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人間拡張の視点から見る技術革新 - バズワードと真のイノベーションの区別

はじめに

LLMが盛り上がりを見せる中で、「今回はバズワードじゃないのか?本物なのか?」という会話をよく耳にします。バズワードと本物のイノベーションは、事後的にしか判定できない(勝てば官軍的な)ものなのでしょうか?

ところで、1800年代から提唱されてる概念に、Human Augmentation(人間拡張)というものがあります。Human Augmentationの考え方は、非常に雑に紹介すると、「技術というものは人間の感覚や能力を拡張・増幅、あるいは最適化という働きをするものである」という主張です。

最近ふと思ったのは、とある技術が台頭しつつある(と言われている)ときに、「当該技術がHuman Augmentation(人間拡張)に貢献するかどうか」という判断基準を用いることで、当該テクノロジーが単なるバズワードなのか、あるいは産業革命レベルのイノベーションなのかを識別することができるのではないか、ということです。

というのも、人間そのものは数千年前から大して変化していませんし、おそらく数千年後も大して変化していません。そんな(我々から見た時間軸における)普遍性をもった人間を”拡張”する技術は、すなわち、数千年単位で人間が普遍的・持続的にこなしてきている営みを拡張するものなので、必然的に社会に対して持続性ある抜本的な影響を生み出す可能性が高いのではないか、という発想です。

人間拡張テスト

技術や概念の重要性を評価するにあたってHuman Augmentationを応用するならば、それが劇的な知覚の拡張や能力の拡張のいずれをもらたし得るかを中心として検討するのがよいかもしれません。もちろん、イノベーションという観点においては、その技術は以前は解決できなかった問題に対処したり、制限を克服したりするのに役立つかという点も考慮する必要があるでしょう。特に後者については留意が必要で、例えば、「スマホを使うことで目的がそれなりに達成できてしまう」など、すでに有力な代替手段が存在している場合には、技術(およびそれを実装したソリューション)はNice to Haveなものになってしまいます。

過去の産業革命的な事例

たとえば、15世紀にグーテンベルクによって発明された印刷機は、情報が生産され、普及する方法を革命的に変えました。書籍をより手に入れやすく、手頃な価格にすることで、知識の普及、科学の発展、教育の民主化が促進されました。この技術をHuman Augmentationの観点から捉えた場合、知識の受け取り方が変わるという意味で知覚の拡張でもあり、知識保存(記憶)の増強という意味で能力(知能)の拡張でもあったといえます。

19世紀に発明された電信とその後の電話は、遠距離での瞬時のコミュニケーションを可能にし、人間の知覚を拡張したものと評価できます。

そして20世紀後半のコンピューターやインターネットの登場ですが、計算を中心とした情報の処理について、人間の知能を拡張しました。また、インターネットはコミュニケーションのあり方を抜本的に変えて人間の知覚を拡張し、「ググる」ことで情報が引き出せるようになったという点において、人間の知能が拡張されました。コンピューターの一種ですが、スマートフォンの普及によっても、何十億人もの人々がいつでもどこでも情報やコミュニケーションできるようになり、人間の知覚や能力が追加的に拡張されました。

「人間拡張」というと個人的にはマーシャル・マクルーハンが思い浮かんでしまうので、上記ではメディア的なテクノロジーを中心に取り上げましたが、第一次産業革命(蒸気機関革命)や第二次産業革命(内燃機関革命)は明確に人間の身体的能力の拡張だったと評価できます。

ところで、過去の答え合わせだけだと「後出しじゃんけん」になってしまいますので、現在進行形のテーマや、個人的に今後期待しているテーマについても考えてみたいと思います。

LLM(大規模言語モデル)と人間拡張

まず、現在進行形ですが、GPT-4のようなLLM(広義にはAI)は、間違いなくHuman Augmentationの技術であるといえるでしょう。

まず、LLMは、膨大な量の知識へのアクセスと自然言語処理の能力を提供することで、私たちの認知能力・情報処理能力を強化し、また、LLMはブレスト用途でも用いられ始めているように、創造的な取り組みのためのツールとしても活用できてしまいます。関連情報の提供、データ分析、潜在的な結果の予測により、意思決定プロセスも増強していると評価できます。LLMは、翻訳、要約などもこなしますので、人間の知覚も増強していると評価できます。

ロボティクスと人間拡張

ロボティクスもまた、Human Augmentationを通じて説明することができそうです。

ロボティクスは、人間にとって困難で危険な、あるいは不可能なタスクを代わりに実行してくれますし、動力源さえあれば24時間稼働することが可能です。そういう意味で、人間の身体能力を拡張するものです。また、ロボティクスは、障がい者の身体活動をアシストする用途もありますが、こちらも人間の身体能力の拡張であるといえます。AIとロボティクスの統合により、意思決定が伴う運動系の作業もこなすことができますが、これはリアルタイムでデータを分析し適切な意思決定を行うという人間の知能が増強されることを意味します。

ニューロテクノロジーと人間拡張

米中で投資が加速しており、かのイーロンマスクも取り組んでいるブレイン・コンピューター・インタフェース(BCI)などのニューロテクノロジーについてはどうでしょうか。

脳とコンピューターを接続するので、もはや説明不要なレベルでHuman Augmentationに該当するのではないかと思われます。BCIによって、麻痺した人々が思考だけで義手を制御したり、コミュニケーションを行ったりできるようになり、身体能力の拡張、知覚の拡張につながります。また、長期スパンでは、BCIは、最終的には脳対脳の直接通信を可能にし、相互作用や協力の全く新しい道を開くことができるとも言われており、人間の知覚や認知を拡張することも可能です。

技術的な課題はもちろん山積みであり、実現可能性については別途検討が必要ですが、ニューロテクノロジーがもし実現するのであれば、それは単なるバズワードではなく、社会変革を起こすテクノロジーに該当するといえそうです。詳細については以下の記事をご覧ください。

機械と人間の共進化

結果的に、とりとめもない内容になってしまいましたが、人間中心主義の筆者としては、Human Augmentationを加速できるように仕事をしていきたいなと考えております。

なお、Human Augmentationを提唱していた一人であるマクルーハンは、機械と人間の共進化という考え方も提唱しています。人間の主観性は、所与のものではなく、メディアや技術によって形作られるのであり、技術と人間は相互に影響を与えあう関係にあるという考え方です。

生理学的にいえば、人間は技術(あるいは多様に拡張された身体)をふつうに使いこなしているとき、たえず技術により変更され、また逆に技術を変更する方法を見つけ出す。……人間は機械の世界のいわば生殖器となり、つねに新しい形式をその世界に受胎させ、進化させる。

マーシャル・マクルーハンほか『メディア論−人間の拡張の諸相』

そういう意味では、人間中心主義と言いつつも、テクノロジーとの相互影響のなかで絶えず変化していく人間を中心に考えるのが重要なのかなと考えています(”人間”の外縁がどこにあるのか、という話はまた別の機会に)。


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