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いかなる文字であれ、それを使う人には、最も貴い文字であり得る。ハングルの日、野間秀樹インタビュー記事

韓国の『チェ・ボシクの言論』サイト、2022年10月9日、〈ハングルの日〉の、野間秀樹インタビュー記事の日本語訳です。


世宗と崔萬理は現代言語学水準の論争…「事大主義」が核心ではなかった


チェ・ボシク編集人 入力2022.10.09 10:17

崔萬理は異なった形態の言語(訓民正音)は漢字で蓄積された全ての知識と、この後知的な活動の根幹を崩すことを憂慮した。社会体制を変える革命のように危険なものと見たのだ。世宗は罷免した崔萬理を数日後に許している。

ハングルの日である。特に文章を食い扶持にしてきた私は、この日を貴ばねばならない。

2017年、私は東京で野間秀樹氏(明治学院大学客員教授:当時)に会った。外国人の目でハングルを見るためであった。

野間秀樹氏は日本でかつてベストセラーとなった『ハングルの誕生』の著者である。同書でアジア・太平洋賞大賞と周時経学術賞を受賞した。

若き日、彼は芸術家であった。東京教育大学(筑波大学)芸術学科を中退した彼は、絵、版画、写真、インスタレーションなど、現代美術の活動をしてきた。国際版画ビエンナーレや〈7人の作家、韓国と日本〉展に参加し、現代日本美術展で佳作賞も受賞している。

そんな彼がなぜ日本で〈韓国語学者〉へと変身したのだろうか。

「大学の頃、韓国語との縁が結ばれた。個人的なことなのでので、細かくは言わない。言語に関心が強かったとだけ、理解してくれればいい。その当時、韓国キリスト教放送のアナウンサーたちが録音したカセットテープの教材が初めて出た。これを入手し、まず何本かずつコピーした。なぜかというと、100回以上繰り返して聞くと、テープが延びて、壊れるからだ。死ぬほど聞いた。シャドーイングという方法で、録音を聞くと同時に、ついて発音した。学べば学ぶほど、知りたいことが増えた。」

彼は美術の活動を並行しながら、30歳で東京外国語大学朝鮮語学科に入学した。彼の学部の卒論、修士論文はいずれも日本の学会誌に掲載されるほど、嘱望された。指導教授が彼に大学に残り、学生たちを教えるように言った。

「芸術か、研究か。いずれに進むか、悩みがあったことは、事実だ。しかし現実的な計算はなかった。そんな計算があったら、今までこんな苦労はしていないだろう。ただ心の向くままに、やりたいことをやった。研究論文を書くのは、作品を作ることと、とても似ている。

――『ハングルの誕生』(2010年)は日本で初めて書かれた大衆的な学術書という評価を得たが?

「あの頃まで日本の人はハングルについての認識がなかった。日本の仮名と同じようなものだろうとか、形が可愛いという印象で、ハングルが持つ知的な面白さや豊かさについては全く知らなかった。」

――ハングルについて「誰のためにどんな過程で作られ、自分をこう発音してくれという点を、自ら明らかにした、世界で唯一の文字だといった意味のことを書いているが?

「韓国の人は皆知っている内容だ。日本の学者が異なった言語でそう述べるので、新しく見えたのだ。実は私の本で新しい観点があるとすれば、訓民正音への反対上疏文を出した崔萬理の〈事大主義〉に係わる点だ。」

――副提学の崔萬理は「諺文を創ったのは、大国に仕え、中華を慕うのに、恥ずかしい」と述べ、六つの理由を挙げ、不当であると言ったが?

「そのために崔萬理は〈悪人〉に分類された。彼は上疏文で〈用音合字〉と言い、創製原理を正確に看破していた。高い知的な水準を見せてくれる条だ。世宗との革新的な葛藤はまさに〈言語論〉の違いだった。事大主義だけではない。」

――どういうことか。

「当時、王と臣下は今日の現代言語学水準の論争を繰り広げている。あの時代にどこの国でもこうした場面を見出せない。崔萬理は他のかたちのことば(訓民正音)は、漢字で蓄積されたあらゆる知識を、今後知的な活動の根幹を突き崩すことになるであろうことを、憂慮した。社会体制を変える革命のごとく危険だと見たのだ。世宗は罷免した崔萬理を数日後に許している。もし政治問題であったなら、そんなことはしなかっただろう。

――後に崔萬理が〈事大主義者〉とだけ罵倒された理由は?

「日本統治時代のハングル学者・崔鉉培のような方によってだ。日本帝国主義と中国の事大主義が重ね合わされたのだ。政治的なことだけ見ていると、見えなくなることが多い。」

――世宗の時代に生きていたら、野間先生はどの路線を選んだと思うか?

「こんな難しい質問は初めてだ。世宗の知性と、その真摯で熱き志の前では、到底抗えなかっただろう。」

――ハングルについて「言語音の中で意味と係わる全ての要素に明確な形態を与えたのは、現代言語学の水準」と評価している。ハングルは世界で最も先進的な文字だと自負するに値するか?

「〈世界最高〉のような修飾語に執着すると、思考停止状態に陥りやすい。文字体系はスポーツでもないし、商品でもない。順位や等級をつけるのは、非理性的だ。いかなる文字であれ、それを使う人には、最も貴い文字となり得る。〈ハングルは科学的〉という表現もちょっと曖昧だ。広く用いられている文字で〈非科学的な文字〉などあり得ないからだ。」

――ハングルと他の文字との差別的な特性は何か?

ハングルは創製過程を知りうる稀有な文字体系だ。例えば子音は発音器官に形を求め、理論化した。論理の潔癖性というか、論理自体がそのまま形態になっているのだ。規格化された字形により、民は棒で字面に書くこともできる。かえって筆で書くのが、難しいくらいだ。山水画が流行していた時代にあたかもコンピュータグラフィックが登場したようなものだ。実際にハングルはタイポグラフィとして多様な可能性が大いに開かれている。」

――美的観点からのハングルと日本の文字との違いは?

「質感が異なるとでも言うか。視覚的にハングルは単一だ。多くの国の文字は単一なほうだ。反面、漢字、片仮名、平仮名などを混ぜる日本語の文字は複合的で多色的だ。」

――効用性を比べると?

「そういう考えは危険だ。文字体系だけで効用性を判断することはできない。」

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