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「悲哀の月」 第24話

 コロナ病棟が立ち上がり二週間ほどが過ぎた。この間も患者の出入りが止まることはない。毎日のように受け入れ要請が届き、その度に病院側は頭を抱えている。ベッドの空きは一つもない状況が続いていた。
「本当に申し訳ありません。短い間ですがお世話になりました」
 その中、一人の看護師が頭を下げコロナ病棟から去って行った。スタッフは、切ない顔で見送っている。仲間が去ることが悲しく、また悔しかったのだ。
 実は、コロナ病棟を去る看護師は彼女が初めてではない。開設からまだ二週間ほどしか経っていないが、これで早くも十五人目だ。医師に関しては、二人が去っていた。
真穂まほも辞めちゃったわね。頑張っていたのに」
「そうね。まぁ、辞めたくなる気持ちはわかるけどね。こうなってしまうと」
 里奈と貴子は去って行った真穂に同情していた。コロナ病棟に志願したスタッフは皆、激務を覚悟していた。実際、どんなに過酷な仕事量でも音を上げた人はいない。
 問題は他にあった。
 コロナ病棟で働いていると知ると、あからさまに嫌悪感を示す人がいるのだ。ひどい人になると、来るなと怒鳴り、突き飛ばしてくる。看護師達は自分の仕事に誇りを持っていたが、こんな仕打ちを受けては耐えられなかった。その結果、退職者が後を絶たなかったわけだ。
「こういうことをしてくる人に限って、普段はきれい事ばっかり言っているのよね。どうせ、人に誇れることは一つもしていないくせに」
 自らも怒鳴られた経験があるため、貴子は怒りを見せている。
「そうよね。絶対に自分の非を認めないタイプよ。悪いことをしているのに周囲から責められると一転して、被害者を装うのよ。それで同情する人が現われたら途端に強く出るようになるタイプね」
「そう、そう、いつでも自分は正しいと思っているクズ人間タイプよ。人のあらばかり探して、少しでも気に食わない人間がいれば目の敵にしているようなね」
「うん。こういう人は本当にたちが悪いから相手にしない方がいいわよね。自分に不都合なことが起こると全て人のせいにするから」
 二人が仲間を失った腹いせをしている時だった。
「これ、見てください」
 と、一人の看護師が近寄ってきた。山崎冬美やまざきふゆみだ。背も低く、ややドジな一面があるため、人から責められやすい。彼女もまた、部外者から責められて傷ついている看護師の一人だった。
「どうしたの」
 里奈が聞く。冬美と言えば現場に不安ばかり口にしているが、どういうわけか、この日の表情は明るい。
「受付から連絡があったんですけどね。数日前から、こういうものが届き始めたと言うんです。今日になってたくさん溜まったので、是非、目を通して下さいと渡されたんです」
 冬美はそう言いながら手にしていた用紙を差し出してきた。
 里奈は、貴子と顔を見合わせた後で用紙を受け取った。
 そして、目を向ける。
 すると、途端に涙がこみ上げてきた。用紙には、子供の筆跡で多くの激励と感謝の言葉が書き込まれていたのである。中央には、メッセージを書き込んだ子供たちの集合写真が貼り付けられている。どの子供も笑顔で輝いている。
 それだけではない。
 下の用紙を見てみると、更なる感動が待ち受けていた。
 今度は中学生による激励と感謝の文字が並んでいた。
 更には、近隣の会社やお店からも同様のメッセージが書き込まれた用紙が出てきた。
「他にも、使ってほしいってマスクも送られてきたんですよ」
 全ての用紙を見終えると、冬美が伝えてきた。
「そうなの」
 里奈としては、そう答えるだけで精いっぱいだった。現在のマスク不足は深刻だ。手に入れることは困難を極めている。その中で寄付してくれたのだ。その思いに胸が締め付けられた。
「頑張らないとね。こんなに暖かい人たちもいるんだから」
「そうね。根暗で陰険な人間なんて一部だけよね」
「そうよ」
 冷遇が続くことで人間不信に陥りかけていた二人だったが、この用紙を見て気持ちを切り替えた。
「ありがとう。これはみんなの目につくところに貼った方がいいんじゃない。きっとみんなのモチベーションも上がると思うから」
 里奈はアイデアを出した。
「そうですね。先生に提案してみます」
 冬美は約束した。
 すると、その声はすぐに採用された。
 翌日からコロナ病棟に送られてきた激励と感謝の手紙は全て、医局のクリップボードに貼り出されることとなった。スタッフはそこで足を止めてから仕事へ行くことが日課となったが、たちまちクリップボードは手紙で埋まっていった。


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