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「悲哀の月」 第13話

 冬ともなれば、日が暮れる時間は早い。日中見えていた青空は四時過ぎには暮れ始め、五時を回った頃にはすっかり闇となっている。今夜は、月が雲の切れ間から僅かに顔を出している。
「ねぇ、一つ提案したいことがあるんだけど、いいかな」
 その月を見ながら食事が終えると雨宮は切り出した。
「なに」
 自分の作ったカレーライスを食べながら里奈は聞く。彼女の作れる唯一の手料理だ。レシピを増やしたいところだが、仕事が多忙なため、なかなか思うようにはいかなかった。
「披露宴なんだけどさ。一時的に延期にした方がいいと思うんだよ。この状況を見ると」
 いつになく深刻な顔で雨宮は言った。彼らの披露宴は四月下旬の予定となっている。まだ一ヶ月以上先の話だが、報道の中からコロナの文字が消えることはない。逆に増していくばかりだ。これではさすがに是正するしかなかった。実際、職場でも出席を予定している従業員から不安の声が上がっている。
「やっぱり、そうよね。私も話そうと思っていたんだけどね。今度の休みに」
 夫もついにこの話題を口にしてきため、里奈も硬い表情を見せた。カレーライスを食べ終えると、スプーンを置いた。
「実は、私たちの間でもそういう話が出ているのよ。式場となれば密になっちゃうからね。今のところ出席してくれる人はたくさんいるわけだし。もしもその中に感染者がいたとしたら、クラスターになる危険性があるものね。私達の披露宴でクラスターになったら、嫌だものね。出席してくれた人にも申し訳ないし」
「そうだよ。そんなことになったら目も当てられないよ。看護師が開いた披露宴でクラスターって、絶対にメディアが食いついてくるだろうし。そうなれば病院だって槍玉にあげられるだろうから迷惑を掛けちゃうし。だから、延期した方がいいよ。披露宴は別に、いつだって出来るんだから。急ぐ必要もないし」
「そうね。なら、今度式場に相談してみるわ。延期できるか」
 里奈は約束した。披露宴は楽しみにしていたが、こんな状況では仕方ない。優先すべきは、人命だ。
 翌日は夜勤だったため、日中に式場に電話を掛け相談してみた。
 すると、式場は現在キャンセルが相次いでいると言う。やはり考えは誰も同じのようだ。そこで式場側は延期を提案していると言う。延期であれば、違約金も発生しないと言う。
 里奈からすれば、願ってもいない展開だ。話はすぐにまとまった。現在は収束の目処が立っていないため、具体的な日時に関しては未定だが、決まり次第、報告するとのことだった。
(良かった。とりあえずはお金が掛からなくて)
 電話を切ると里奈は安堵した。式場のキャンセルとなれば、いくら掛かるのか。内心、冷や冷やしていたのだ。
(でも大変そうね。式場も。キャンセルが相次いでいるなんて。やっていけるのかしら。披露宴を挙げる前になくなってしまうなんてことはないわよね)
 その後で式場のことを懸念した。披露宴は小さい頃からの夢だ。すでに打ち合わせも終わっている。あとは開くだけだ。夢が目前のところで立ち消えになるのは避けたい。
(まぁ、こんなことを考えてもしょうがないか。私が何かできるわけじゃないから。もしものことがあれば、また一からやり直せばいいだけだからね。健介は嫌な顔をするだろうけど)
 そう思いながらも里奈は、式が延期となったことを電話で伝えた。
「そうなんだ。まぁ、キャンセルにならなくて良かったね。そうなったらまた、一からやり直しだから」
 すると雨宮は、予想通りの不安を口にした。里奈が微笑んだのは言うまでもない。


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