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見える孤独をあじわいたい 04

愛ってなに、歌にしてわかるの?

くるりのその歌の一節もそういえばずっとずっと刻まれていて、彼とのこの17年の時間に思う歌である。歌とはそうしたある種おそろしく埋め込まれていく魔術的な力がある。音と言葉があわさって、ひょっとしたら認知症という状態になったとしても忘れることがないそのくらいのものではないかと思う。ぼくはこの人生に歌を作っていた時期もある。歌詞は書いたことが一度くらいしかなく作曲はたくさんしたが、才能は感じられない。どうしても自分の知ったものの、好きになった歌の影響下から出られない、自分のものにならないという挫折感がある。彼のために彼のことを想って歌にしよう歌にしたい、と思ったことは一度もない。だからぼくは歌をつくる人ではないという暫定解。でも、これがそれなのかもしれない。彼への言葉数がクレイジーな歌のようなものがこれなのかもしれない。こんな日が、このような未来が待っているとは想像すらできなかった。だからぼくはぼくの経験値として「その人が運命の人かもしれませんよ、今はそう思わなくても」と誰かの恋愛の相談事みたいな場面で何度か言っている。

告白の夜に、彼を好きになっていく過程に、運命を感じなかった。この人でした、とはならなかった。それには感度というものもあるのかもしれないが、人の話で恐縮だが「ビビビ婚」の松田聖子もビビビときたその方とはたぶん何年かののち別れているはずである。余談でしかないが、ビビビと来たとはすごい言葉だ。以降、ビビビと来ているか来ていないかを自分に問いかけた人は相当の数いるだろうと思う、その感覚、発想を日本の人々にもたらせた、それを「ビビビ」という三文字でしてしまえることが本当にすごいことだと感心する。ビビっときた、とはいまだに聞くが、その語源にはもしかすると聖子氏の感性がある。それを、そのことの考えを、聖子を嫌いとしているがビビビを使う人に問うてみたいが問わない。思っていることの半分を口にしなさい、思っていることは口にする前に検討してみたら半分以上言わなくてもいいことだったりするのでは? という母の教えあるいは呪いがぼくをそうさせている、そのようになったこの人生は成功なのか成功しなかったのかぼくにはよくわからない。ただ、個人的には大成功の人生だと思っている。理由としてまず最初に来るのが彼である。彼とずっと一緒にいる、ずっと彼のことを出会った当時と同じくらいの気持ちで見ている、至近距離で見続けられているこの関係を経験できていることがぼくにとっての人生の大成功事項であることを疑っていない。そう思うと、その成功は、本当には「そうなっていた」だけかもしれないが、それぞれの努力のようなもの、その時々の意思や行動の結果とするのならば、わたしたちはとてもよくやってきた。よくやり続けて、とても立派だと思う。なにせ始まりは「好きではない」だったのだから。それでも腐らず、「でも付き合おう」と食い下がり、この人はぼくのようにぼくを思ってはいないのだと思いながら一緒にいつづけたそのわがハートを讃えたい。

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