コロナ読書記録

コロナ発覚

呑気症治療のために漢方内科に通っている。
ここ2日ほどちょっと鼻炎っぽい鼻水と、くしゃみが出て厄介だな、寒暖差アレルギーかなと思っていたので、薬をもらうついでに電話で風邪の旨伝え、見てもらうことに。
このご時世のため厳戒態勢にて最後の枠の診療(仕事終わりなのでちょうどよかった)で、一応検査しましょうかとなり、鼻に綿棒を突っ込まれる。

COVID陽性だった!!

びっくり。こんな花粉症みたいな症状で…?発熱もないのに。
発熱はないのだが、ひどい風邪というかんじで、三連休を過ごしそう。
(どうでもいいが鼻に綿棒を突っ込まれるのは苦痛なので、絶対に後遺症になりたくない。POTS治療とか絶対したくない。)

部屋の片付けをしなくては、とかやることはあるのだが、身体を動かすのがしんどいので、積んでいた本など読もうと思う。
で、本の内容全部忘れるので、書いとくことにした。

とか言って、Kindleで新しく本を買ってそこから読んだのだが…

読んだもの

なんでCOVID宣告から寝るまでの間に読んだ本が全部重いんだよ

泥濘の食卓 1~5巻

https://amzn.asia/d/gOwazWb

前に1巻無料で何かで読んだことがあるので実質2巻から。
Twitterの広告で流れてきて、普通にCVしました。
こんな地獄みたいな話ドラマ化するのか。そのうち血の轍とかもドラマ化しない?大丈夫?

内容
難しいので省く。人間関係ドロドロの田舎の話。

感想
うわ~と思いつつ、読んじゃうんだよなあこういう話…。
あらゆる人間関係の泥沼はコミュニケーション不足から始まるな~と思う。しかしそれは言わないことだけでなく聞き入れてもらえないことにも起因している。
キャラクターとしてはちふゆが一番読者のヘイトを集めそうだなと思ったんだけど、どうだろう。私も例に漏れずちふゆが出てくるたびにこの胸糞女と思いました。


がんばることをやめられない コントロールできない感情と「トラウマ」の関係

新発売らしい。noteをザッピングしていて発見。
この精神科医の方よく見る、有名な方なのだと思う。
noteでプロローグまで無料公開されていたので読んで、購入。決め手は自己受容についての本・かつ散々聞いてきて内容もう知ってるよということが薄そうなので。

構成
随所に漫画が挟まれていたり、漫画を導入に使っていたりと読者が飽きない/読み始めやすいように工夫がなされている。

内容
日常に潜む小さなトラウマ(small t :だれかが叱責される場面を見てしまった!親に昔こういうことで理不尽で怒られた!など。)によって、自分の中にある主人格「私」のほかにもう一人以上の「わたし」が形成され、それが次受け止めきれないことが発生したとき現れて自分の感情や行動がコントロールできなくなる、ということの解説。

病気としての多重人格とまでは行かなくとも、心の中が部屋的に区分されていて、主人格では処理受けきれなくなった時に別の人格がでてきてしまう(乖離チックなことが発生している?)ということらしい。

「わたし」という別人格については、それを数パターンに分けて紹介し(瞬間的に怒っちゃう、反射的に相手に従っちゃう…etc)、それぞれが出現したときの対処を話す。

ただしそれらの人格は受け止めきれないほどの現実を生き抜いていくための対処であり、それがあるから今の自分がある。だからないがしろにせず、余裕があるときにそれらの「わたしたち」と「私」がうまく繋がれるように、対処法を練習していくのがよい。そのときには、適宜専門家の力を借りる。

感想
数年前に適応障害をいちどやってから、認知行動療法や乖離など心にまつわる病気関連のことはかなり関心を持って読んできた。
だからなにかストレス源があったときの心の対処が固定化していて自分でコントロールできない領域までいっていることを、わかりやすく例えながらパターン化して説明しているのだな、とすんなり理解できた。

先日定期異動があったのだが、自分は部署希望を出すまでにかなり悩み、キャリアについて上長に相談すると全然悲しくないのに苦しくなって言葉が出てこなくなって涙が止まらないことが数回発生している。これは多分数年前に一回戦線離脱していることが小さなトラウマになっているのだなと気づけた。(戦線離脱自体もそれ以前の小さなトラウマが引き起こしているのだと思うが)

この本の良かったところ

  • 「感情は身体反応から始まる」ということを知れた
    →感情がラベリングされる前に生じる身体反応のことを「情動」という、なんでないてるかよくわかんない時に突き動かされてる感じは「情動」なのか~と、しっくりきた

  • 心が部屋のように区画されている、という考え方
    →挿絵もわかりやすく、キーとなる概念がスッと入ってくる

  • 「安心」についての記述
    →予測を外れないことが安心、その通りすぎる。。。だから不確定要素が多い仕事は不安が多いのか…。と思った。

安心とは「予測を外れないこと」と言い換えることができます。つまり、「尊重されるわけがない」と予測さえしておけば、実際に尊重されないことによる混乱は起きえないのです。
むしろ、やさしくて丁重な扱いを受けることが予想外(=安心ではない)ということになり、恐怖や嫌悪を感じるようになっていきます。
これが「安全と危険の逆転現象」が起こるメカニズムです。

p99
  • 「死にたい」人格は複数のパーツによって構成されている
    ”終わりの見えない、激しい感情の嵐にさらされているとき、「とにかく終わらせたい」と願うのは全く不思議なことではありません”という記述。ありがとう。

  • 自分がコントロールできなくなるときの表現
    →めちゃめちゃそう。巨大な情動が自分の中で生まれて、制御できなくて、身体の中で抑えておけないくらい大きくなってい結果的に身体を引き裂いて外に出ている感じ。どうして自分が泣いているかも理解できない。仕事でも、これはできるよね?って聞かれても、自分で自分を信用できなくて、つらい。

そもそも「私」という存在は、唯一無二の確固たるアイデンティティによって成り立っているわけではありません。
生物として危険から生き延びるために、複数の「わたし」を使い分ける必要があり、その危険が大きければ大きいほど、「わたし」の分裂は極端にならざるをえない。
そして、生存戦略の結果として起こった自己の分裂が、その後の日常を生きる「私」の中にまったく正反対の衝動を生じさせる。
自分が引き裂かれるような苦痛、自分で自分がわからない、そんな自分が信頼できなくて、おぞましい。
これがまさに「自己同一性(アイデンティティ)が障害されている」ということであり、生きづらさの根幹にあるものです。

p126

ちょっと気になったところ
これより良い代案は出せないのだが、主人格と乖離で生じるときの人格が「私」と「わたし」の表記違いで表現されており、一瞬どちらがどちらかわからなくなった。
しかしどちらも私の構成員であることには変わりないのでこれが一番良い表現なのだとは思うが・・・
これ、英訳とかするとどうなるんだろう。

まとめ
ストレッサーへの反応の仕方などは自分が知識として持っている内容がまとめ直されている?という感じもあった。(たぶんそういうことをたくさん調べてきたから)ただ体系化はとても理解しやすく、随所に共感できるポイントもあった。何よりこれらの内容が初見の人・かつこの問題で苦しんでいる人にとっては良い指南書になる。
筆者の別の本についても読んでみたい。


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