきたベース:島本道太郎さん、ドラムス:藤原佑介さんを見るたびに僕は安心する。2人とも人となりが立ち姿から伝わってくるくらい魅力的なのである。ブルコンツアーからのキーボード:小畑貴裕さん、CTRツアーからのギター:沢頭たかしさん、植田浩二さんもすっかりお馴染みのメンツになった。彼らが今日も水瀬いのりさんを支えている。しかし今日は何かもっと違う気もした。むしろ水瀬いのりさんがバンドを支えているように見える場面があった。

「やべえなあ」とマスク越しに声を押し殺してしまったのは、6曲目“クリスタライズ”に差し掛かった所であった。暴走していた。
打ち込み的ダンスミュージックをバンドサウンド主体で表現しながら、細やかで丁寧な動きで魅せていく。本人曰くダンスは苦手らしいが、むしろアドリブの動きが素晴らしい。そして毎度思うが歌声に対する感情表現が豊かである。それでいて誰もコントロールできないほど自由奔放に駆け回るボーカルがダイナミックではあるが決してバランスは崩さない。美しい。何故それらを両立できるのか?本当に理解ができない。常識を超えていく。会場全体を聖域に変えるように、その空間の静と動を支配するように彼女は歌を届ける。

続く“Well Wishing Word”では長いスカートを上品に使いながら、フレキシブルで美しい舞を披露する。ビッグバンドを従えたかのような格式高い音にギミックやマジックを仕掛けていく様がお転婆なお姫様を思わせる。それを誇張したのはラストのギターアレンジ、美しく紡いだ旋律を一度崩すような展開に心を奪われる。止まることのない勢いに乗ったボーカルに化学反応するようにバンドが踊り出すともう我慢できない。全身を大きく揺らし音楽を受け取った。

セトリは比較的新しい曲を中心に構成されていた。久々のライブであるからして代表曲のみでサービスしていく内容でも良かったと思うが、そこはやはり水瀬いのりさんらしいと感じた。あくまで最新モードの自分を表現していく。それ故に選ばれなかったシングルもある。しかし彼女と会えない間に生まれた楽曲たちが、今日新たな輝きを見つけながら目の前に現れることが1番嬉しかった。失ったはずの何かを新しい何かが埋めていくのがわかった。

情勢を踏まえながらミディアムチューンが数多く選出されたのも良かった。続く3曲の流れ“思い出のカケラ”、“ソライロ”、“茜色ノスタルジア”で彼女の歌声の奥深さを堪能したファンも多いことだろう。僕もその1人である。あの日の空に想いを馳せながら、いつか見た秋がオレンジに染まる頃、この世界には自分と水瀬いのりさんの声しか存在しないような錯覚に陥った。気持ちがいい。思わず目を閉じる。

3曲を通して様々な空の色を表現した映像演出や照明にも拍手を送りたい(茜色はマジいきものがかりだった)。

全ての楽曲が新しい響き方、受け止められ方をしていたと思う。人々が音楽の大切さに今一度気づき、何をすべきかを考え抜いた今日はこんなにも素晴らしく誇り高いものであった。

褒めまくったから、ここで少しだけ小言も書いたおきたい。衣装替えの為に幕間映像が差し込まれ、11曲目“HELLO HORIZON”へと繋がった場面について。歌はやはり上手かった。しかし幕間映像自体もライブの雰囲気とズレがあったし、曲順が惜しいと感じた。メロディの作り方なども含めて新しい水瀬いのりであることは間違いないが整理するのに時間を要した。悪くはない。革命家のように力強く腕を上げる水瀬いのりさんも、それに対して拳で応えるようにペンライトを高く上げたオーディエンスの姿も良かったが、満を辞してリリースされた新曲としては役不足を感じた。

バラード比率の高さなどを考慮しても、今回はやはり異例のセットリストであり実験的でもある。だからこの違和感が、今後どんな風に成長するのかを楽しみにしておく。少なくとも水瀬いのりさんがどんな地平線を目指すのか?このライブで僕は理解し切れなかった。もしかすると本人ですら…と感じた。何もかも良かったとは言い難い。しかしそれらを超越する魅力が数え切れないほどあったのも事実である。だから書き続ける。

