ガントリークレーンは美しい
私はガントリークレーンが好きです。
なんていい姿をしているのだろうとじっと見つめてしまいます。
キリンのようであり、恐竜のようであり、頭をあげていたり、おろしていたり、あなたは美しい。
はじめて、ガントリークレーンをみて惚れてしまったのは、東京湾クルーズでした。
午後四時ごろ浜松町を出発して、三浦半島のそばまで行って帰ってくるコースでした。
三浦半島に向かうコースの右岸はガントリークレーンが並びます。美しい。
スリランカに住むようになり、アパートを捜していた時、コロンボ港のガントリークレーンが見えたことが、決め手になりました。
コロンボ港に仕事で行くこともありました。
突堤の先にある監視塔に上って見たり、船の見学の時に通る港の構内から真近で見るガントリークレーンは最高です。
港が好きなんでしょうね。
私の祖父は商船会社に勤めていて、事務員として日本とイギリスを結ぶ船に乗っていました。
100年以上前、コンテナ船もガントリークレーンもない時代の航海で、祖父はコロンボ港に上がり、そこら辺を歩いたかもしれないとおもうとグッときます。
祖父は私が生まれた年に亡くなっているので、話をしたことはありません。また、両親とも、祖父がスリランカにいってどうしたとか、イギリスに行ってどうしたということをあまり話してくれませんでした。
一つ覚えているのは、父がアップルパイが好きだった理由。
祖父が乗っていた船でコックをしていた人が、横浜で洋菓子店を開きました。父は祖父から言いつかってその店に行って、ケーキをたびたび買ってくることがあったそうです。
その時、祖父は、決まってアップルパイを注文しました。ケーキ職人の腕の良さはアップルパイを食べるとよくわかると父は祖父から教わったそうです。
私が高校生の頃、大学はどんな勉強をして、将来どんな仕事に就くのか悩んでいたころ、父に若い頃、将来何になりたいと思ったか聞いたことがあります。
父は、「そうだねえ、おじいさんを見ていたから、外国と貿易をする仕事をしたかったね~」と遠くを思い出しながら言ったことを覚えています。
父は、貿易の仕事も、海外赴任もなく、日本国内での仕事だけでした。
私がガントリークレーンが好きで、海外の仕事をするようになったのは、父と祖父が伏線だったのかもしれません。
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