noteで「ブログ体文章」を書かない理由。

昨日、ちょっとつぶやきましたが。

生の言葉を生のまま紡ぎたいから、です。

ブログ体で書くこともできますよ。
プロットを立てて、最初に大凡の結論と理由を書いて、項目分けして読みやすい文章にすること。

そりゃあ企画書だの何だの、腐るほど書いてきましたから。
職業柄、出来て当然ですよ。

でもね。
それじゃ違うんですよ。
noteに書く文章は。

せいぜい、たま〜にBoldを使うくらい。
ごく稀に。

行間をちゃんと読んでほしい、そんな言い方もある。

別にBuzzりたいとも思わないし、スキをたくさん欲しいわけでもない。
共感が欲しいわけでもない。
僕の脳内をね、少し覗いてほしい。

あけすけに書いているけど、それは「僕から見た世界」とはどういうものかをわかってほしい、いや見るだけならタダなので見てやってください、ということ。

それをブログ体で表現しちゃうと、薄まっちゃうんだよね。
タダだけども、それなりに価値はあると思っているので。
まあ、自分の脳内に価値があると思わないとやってらんないけども。
あくまでも、生の状態でお召し上がりください、と。

で、だ。

誤字脱字のチェックや推敲もしないまま投稿しちゃうから、自分で文章を読み返す。
すると関連記事が出てきて、なんかスキが一杯あるな、覗いてみようか。

うわー、うっす!
〇〇くん家のカルピスのほうが全然濃かったわ!

と、感じることが多い。
な〜んかわかった風の横文字を使っちゃってさ。
自分らしさとかさ、ライフハックとかさ、どこかで見たような言い回しでさ。
そのクセ、懇切丁寧に書いちゃってるから「行間を読む隙がない」記事になちゃっててさ。
読んだ後にはな〜んにも残らねえの。
スーパードライでもまだまだ後味あるわい!って。

でもって、これで満足しちゃう人がこんなにも多いの!?

と思ってみたり。
僕は「あっ、はい…」としか言えねえの。

僕は僕の表現で食っていこうと覚悟している以上、そりゃあ僕の成果物でご飯を食べたいわけですよ。
でもなー、メジャーになりたくない、俺がメジャーになったらヨノナカが困るだろうしなー。
チヤホヤされたくもないし、Buzz狙いの道も歩きたくもないし。
自分の成果物は濃厚な状態で味わって欲しい、流行らなくていいから。

それでも、金は欲しい、けども。

ん〜。
なんなんだろうねえ。
流行らなくてもいいけども金は欲しいという僕の厚かましさよ。

まあ、そういうことですよ。
自分の生の言葉を紡いだものから、何かを感じ取ってほしいってこと。

但し、金は欲しい

わ〜い、強調したった!強調したった!