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三つ子の魂百まで

一つ前の記事で”ばあば”の事を書いたが、今日は同居していた実の祖母からの教えについて書いてみたいと思う。

と言っても、私の心に刻まれている教えとは、タイトル通りの言葉で何の面白いエピソードも無いのだけれど。



母方の祖父母は山形出身で、祖父は結婚前に、祖母は結婚してから上京してきたと聞いている。

上京したてで東京の小さなアパートで暮らしていたとき、祖母はまだガチガチの東北弁だったそうだ。

東京の標準語が話せず、八百屋でも店員さんと上手く会話することが出来ないから、欲しい物は指でさして買っていたらしい。

その時のことを「まるで外国に来たようだったよ。」と話してくれた。

当時の私は小学生で、「ふうん...大変だったんだ。」くらいのリアクションしかとらなかったと思う。

今ではそんな自分がとても残念に思う。

祖母は小学生の私に、同情とか慰めなんてこれっぽっちも求めて無かったとは思うけれど。



時を経て、私は今年ニューヨークへ来た。

旦那さんの駐在の帯同で、思いがけない渡米だったから、全く英語も話せないまま来てしまった。

私が”英語”という科目を勉強した何百時間は、一体どこに溶け出してしまったのだろうと思うほど、簡単な英単語すらすぐ出てこない。

当然、スーパーのレジで「レジ袋はいるか?」と言う質問にも最初は上手く答えられなかった。(今でも怪しいけれど)

自分の不甲斐なさに絶望して、家に帰って落ち込んだ時に思い出したのは祖母の事だった。

昔、何度となく聞かされたエピソードを、私も実際に体感した事に気が付いた。

そうすると不思議なもので、祖母が他にもこぼしていた言葉も思い出された。

「喋れないとね、もう出歩くのも怖くなっちゃって。」

「たぶん同じアパートの奥さん達からは、私はおしんぼ(現在は使わない、言葉が話せない人の意)だと思われてたと思う。」

今まで当たり前に出来たことが、たった言語の問題だけで出来なくなってしまう絶望感。

そして、周囲から好奇の目にさらされる恐怖。

大袈裟な言い方かもしれないが、よく東京で生き抜いたなと、心の底から尊敬した。



そんな祖母は十六年も前に他界してしまったが、その教えはたくさんある。

最も口酸っぱく言われたのは「三つ子の魂百までだからね、今直しておかなくちゃ。」ということ。

私が何か良くない事をして怒られたとき、最後には決まってそう言われた。(三歳を超えてもずっと言われていた。)

そのおかげでまともな大人になれたかどうかは分からないが、この言葉は間違いなく私を形作っている要素の一部だ。



実家では相当な我儘娘として育ってしまったけれど、成人してから社会で他人に怒ったことはほとんどないように思う。

相手に何か違和感を覚えた時も、「しょうがないな・・・この人はこう言う人で、今更変えることは出来ないだろうから、私が合わせられるか考えよう。」と妙に引いてしまう。

ある人からすればこれは立派な対応、ある人からすれば単に諦めてしまっている、そうだ。

怒りは、相手に対して抱いている期待が裏切られた時に生まれるものだと思う。

期待と言ってもそんな大それた事ではなくて、”こうしてほしい” ”こうあるべきだ” ”間違っているから変えてほしい” という程度に。

そして自分の思い通りにいかないから、怒りが湧いてくる。

けれども、いい大人になって形成されてしまっているものを、ある日いきなりぶつけた怒りで変えれるなんて、私は毛頭信じられない。

だからこそ、諦めて冷静なまま受け入れる方が、ぶつかっていくよりも楽だと思う。

そうする事で自分の心がキツいのであれば、距離を置いても良い。



誰かの教えに縋って生きていくのは、時として楽な事だと思う。

ある種、宗教を信仰するのと同じ考えのような気がする。

行き詰った時は、周りを眺めて少しでも楽な道を選んだり、誰かの考え方を借りてみたり、そんな生き方も悪くないと思う。


#あの会話をきっかけに

#忘れたくないこと

#思い出

#エッセイ





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