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「悲哀の月」 第14話

 コロナのニュースは悪い方向へ向かっていくばかりだ。日本でも連日トップニュースで取り上げられ、感染者数と死者数が公表されている。町行く人はマスクをし、人との距離を取ることが当たり前になっている。場所によっては咳をしただけで嫌な顔をされ、ひどい時にはケンカに発展するまでになっていた。
 そんな中、ついに病院の方針が発表されることとなった。
「今日は皆さんに大切な話があります」
 医局に集まった看護師を前に話を始めたのは、婦長の井上房代いのうえふさよだ。看護師歴二十年のベテランだ。体型は太目で眼鏡を掛け、声の大きい女性だ。
「皆さんも昨今の報道で気になっているかと思いますが、当院にもコロナウィルスの患者を受け入れる病棟を作って欲しいと国から要請がありました」
 恐れていた話に数人の看護師は目を伏せた。
「私達の働いている場所は病院です。いくら死の恐怖があったとしても逃げるわけにはいきません。病院とは本来、困った人を助ける施設ですからね。それなのに、コロナが怖いからと言って目を背けるわけにはいきません」
「コロナの感染者はどこで見るんですか」
 誰もが困惑する中、里奈が手を上げた。
「それは現在、調整中なんですけどね。三階と四階が候補に挙がっています」
 三階は集中治療室があるが、四階は入院病棟だ。
「で、大事な話はここからなんですけどね。今日皆さんに集まってもらった理由というのは、コロナ病棟を担当するスタッフについてです。先生の方はすでに決まりつつあるんですけどね。看護師の方はまだ決まっていません。そこで各部署から候補者を募ることになりました」
 看護師達は隣にいる人と目と目で会話している。
「もちろん、これは強制ではありません。当然、拒否しても構いません。拒否したからと言って嫌がらせをするとか、給料が下がるとか、そういうことは一切ありませんから。もしそういうことがあれば、私に言って下さい。すぐにその人に対して厳重注意をすることを約束します。ですから、嫌なら構いません。
 では、今の話を踏まえた上で聞きます。コロナ病棟で勤務してもいいという方はいますか」
「はい」
 真っ先に手を上げたのは里奈だった。周囲の看護師達はどよめいているが、本人は真っ直ぐ房代を見ている。
「他にいませんか」
 婦長は里奈の名前をメモすると、念のためにもう一度聞いた。
 だが、手を上げる人はいない。房代から申し訳なさそうに目を逸らすばかりだ。
「わかりました。それじゃあ、里奈さんだけと言うことですね」
 その様子を見て房代は言った。
「待って下さい。私もやります。やらせて下さい」
 が、そこで一人手を上げる人物が現われた。貴子だ。
「貴子さんもいいの」
 房代は確認を取った。
「はい、私も人のためになりたいと思って、この仕事に就いたわけですから。是非、私も加えて下さい」
「わかりました」
 房代はメモに貴子の名前も加えた。
「それでは、二人だけですね。志願する方は」
 その後でもう一度聞いた。
 だが、もう手を上げる人は現われなかった。
「わかりました。では、今日もよろしくお願いします」
 そこを確認すると房代は話を切り上げた。
 看護師達も自分達の仕事へと取り掛かっていった。


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