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好きな色のはなし

好きな色のことを、考える。
日常的に使うものや服の色などは、皆自分が好きだったり似合う色を選ぶのではないだろうか。

子どもの時分、私には特別だと感じる色があった。水色とピンクだ。
色鉛筆というのは大概類似色の順に並べられているものだが、私はその二色を隣同士に並べていたし、減ってしまうのが勿体無くて、躊躇しながら使っていた。
何故そんなにもその二色を気に入っていたかというと、私にとってそれは、お姫様と王子様の色だったから。
色鉛筆を取り出す度に、水色の王子様とピンクのお姫様が出会う物語を空想して遊んでいたのを今でも覚えている。

しかし、そんな私の心を傷つける出来事が起きた。
忘れもしない小学一年生の学芸会のこと。いろんな色がキャラクターとして登場する劇をやることになったのだ。
もちろん私の大好きな水色とピンクも配役にある。両方好きだからどちらかやれればと、迷わず立候補した。
だが小学一年生に人権などない。立候補者が多い色のチームにあぶれた者たちは、じゃんけんで決めることすらさせてもらえず、独断と偏見で先生たちが割り振った役どころに収められていった。

「伊織ちゃんは黒がいいと思うから、黒をやりなさい」

4人の男子たちが固まっていた黒役のチームに、たった一人私が混ぜられた。
なぜ黒なの?
伊織がいつも男の子とばっかり遊んでるからいいと思ったの?
ピンクは女の子ばっかり。楽しそうに笑っていていいな。
そんな想いが頭の中をぐるぐるしたけれど、先生には何も言えなかった。

当時は黒の服なんてほとんど持っていなかったから、わざわざ母親と一緒に、全身黒になるようにトップスとズボンを買いに行った。
手には無地の真っ黒の手袋。
劇の内容は、全く覚えていない。
ただ、ピンクの子も水色の子も、ひらひらのスカートを履いていたのだけは目に焼き付いている。

私はあの時、確実に傷ついた。こうして今でも思い出せるほどには。
昔も今も友だちは男の子ばっかりだし、当時は外を駆け回って生傷の絶えないやんちゃ娘だったけれども、性格と趣味嗜好を第三者が勝手に結びつけてしまうのは良くないことだ。

最近では「親が持たせたいランドセルの色と、子どもが本当に欲しがっているランドセルの色は違う」なんてランドセルメーカーのドキュメンタリー映像が上がっているのを見て、素敵だなと思った。
大人が型にはめるばかりではなく、本人の意思が守られて、無駄な偏見が無くなればいいと思う。だって好きな色なんて、こと自由なものだからさ。

とはいえ別にこれは先生への恨み言とか、何かの啓蒙などではなくて。ぼんやりと思い出したことをぼんやりと書き留めた結果である。
まぁそういう今は、服は黒ばっかり選んでしまう。黒はいい。何物にも染められない強さがある。
ピンクは……あんまり着ないかなぁ。青系は今も好き。
ペンラは元々水色を振ってもらっているけれど、最近は推しのカラーである紫に寄りがちなもので、どっちを振ってもらっても嬉しい。

ああ、でもピンクは腸や脳の色でもあるから、そういう意味では好きな色の本質は変わっていないのかもしれないなぁ。なんちゃって!

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