話を戻す。

アップテンポが続く。音楽の中に存在する化け物を飼い慣らすことで有名(?)な“TRUST IN ETERNITY”が披露された場面は象徴的であった。

彼女自身も敬愛する水樹奈々直系のキラーチューンであり、最も盛り上がった瞬間のひとつに数えられる。しかし僕はその場に立ち尽くすことしかできないのである。3回見に行って3回とも棒立ちした。そして1人マスク越しに笑う。皆はよく体を動かせるなと感心する。
圧倒されるのである。目の前で繰り広げられる音の圧、その化け物を飼い慣らす女王=水瀬いのりに屈服するのである。拍手するのすら名古屋公演では忘れていた。「歌唱力がある」という表現では足りない。何をどうしても、僕はこの曲が持つ時間停止魔法のような効力にいつも負けてしまう。絶対に動けないのである。

客自身から発声することが許されない現代において、ステージから放たれる歌声や音楽がより一層重要な意味を持つようになった2021年。続いて披露された名曲“Starry Wish”が何の邪魔もなく会場全体に響き渡った時、僕はこの時代に感謝した。水瀬いのりと星、どうしたって引き離せくらいに親和性が強い。和やかなMCの後に繋がれた“三月と群青”もそのひとつである。沢頭たかしが美しいピッキングを披露する姿に目を奪われる。そして未だそのハリと高音を持続するボーカルに再び驚く。

ラスト、B'z的ツインギターへ流れ込む展開は手に汗を握った。「うわあああかっけええええ!!!」と心の声が漏れそうになる。
水瀬いのりさん「男の子は特にバンド好きだからああいうの好きでしょ?」←はい大好きです

いよいよ本編も終盤、星の物語のピークにあたる“Starlight Museum”が始まった。小畑貴裕によってアレンジされたピアノ一本のイントロがプロローグを呼び起こし、真っ暗な背景に輝く星々が人々の夢を思わせた。

一歩一歩進むように始まったAメロに乗る低音が見事であった。彼女の持ち味である高音やハリを抑制することで、バネ的にサビが飛躍していく。流れ星のような軌道を描く歌声にうっとりしてしまう。「ピンクを改めて着たかった」というオーダーから生まれたドレスを着こなしながら、地面を蹴り上げる姿もまた美しかった。

最大の見所はやはり最強ストリングスと重なり合いながら歌われる「星空になるうううううう!!!」の高音であるが、これをリアルライブでも再現してきたことに驚いた。3回とも見て3回とも感動したのである。震え上がる。本当の鳥肌を知った。そして天を突き破るほどのピークの後に訪れる静寂、「これを聴きに来た」と言っても過言ではなかった。天に召される時の気持ちってきっとこんな感覚かもしれない。僕はあの日、絶頂の後何度か死んだのかもしれない。

流れ星がいくつも目の前を駆け抜けながら16曲目“アルペジオ”へ向かう。すっかり身体中に刻まれたリズムとクラップが心地いい。星に願いをかけながら電子音の海に心身を捧げる。

17曲目“Sweet Melody”or“旅の途中”(大阪、仙台のみ)がピアノ一本のイントロでまたも生まれ変わっていく。前者は躍動感のあるベースラインに乗って飛び跳ねるようなリズムが何度聞いても素晴らしい。僕はただ体を左右に揺らしながら頭を振り回すだけである。このメロディで死にたい。いや生きる。
後者は1stアルバム収録の名曲であるが久々の披露になる。端から端まで会場を歩きながら手を振ってくれた。あの頃より何倍も強くなった僕らと共に歩く行進曲のように聞こえた。頼もしかった。

そして有終の美を飾るための本編最終曲“ココロソマリ”にたどり着く。そこには愛を語りかけるボーカリストが立っていた。そうか、君は愛の伝道師だったんだね。

月並みではあるが、当たり前の価値が一変した今に強く響いていく。ここまで持ち上げておいてアレだが、彼女はいつも「自分は庶民に過ぎない」と語る。きっとこんなブログを読んだら「褒め過ぎやろ」と思うかドン引きするだろう。謙虚にも程がある。

そしてラジオでよく話してくれるのは家族のこと、自分の仕事の話である。本当に好きなんだなとわかる。いつもそう。その根底に深く優しい愛を感じる。

大好きだよ何度伝えたら 
ずっとそばにいられるのかな
溢れ出すこの想いがあなたへの愛だから
特別な愛だから

再び何度目かの高音が訪れ、1ミリたりともブレずに伝えてくる。彼女の歌声が特別な愛に変わっていく。ここに至るまで関わってくれた大切な人達を思い出す。涙、涙、もう前が見えない。

アンコール、声が出せない代わりに人々はちゃんと手を使いながら本日の主役を呼びこんだ。スマホを触ってるような人はほとんどいなかった。それはいつもより大きい音に聞こえた。特に福岡は最高だった。3公演とも手が腫れ上がるくらいに叩いた。頑張った分だけ、再び会える君に価値があると信じてるから。いつもちゃんとアンコールが見たい時は精一杯叩くことにしている。

