図書館にはゼニが埋まっとる 『未来をつくる図書館』のある偏った読み方

 近代西洋の偉人の伝記、その若き日々の舞台装置に図書館はつきものである。『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を見て、その熱気に当てられた直後、「大英博物館図書室」とウィキペディアで検索すると出てくる綺羅星のごとくの人名録―ディケンズ、ワイルド、キプリング、マルクス、ガンジー、レーニン……―を見ていると、今度きちんとこの施設についての列伝を探して読みたくなってくる。

 菅谷明子『未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―』(岩波新書、2003年)を一読して「図書館でのし上がれ!」という偏った読み方も可能だなと思ったのだが、それにもふた通りの方向性があるなと後で思い直した。

 ひとつは、「図書館に通って、大きくなる」という、冒頭に登場の方々が体現するようなビルディングス・ロマン、セルフ・メード・パーソンの物語である。自らの思想や主張、内容を、特に図書館で育み、深めていくことである。

 もう一つはもっと即物的に、図書館で「稼ぐ」、ということである。

 『未来をつくる図書館』、序章のタイトルは「図書館で夢をかなえた人々」。ゼロックスのコピー機の原理、パン・アメリカン航空の事業構想、『リーダーズ・ダイジェスト』誌の発想の淵源、これらすべて図書館から出てきたものであるとこの本は指摘する。

 映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』のパンフレットに菅谷明子氏が寄せた文章で紹介されているエピソードも示唆的だ。ただ、図書館に通っていただけのおっさんが、一家言ある競馬の知識をもとに有料ニュースレターの商売を始める。いいんですか、と菅谷氏が図書館の人に尋ねてみると、得意分野で才能を伸ばしてもらって、経済的に自立してもらった方が市としてもいいじゃないですかと、そんなことを言われたということだ。

 先日、菅谷氏と社会学者の西田亮介氏による「調査報道とニュースの公共性」をテーマとした対談を聴講した。そこで、菅谷氏がまず強調したのは、政府やら企業やらが「広めてほしいこと」を上から下に降らせるのに助勢するのではなく、地面に落ちている、そのままでは広まらなかった、あるいはある人からすれば広めてほしくなかった事実を拾い上げていく報道こそが求められるということであった。

 実は、図書館での稼ぎというのは菅谷氏の上の主張とパラレルでもあるように思える。図書館で読んできた、競馬のデータの断片を活字からネット空間に移動させ並べたところでさほどの価値は発生しない。そこに編集や分析や解釈が加わらないことには、とても有料ニュースレターにはなりはしない。そこに価値が発生するには、努力や職能といったものがどうしても必要になる。卑近な例ではあれど、報道も同じだと言えなくもない。

 話は情報編集だけとどまらない。「あるものに光を当てると、伝導率が変化する」という知識の実用アイデア、世界初の太平洋路線の実現可能性、図書館的な構造を雑誌にまとめるという発想、そうした質的転換が、図書館に散らばる情報の断片を、価値ある何かに結実させる。

 他の人には見えなかった、見いだし得なかった金の砂粒を探して、組み合わせて、ひとつのかたまりにする。上記の営みで、実際に彼/彼女の脳裏では一体何が起こっていたのか。図書館に特有なものとは何か(近年の検索エンジンの問題点を見るに、ネットではあまりにひっかかりがなくなってしまったようにも思える)。自分の身にも成功体験を再現するためには更なる検証が必要だ──

 おそらく、ネットももちろんそうなのだろうが、図書館とは未だ言語化されていない、表現に至っていない自らのうちの何かを、情報とカップリングさせることによって引きだしていく、「対話」の場なのであろう。少なくとも、図書館を単なる本の置き場などと考えているとあまりにももったいない、ということだけは確かだ。

追記(2019年8月18日):後日の読書でこのような一節を見つけた。

「ここには、抜書したり本作りに関わったり、元ネタを借りたり盗んだりする全ての輩(やから)が集っている」(松居竜五・小山騰・牧田健史『達人たちの大英博物館』(講談社選書メチエ、1996年))


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