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サンタクロースの在り方について(『世界は贈与でできている』を読んで)

文喫という理想的な空間を見つけた。良い出会いがあった。社会の見方をこんなふうに言語化できたら気持ちいいんだろうな、と思うような本であった。最近考えていたこととも繋がった。

「お金で買えない」の気持ち悪さ

「お金で買えないもの」という表現がある。この言葉は、それ自体の意味は肯定されているのに「ない」という否定が入っている。犬のことを「猫でないもの」とは表現しない。結局何を指しているのかわからない正体不明さが気持ち悪さとして残る。

本書ではまずその正体から言及している。答えは「お金+α」の付加部分である。例えば、プレゼントをされると値段以上の価値を感じる。僕は半年に一度のペースで時計を無くすのだが、去年の誕生日にもらった時計は今日もまだつけている。一度ガラスに傷をつけてしまったが、そのままにせずにすぐに修理に出した。このように、贈り物には価値が加わり、それが「お金で買えないもの」になる。これを「贈与」と呼ぶ。

贈与に見せかけた「交換」

贈与の判別は難しい。例えば献血やアドバイスなど。与える側からすると「お金で買えない価値」をつけているつもりだが、そこには何かしらの「見返り」が見え隠れする。献血なら「なにに役に立っているのか知りたい気持ち」やアドバイスなら「実行された後のフィードバック」など。
一方で受け取る立場になると「負い目」を感じる。献血なら「提供された」だしアドバイスなら「なにか行動しなくては」とか。
これらは贈与ではなく「交換」である。

仮に贈与がなく、全てが「交換」のみで社会が成り立っていたらどうなるか。(実際に市場経済が支配する現代はその状況に寄っていっている。)それは、「あなたを助けます。そのあなたは私に何をしてくれますか?」という社会になる。
常にギブ&テイクの論理になるのでそこに「信頼」はなく、人も含めて全てが「手段」として扱われる。つまり、何も渡すものがない人は助けを請うことができない。貧困家庭で寝たきりの家族を殺して自殺する事件の背景の一つと説明されている。

贈与の呪い

それでは贈与が交換に取って代わって救いになるかというと、一概にそういうわけでもないらしい。贈与には「呪い」も付随するからだ。見返りを求めない贈与は人と人との繋がりを本質的に生む一方で、その繋がりによって「束縛」も起こす。年賀状や親から子への愛情がわかりやすい。

子は、親の苦労を知ってしまうと窒息します。一方的な贈与の負い目に耐えられません

『世界は贈与でできている』

サンタクロースの在り方

贈与の成り立ちと成立後の呪いも知ることで、自分の行動や他人の行為についての感じ方に色分けができるようになる気がする。あれは交換かな、これは贈与かな、と。同時に、贈与の発生条件については混乱してくる。その場合、サンタクロースの例が非常にわかりやすい。

サンタクロースという装置によって、「これは親からの贈与だ」というメッセージが消去されるからです。つまり、親に対する負い目を持つ必要がないまま、子は無邪気にそのプレゼントを受け取ることができるのです。
(中略)
僕らは「サンタクロースなどいない」と知った時、子供であることを止める。つまり、サンタクロースの機能の本質はどこにあるかというと、「時間」です。

『世界は贈与でできている』p109-110

贈与を発生させるためには、与える側にも受け取る側にも相応の態度が求められることがわかる。
与える方はサンタクロースという架空の存在を通すなどで「匿名性」と「不合理性」が、そしてそれを実行する「倫理」が必要となる。また受け取る側は「時間差理解」を可能にする「知性」を求められる。

キーワードは「想像力」

贈与は受け取ることなく開始することができない

『世界は贈与でできている』

映画『ペイ・フォワード』を例にこの前提が示されている。我々は贈与を理解するために、まずは贈与を受け取らなければいけない。そして受け取るために必要な「知性」は「想像力」によって養う。

本書では求心的思考と逸脱的思考が紹介される。求心的思考は、常識は疑うことのできない前提に立っていると認識した上で、その土台の上に推論を重ねていく思考法である。例えば、5+3=8を覆らない常識とした時に、天秤が釣り合わない場合にはその天秤の状態や天秤の上に乗せたものの質を疑う。疑っていった先に、「見えていなかったもの」=贈与の存在を知る、という方法。

もう一方の逸脱的思考は前提ごと疑う。『テルマエ・ロマエ』では時代が変われば常識が変わることでユーモアを生んでいる。これと同じで「いまここ」にあるものが当たり前ではないと気づくことで、贈与の存在を知る。
共通するのは「想像力」である。

日々に還元する

最後はかなり大きな主語になって完結を迎える。
なぜなら、想像力を働かせたら、社会は贈与で溢れていることを認知するからだ。パソコンも目の前にある窓も、誰かの想いのこもった贈与であることが想像できる。そうして『世界ともう一度出会い直す』ことができる。
贈与を受け取ったと知った時に人は、それを伝えるメッセンジャーとなる。そうしてついに贈与を渡す側になるのだ。。サンタクロースが続くように。本書が書かれたように。noteを書くように。

PERFECT DAYS

おりしも、映画『PERFECT DAYS』を観て、「あらゆる仕事を過小評価しているかもしれないなあ」と反省していた。そこをもう一歩深められたと思う。贈与という考え方、それを支えている想像力、そして感謝の心。
勉強や経験の意義もここに収斂していくのであればなんか素敵なはなしだなと思う。


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