アンコール1曲目は“Dreaming girls”or“Melody Flag”、これぞ水瀬いのりと言う選曲に会場中が湧く。普段より念入りにステージを練り歩きながら手を振ってくれた。各公演ごとに色を変えたリボンで作ったポニーテールが愛しい。笑顔とえくぼが素敵である。抱きしめたい、溢れるほどに。

どちらを聞けたとしても大満足な選曲の後に披露されたのは“Catch the  Rainbow!”であった。

もはや国歌のように響き渡る。この曲は本当に正しいのである。水瀬いのり全楽曲の中で1番尊い。初の本人作詞から紡がれた言葉が何よりもまっすぐ、爽やかな風が吹き込む。個人個人が好き好きに点灯したペンライトが虹を作り出す光景は圧巻。楽しい。楽しい。何度でも飛び跳ねた。

本当に楽しかった。歌手:水瀬いのりを僕は信じた。そして素直な気持ちを受け止めるようなMCの後に披露された正真正銘最後の一曲“僕らは今”が披露された。

あなたを見てると勇気が湧くんだよ 
精いっぱい思いを伝えてくれるから

こっちのセリフである。本当はこちらから伝えたいことである。今日は声も届けられないがこのブログを書く。

消えそうな炎を守るように祈りを捧げる序盤だけでも聞き応えがあり、本気で音楽の神が舞い降りてくる気配がした。やがて疾走するバンドサウンドと共に大勢の拳が突き上げられる。複数のペンライトが拳に見えた。ペンライトさえ持っていない人もいる。いつかのライブハウスの光景を見た。決まった振り付けなんかしなくても生まれてしまう一体感が1番好きである。カメラがあったら残しておきたかったくらいに。

1人じゃない。使い古された青春ソングのようなことを思った。様々な思いを胸にたどり着いた仲間と、僕らは今しかできないことをやっている。今しか見られない景色がある。

「夢を叫べ!約束された栄光なんてないから!」と歌う彼女の姿が1曲目と繋がっていく。あの日からずっと、そこに辿り着くことを決めた日から始まっていた。Believe in me, believe in you Believe in us, believe in love…会場全体で祈りを捧げながら走り切る。

最後まで手を振る君から目を離せない。精一杯伝えてくれてありがとう。終わってからすぐその歌声が聴きたかった。聞きたい。この音楽を享受できるなら、どこへでも行ける気がした。

未知なる世界を目指して

人なんだから失敗してもいい。たまに何か落としても、転んでも、掬い上げて、絆創膏貼って、また立ち上がればいい。水瀬いのりさんはここまで一回も楽曲で転んでない。ライブも最初から完璧だ。そんなことは普通はない。人が作るものを、人が教授してるのだから、「今回はあんまり好きじゃない」って時もたまにはある。それでいいのに。

これは1年以上前に自分がブログの中で書いたことである。それなのに少しだけ転んだように見えた時、僕は不安になってしまった。恥ずかしくて仕方ない。完璧な時間が続きすぎたせいで錯覚した。

楽しいライブだったね。そんな話だけで終わりたい所だが違和感はまだ残る。それについては素直に書く必要があると僕は感じた。

今回も書いた通り、初期に比べれば様々な不安は増えている。しかし彼女はその全てを超えて行くほどの才能、努力と何かを持っているとライブを見て改めて確信した。不安が増えたのは期待値が高まり、可能性が増えた証拠だと捉える。転びそうなのもチャンスかもしれない。

最も彼女が力技で成し遂げられる領域は決まっていて、それをもっとしっかりサポートできる体制が現キングレコードに必要とされていることも事実であるが。むしろ今回強く感じたのは、もはや誰の手にも負えないほど今後も進化していく可能性があり自ら道を切り開いていけるかもしれないと言う希望でもある。しかしその地平線はまだぼんやりしている。一体何を目指すのか?その先に何があるのか?

水瀬いのりは何者になるのか?本人にもわからないかもしれない。だからこそ「Hello Horizon」だなんて挨拶を未知なる境界線に交わす。ほんの少し恐れながら、少しだけ笑いながら。僕たちファンはそんな時「信じてるよ」と言ってあげればいい。信じてる。

今は未来を楽しみにしながら、もう一度その音楽に向き合える時間を作りながら共に歩いて行く。1stアルバムを聞いたあの日、信じたのである。そして3回のライブを見て3回とも信じたのである。

何度でも言おう。

水瀬いのりを、僕は信じた。









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