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「悲哀の月」 第30話

 翌朝。
「昨日はありがとうね。だいぶ楽になったわ」
 里奈は感謝を口にした。現在は朝食を向かい合って食べているところだった。結局昨夜、雨宮は彼女の部屋に泊まった。涙を流す妻を一人にすることは出来なかったのだ。
「そうなの。それなら良かった」
 味噌汁を飲むと、雨宮は笑顔を見せた。
「うん」
 里奈は照れたように頷く。
「今後はさ。もっと共有していこうよ。いろんな感情を」
 そんな彼女を見て雨宮は提案していった。
「自分の胸にある不安とか悩みって、すぐには人に話すことは出来ないと思うけどさ。でも、自分の胸に貯めておくのは良くないよ。苦しむだけだからね。だから、なるべくそうなる前に話すようにしようよ。俺ももしそうなったら里奈に話すようにするから。それは何故かって言うと、里奈ならきっと、この問題を受け止めて一緒に解決してくれるって信じているからだよ。そうじゃなきゃ言わないから。だから、里奈にも同じ気持ちを持ってほしいんだ」
「うん、わかったわ」
 里奈は頷いた。今までの彼女は人の相談はよく受けるが、自分の悩みとなると自己解決していた。これまではそれで乗り越えて来られたが、さすがに今回の件は難しかった。雨宮の力がなければ今も苦しんでいたはずだ。そのため、今の話は身に染みた。
「それじゃあ、早速聞いて欲しい話があるんだけどさ」
 そう思ったことで昨夜考えた結論を伝えることにした。
「なんだい」
 丁度、朝食を食べ終わったこともあり、雨宮は箸を置いて聞く姿勢になった。
「私、昨夜ずっと考えたんだけどね。もう一度だけ頑張ってみることにしたの。コロナ病棟で」
「大丈夫なのか。おそらく、今後は今以上に状況は悪化していくと思うけど。減少の兆しが見えないと聞くから」
 最近はコロナのニュースばかり目にするため、雨宮も情報を得ていた。各地で発表されている感染者数と死亡者数は、増える一方だ。
「うん、それはわかっているわ。だけど、私は志願したわけだからね。ついて来てくれた仲間もいるし。彼女のためにも頑張らないと。病棟に行く前に、二人で頑張ろうって約束したわけだし」
 貴子のことを思うと、里奈は胸が痛かった。彼女も心身共に疲弊している。終わりの見えない現状に人知れず涙を流している時もあるほどだ。そんな彼女よりも早く辞めることは、とてもではないが出来なかった。
「でも、そこでもしも心が折れるようなことがあったら、その時はキッパリ辞めるわ。私としても、そこまでして続けたいとは思わないから。こんな不条理な中で骨抜きにされるなんて耐えられないわよ。私だって新婚なんだからさ。幸せを優先したいわ」
 里奈は照れたように言った。おそらく本音なのだろう。今までは気持ちの大半が看護だったが、今では雨宮で埋まる面積が大半のようだ。
「そうか。わかったよ。なら、出来るところまでやってみたらいいよ。俺は応援しているからさ。いつだって、里奈の味方だから」
 雨宮はサポートを約束してくれた。
「ありがとう」
 里奈は微笑んだ。理解を示してくれる夫を結婚相手に選んで心底良かったと実感していた。人の本質とは、苦しんでいる時にこそわかるものだ。雨宮のように手を差し伸べてくれる人もいれば、ここぞとばかりに突き放す人もいる。自分の結婚した相手が前者であったことで里奈は幸せを感じていた。
「それじゃあ、俺は仕事に行くよ」
 話を終えた後、準備をしていた雨宮は立ち上がった。
「うん、行ってらっしゃい」
 里奈も立ち上がる。そして、玄関でキスを交わすと送り出した。
(これが新婚生活よね。本来の)
 雨宮が仕事に行った後で里奈は初めて新婚の幸せを噛みしめていた。


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